我が妻に春愁のありパンを焼く     高井 百子

我が妻に春愁のありパンを焼く     高井 百子 『合評会から』(番町喜楽会) 正裕 「春愁」にパンを焼くというのに意外性がありますね。ただ「我が妻」の「我が」は余計じゃないかな。 白山 「春愁」というのは深い憂いではない。それを「パンを焼く」と結んだことで軽い気持ちがよく出ていると思いました。 幻水 主婦がなにか新しい家事をするときは、心になにかある時かもしれません(誰か…深い読みだなぁ)。 而云 「パンを焼く」という情景があって、その妻が…春愁ということなのですね。           *       *       *  作者が女性であると分かって一座はア然とした。作者は「これは『なりすまし』の句です。春愁の妻を気遣って、たまにはパンを焼いてくれる夫がいてもいいかな」と思って詠んだのだという。「男もすなる日記といふものを女もしてみむとしてするなり」と、紀貫之は女になりすまして名作『土佐日記』を著した。この句も負けず劣らずの技巧がほどこされた句である。(水)

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春深し草むしりして一日かな     堤 てる夫

春深し草むしりして一日かな     堤 てる夫  『おかめはちもく』  句会でこの句を選んだ。もちろん、いい句だ、と評価したからである。ただ読んだ後、ほんの少しひっかかるものがあった。どこか調子がしっくりこないのだ。「春深し」で切れる。そして「一日かな」でまた切れる。俳句で好ましくない形とされる「~や~かな」と同じことになっているからだろう。  「春深し」が兼題だから、「春深し」の句が五十句以上も出て来た。その中で掲句と同様の感じを受けた句がかなりあった。「春深し面影橋の下宿かな」「春深し年々月日速くなり」「春深し扉の奥の秘仏かな」――。芭蕉の言葉「句、調(ととの)はずんば、舌頭に千転せよ」が自ずと浮かんでくる。  「春深し」に替え、「春更けて」「春闌(た)けて」などの傍題を選んだ句もあった。それによって、「春深し」~「かな」の調子を避けたのだろう。この他にももちろん、読み手の心の「ひっかかり」を避ける方法がある。一つは言葉の順を変えてみることである。これがベストではないはずだが、一例として――。  添削例 草むしりして春深き一日かな  (恂)

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菜を洗ふ水の軽さよ風光る     岡田 臣弘

菜を洗ふ水の軽さよ風光る     岡田 臣弘 『季のことば』  「風光る」というお馴染の季語について、「日本大歳時記」は「うらうらと晴れた春の日に、軟風が吹きわたること」(山本健吉)としている。江戸中期からずっと俳人に愛用されてきた季語だそうで、傍題に「風やわらか」というのがあるから、「軟風」は歴史的にその通りなのだろう。  しかし私はなお、「そうかな」と思う。根拠は「光る」という言葉の感触である。何しろ風がキラリと輝くのだ。同じ歳時記で飯田龍太が「風光る」の代表的な句に「風光る閃(きら)めきのふと鋭けれ」(池内友次郎)を挙げ、「春のひかりのきらめき。同時に作者自身の心象であろう」と説明している。  上掲の句、菜を洗いながら水の軽さを感じ、ふと目を上げたら「風が光った」のだ。女性が清流で菜を洗う場面を思わせるが、作者によれば、奥さんがキッチンで・・・、ということであった。この場合、柔らかな春風の中の光なのか、春先に吹く肌寒い風の光なのか。うーむ、両方有り得るかも知れない。(恂)

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春の川アルプス溶かし白濁す     岩田 三代

春の川アルプス溶かし白濁す     岩田 三代 『合評会から』(日経俳句会) 二堂 雪解けの水ですね。アルプスを溶かし、濁っているというのは、目のつけどころがいい。 阿猿 雪解けで水かさが増して、水の色に白さが増しているのですね。山に堆積する何かが溶け出しているのでしょう。「アルプス溶かし」という表現は気が利いています。 水牛 アルプスなど高山の雪や氷が溶けて集まり、急流になって流れ出すと、白く濁って見えるんですね。いかにも早春らしい、鮮烈な風景が浮かんで来ます。             *        *  高山からから流れ出る雪解川は玄武岩などの白い粒子が大量に溶けているため、白濁するという。ただし光線のぐあいや川底の状態などによって、色はさまざまに変わるらしい。以上はネット情報によるものだが、流れが緩くなると粒子が川底に沈んで行くのでエメラルドグリーンに変わっていく、という解説もあった。句を見て「なぜ白濁するのか」と思い、調べるといろいろなことが分かって来た。これも俳句の効用の一つだろう。白濁の川、それにエメラルドグリーンの川も眺めてみたいものである。(恂)

