まんまるに頬膨れたる木の芽かな 宇佐美 諭
まんまるに頬膨れたる木の芽かな 宇佐美 諭
『この一句』
「あるなぁ、こういう木の芽」と思った。しかし思い描く芽が何の木の芽なのか分からない。落葉樹であることは確かなのだが、それから一歩も先に進んで行かない。公園の樹木など、家の近くに生えている樹木を思い浮かべてみたが、木の名称そのものを知らないのだから話にならない。
作者は木の芽を見て「おや、まん丸だ」と思ったのだろう。続いて乳幼児の頬のようだ、と気付いたに違いない。この「頬」の一字が大手柄で、だれもが乳幼児の可愛らしい笑顔を思い浮かべるはずだ。「まんまるに膨れ上がった・・・」だったら、イメージは木の芽に留まったままに違いない。
一種の擬人法かも知れないが、「お花が笑った」のような作意が感じられない。木の芽を見て、ごく自然に幼児の頬に思い至ったからだろう。この文を書いている時、部屋の窓の下を保育園児の列がわいわいがやがやと通って行った。丸い頬のような木の芽ももう葉になっていく季節である。(恂)