早朝の風切るバイク五月かな 池内 健治
早朝の風切るバイク五月かな 池内 健治
『この一句』
五月の早朝の空気が伝わって来る。東の空が明るみ始めた頃、風を切ってバイクの走って来る音がする。しばらくすると、書斎の開けた窓の隙間から、外の石段を勢い良く駆け下りて来る足音が伝わってきて、郵便受けにモノが放り込まれたかたんという音がする。そうか、もう新聞が来たんだなと、取りに出る。
まだお日様が昇って来ない、かはたれ時の空気は初夏とは言えひんやりする。パソコンに向かって原稿を書いていてつい夜更かししてボーッとなった頭には気持がいい。うーんと伸びをして、朝刊の一面をざっと眺めて、やおら寝床に潜り込む。普通の人たちがそろそろ起き出す頃合いであろう。
とまあ、この句を見てそんなことを考えたのだが、ちょっと待てよと思う。
もしかしたら、この早朝ライダーは作者自身なのではないか。「早朝の風切る」と来て、「五月かな」。つまり身体全体で明け方の五月の風を受けて、三、四月とは違う、「やはり五月だなあ」と感じる。こう取った方が徹夜よりよっぽど健康的ではある。
『田一枚植て立去る柳かな』立ち去ったのは早乙女か観察者の芭蕉か──そんな論争の句も思い起こさせる、二通りに取れる面白い詠み方の句だ。(水)