散り散りにやがて一つに花筏 嵐田 双歩
散り散りにやがて一つに花筏 嵐田 双歩
『季のことば』
「花筏(はないかだ)」とは何とも美しい言葉ではないか。満開の桜は盛大に散る。吹雪や嵐にたとえられるほど、すさまじい勢いで花びらを散らす。見事と言うよりほかに無い散り際である。前の大戦ではそれを「潔い大和魂の象徴」と持て囃し、若い命を無造作に捨てさせた。そんなこともあって昭和一桁生まれには「桜は好きじゃない」という人がめずらしくない。それももう遠い昔。今はただその美しさを素直に愛でる、有難い世の中になっている。
しかしそれもいつまで続くことやら。総理大臣が「北朝鮮はサリンを弾頭につけたミサイルを打ち込んで来るかも知れない」と軽はずみに言い、国民を不安に陥れる世の中である。
さはさりながら、このサクラの国の民は累卵の危うきにあることも全く意に介さない。そう、そんなことを思いわずらっても詮無いことなのである。ちりぢりに散る桜のなんと美しいことよ、水面に落ちた花びらはやがて流れるままに一所に集まり、豪奢な花のベッドを作る。そこにそっと横たわって西方浄土に運ばれましょうか・・・。双牛舎俳句大会の第2位「地」賞の句である。(水)