枯草や朝の陽ざしを一人占め     石丸 雅博

枯草や朝の陽ざしを一人占め     石丸 雅博 『季のことば』  「枯草」「草枯」はもとより冬である。11月も深まると野原や道の辺、庭の草も枯れ始め、やがて蕭条たる景色になる。生あるものはみな滅する定めということをしみじみ教えてくれる。そうした意味合いを持つ季語が「枯草」である。  しかし、この句は明るい。朝の散歩であろうか。陽ざしを浴びてきらきら輝いている枯野。季節は冬だとしても、朝からよく晴れた暖かい日なのであろう。「冬ぬくし」という季語があるが、この句はそうした感じがする。その朝の陽ざしを一人占めしたような気分で、作者はご満悦だ。  季語には和歌、連歌から受け継いだ「本意(ほんい、ほい)」というものがあり、例えば「枯草は蕭条として、寂しさを伝える」ように詠まねばならぬといった、一種の「きまり」がある。この句はそうした「きまり」からは外れているかも知れない。しかし、規範にがんじがらめになっては詰まらない。この句は枯草の持つ一面、たとえば己は消えてゆくばかりだが、もうすぐの芽生えをはぐくんでいるといった、明るさを描き出した新しさがある。冬から春に移ろうとする「季感」をとても良く伝えている。(水)

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