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オルガンのはじめは空気春の昼   星川 佳子

オルガンのはじめは空気春の昼   星川 佳子 『合評会から』(日経俳句会) 水馬 目のつけどころが実にユニークだ。麗かな春の日を感じさせる。 好夫 意表を衝かれた。「はじめは」という言葉が、ここに使われていることも意外だった。 而云 珍しいところを見つけたものだ。確かにオルガンは最初「すー」と空気の出る音がする。 臣弘 そうなんだ。フワーッとね。「はじめは空気」に春の温かい空気も感じられる。 佳子(作者) オルガンからすかすかした音が出ていましたよね。 青水 空気の発見が秀逸。季語の雰囲気をよく捉えている。 万歩 題材が抜群にユニークだ。春の雰囲気にとても合っている。            *        * この後も雑談的コメントがさまざまに語られている。「昔の思い出だね」「学校ではもう、どこでも電子オルガンですよ」「ピアノの音どころか、どんな楽器の音も出ます」「もう、スカッという音は出ない」――。「スカッ」という空気の音を言い表すのに「すかしっ□」という語も何度か聞こえてきた。(恂)

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降りそそぐ光の中を卒業す     斎山 満智

降りそそぐ光の中を卒業す     斎山 満智  『この一句』  いい句だ、いかにも卒業式らしい、と思ったが、私はこのような情景を実は見た記憶がなかった。小、中、高、大の卒業式会場はみな体育館や講堂であった。窓から入り込む光はさほど多くなかったと思う。これは母親など保護者の、卒業する子供たちへの思いによって描かれた光景なのかも知れない。  卒業生はみな卒業式を終えて新たな世界への一歩を踏み出して行く。それを見守る先生や親たちの心には嬉しさだけでなく、期待、不安などが入り混じっているはずだ。天の神様、どうか子供たちをお守り下さい、と祈っているかも知れない。「降りそそぐ光」にはそんな気持ちが込められているのだろう。  中学の時、「軍隊上がり」の実に怖い先生がいた。今ならクビ間違いなしの暴力も振るった。その先生が卒業式の後、生徒を送りに校門の外に来て、人目も憚らず号泣していた。生意気な生徒が「何だ○○(あだ名)、格好悪いなぁ」と笑っていた。いま思えば、あの日は晴れ渡っていたような気がする。(恂)

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春眠や携帯電話のずり落ちて     澤井 二堂

春眠や携帯電話のずり落ちて     澤井 二堂 『おかめはちもく』  陽春四月、電車内の情景であろうか。向かいの席のオバサン(スマホではなく携帯電話とわざわざ言っているから若い女性ではなさそうだ)がこっくりこっくりやっている。ケータイを握りしめた手がゆるんで、膝にずり落ちて、やれ危ないと思ったら、案の定、するりと滑って床にバタンと落ちた。オバサンびっくりして目を覚まし、きょろきょろ・・・。  とまあ、そんな情景を想像したのだが、果たしてこの句解が合っているのかどうか・・。もしかしたらベッドの脇に吊り下げておいたケータイが何かの拍子に落下したのかも知れない。とにかく叙述がもう一つなのでどういう場面なのかが判然としない。  「俳句は言い尽くさないこと」と言うが、これは分かり難くていいということではない。この句ももう少し分かり易く詠む必要がある。今や「ケータイ」というカナ文字言葉が一般的になっているから、「春眠や膝のケータイずり落ちて」としたらいかがか。これなら電車なり公園ベンチなりでのうたた寝と分かる。(水)

