我が妻に春愁のありパンを焼く 高井 百子
我が妻に春愁のありパンを焼く 高井 百子
『合評会から』(番町喜楽会)
正裕 「春愁」にパンを焼くというのに意外性がありますね。ただ「我が妻」の「我が」は余計じゃないかな。
白山 「春愁」というのは深い憂いではない。それを「パンを焼く」と結んだことで軽い気持ちがよく出ていると思いました。
幻水 主婦がなにか新しい家事をするときは、心になにかある時かもしれません(誰か…深い読みだなぁ)。
而云 「パンを焼く」という情景があって、その妻が…春愁ということなのですね。
* * *
作者が女性であると分かって一座はア然とした。作者は「これは『なりすまし』の句です。春愁の妻を気遣って、たまにはパンを焼いてくれる夫がいてもいいかな」と思って詠んだのだという。「男もすなる日記といふものを女もしてみむとしてするなり」と、紀貫之は女になりすまして名作『土佐日記』を著した。この句も負けず劣らずの技巧がほどこされた句である。(水)