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春の城盛衰語る古陶片     中村 哲

春の城盛衰語る古陶片     中村 哲 『この一句』  戦国時代、関東一円を手中に収めた後北条氏は進んだ領国経営を行った。農民からは搾れるだけ搾るというのが普通だった時代に、領主の取り分(租税)四割、領民六割という「四公六民」制度を据え、民力を養った。正確な検地を行い、殖産振興を図り、長子相続制を敷いて農家や武家の相続争いを防ぎ、貨幣経済を行き渡らせるといった斬新な政を行った。これ等は秀吉や家康が見習っている。  小田原に本拠を置き関東一円に武威を張った北条氏は不思議なことに「天下取り」には乗り出さない。逆に成り上がり者の秀吉が天下統一の大号令を掛け、ついにはこれに攻め滅ぼされてしまったのであった。  秀吉の後、最終的に日本国を治めた家康は、北条の遺風を徹底的に潰す方針で、この句の詠まれた八王子城も跡形無く壊された。「しかし、あの城址には意外に生活感が残っていた」(而云)というように、栄華を偲ばせるものがいくつも出てきた。ベネチアングラスのレース花瓶や明の陶磁器などがそれである。いずれも破片ばかりだが、丁寧に接合され、名品のよすがを伝えている。「盛衰語る古陶片」とはよく詠んだなと感じ入る。八王子吟行句会第二席の句。(水)

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氏照の墓への道の初音かな     田中 白山

氏照の墓への道の初音かな     田中 白山 『この一句』  日経俳句会の創設者村田英尾先生の眠る八王子霊園に、毎年桜の季節に句会有志が声掛け合ってお参りに出かけている。香華を手向けた後は近くの桜保存林や古城址を吟行する。今年も四月八日に八王子城址を散策した。掲句はその吟行句会の最高点句である。  八王子城は後北条氏第四代北条氏政の弟氏照が精魂込めて築いた難攻不落の山城。しかし時代の趨勢如何とも為し難く、天下統一を目指す豊臣秀吉軍の猛攻によりあえなく潰え去った。中腹の林の中に氏照と家臣たちの墓がある。そこに至る道は厳しい登りだが、尾根筋は清々しい風が吹き、鶯の声が響く別天地の雰囲気であった。  「黙々と階段を上がっている中でしきりに初音を聞きました。これをすかさず詠んだのはさすが」(冷峰)、「初音に励まされるように、あえぎつつ氏照の墓に詣でました」(二堂)というように、いかにも吟行句らしい雰囲気の句である。「氏照」という固有名詞があまり一般的ではないが、なんとなく由緒を感じさせ、歴史ロマンをかき立てられる。(水)

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そつと息確かめられる朝寝かな     玉田 春陽子

そつと息確かめられる朝寝かな     玉田 春陽子 『この一句』  NPO法人双牛舎俳句大会で第三席「人賞」に選ばれた作品である。今大会の兼題「春眠」(朝寝はその傍題)を詠んだ一句だが、年配の会員が多い句会だからか、いつまでも寝ていて「生きているのか」と周囲に危ぶまれたり、自分自身「ああ無事に目覚めた」ことに安心するといった趣旨の句が沢山出てきた。曰く、「春眠や猫来て確かむ吾が寝息 幻水」「春眠の目覚めやいのち恙なし 有弘」「春眠や安眠惰眠永眠す 冷峰」「大春眠覚めてこの世のニュース聞く 而云」。この句はそれらの代表として選ばれたものと言えよう。  前の晩はいつもと全く変わらず就寝したのに、翌朝いつまでも起きて来ないなと見に行ったら、息をしていなかった。そんな話を時々聞く。四十代や五十代でこんな死に方をしたら、残された家族が大迷惑だ。しかし、七十代後半以降ともなればさしたる問題はあるまい。むしろ苦しまずに永遠の眠りに入るのだから、まさに大往生、理想的な死に方だ。  でも、この句、息をしているかと確かめに来たのは誰か。恐らくは偕老同穴の連れ合いだろう。こんな風に気に掛けてくれる人がいるなんて、実に幸せ。(水)

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