生け水槽真っ正面の河豚の顔     高石 昌魚

生け水槽真っ正面の河豚の顔     高石 昌魚 『おかめはちもく』  生け水槽真っ正面の河豚の顔     高石 昌魚  これは近ごろ東京にもよく見られる「養殖とらふぐ」を生簀に泳がせて、客席近くに展示する評判の河豚料理屋であろう。美味い虎河豚を比較的安価に提供し、庶民が気軽に入って行けるようにした功績は大である。  河豚という魚は本当に愛敬のある顔をしている。まさか河豚に野次馬根性があるとは思えないのだが、時としてこの句のように、水槽の中からこちらを真っ正面に見つめることがある。これから食われるとも知らないで、小さな胸びれをひっきりなしに動かし、おちょぼ口をぱくぱく開いたりしている。  河豚と睨めっこという、実に面白い情景を詠んだ。しかし、「生け水槽」というのにちょっと引っ掛かる。「生け簀」という言葉があるのに習って、四面をガラス張りにした水槽だからこういう言葉を拵えたものと思える。  しかし、「真っ正面の河豚の顔」という叙述で水槽に泳ぐ生きた河豚であることは分かるのだから、わざわざ「生け」と言う必要は無さそうだ。  (添削例) 水槽の真っ正面の河豚の顔   (水)           *       *       *  今年も「みんなの俳句」ご愛読有難うございました。本日で申年の発信を終了させていただきます。今年は元旦から本日まで、288句を掲載、なんと述べ1万1千人以上の方々に御覧いただきました。「こういう句が詠まれる句会を見てみたい」という声がちらほら寄せられ…

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山谷をともに越え来て納豆汁     中村 哲

山谷をともに越え来て納豆汁     中村  哲 『この一句』  寒い冬の夜は何と言っても汁ものに限る。河豚汁、粕汁、狸汁、薩摩汁、三平汁・・と、数え挙げればきりがないほど各地各様の汁物がある。そんな中で納豆汁は極めて単純素朴。納豆を叩き、味噌汁に摺り込んで、奴に切った豆腐を入れて刻み葱を散らした汁である。余計なものは入っていない。  湯気の立つ納豆汁はかなり納豆臭くて、顔を背ける人もいるのだが、慣れてしまうとこの臭いが得も言われぬ香りに感じられて、病みつきになる。何よりも身体の底から温まるのがいい。ほっこりと心底気が休まる感じがするのだ。  もう子どもたちは一人前に巣立って、年寄った夫婦二人だけの夕餉。新年ともなれば孫たちがお年玉目当てにわっと押しかけて嵐のようになるのだろうが、年の暮れはさしたる用事も無くて靜かなものだ。  連れ添って数十年、木の葉髪になってしまった老妻には長いことよくやってくれたなあと思う。しかし、それを今更のように口に出して言うのも他人行儀というものだ。カミサンも同じようなことを考えているのだろう、二人して黙って納豆汁を啜っている。(水)

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ぼた雪の薄汚さや優しさや     中嶋 阿猿

ぼた雪の薄汚さや優しさや     中嶋 阿猿 『この一句』  実に愉快な詠み方が気に入った。「ぼた雪」とは牡丹雪と同じで、たっぷりと水分を含んだ大粒の雪。初冬や晩冬の気温が割に高い時に降る雪で、もともとは東北、北陸の日本海側の地方の言葉らしいが、今では全国的に使われている。東京近辺で昔から言われてきた「牡丹雪」という気取った言い方とは違って、いかにもぼたぼた降り積もる感じが伝わって来る。  この句はそんな「ぼた雪」の様子を極めて主観的に断じた。「薄汚い」けれども「優しい」と言うのである。確かに、踏むとキシキシいう厳冬の粉雪が潔さを感じさせるのと異なり、こちらはだらしなくべちょべちょ崩れてしまう。  「雪なら雪らしく、もっとしっかりしなさいよ」と言いながら、でもこのふわふわと、何とも頼り無く、寄りかかって来るようなところが憎めないのよねえ、なんて呟いている大姐御が浮かんで来る句だ。  申年もあと三日でおしまい。寒い寒いと言ってもやはり暖冬傾向は続いており、年が明ければ東京も何度かぼた雪に見舞われることだろう。(水)

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かぶりつきしゃぶりつくして河豚の骨     高橋 ヲブラダ

かぶりつきしゃぶりつくして河豚の骨     高橋 ヲブラダ 『この一句』  これは極め付けの食いしん坊の句である。これほどまで楽しんでくれれば河豚も成仏間違いなしであろう。河豚は間違いなく美味い魚だが、本当の旨さは骨のくっついたアラ身にあるように思う。あの有田焼の大皿の、染付模様が透けて見えるように薄く削いで綺麗に並べた河豚刺しは、もちろん美味い。しかしその美味さは、あえて言えば通り一遍の美味さである。その味には見た目の喜びと、貴重品を頂く喜びが加わっている。つくづく旨いと思うのは河豚鍋で、皮や身や筋のついた骨をしゃぶる時である。  それも上品な高級料亭よりは、食い道楽が通う小上がりのある、亭主と内儀さんだけでやっているような小体な店がいい。気のおけない仲間三、四人と鍋を囲み、まずはひれ酒を一杯。鍋がぐつぐつ言い出す頃、熱燗を酌み交わしながら、河豚の骨付きを頬張るのだ。  この句の作者は今、仕事の関係で大阪にいる。人の懐どころか股ぐらまで見透かすような大阪の気風はあまり好きではないのだが、庶民的な「てっちり」の良さだけは東京には無い。この句にはそんな味わいがある。(水)

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冬すすき日増しに穂先細くなり     堤 てる夫

冬すすき日増しに穂先細くなり     堤 てる夫 『この一句』  ススキは日本の土地柄に本当によく合った草なのだろう、どこに行ってもある。海岸にも、川べりにも、野原にも山にも生い茂る。いろいろな種類があって、土地土地に適した性質のススキが群落を作っている。他の草が育たない荒れ地でも、何とか生き長らえる感じで、短くしかし逞しくしっかりと地面を捉えている。それが一旦条件の良い野原などに生えるやたちまち鬱蒼たる薄原を作り、人の背丈を越すほどに伸びる。  昔は「カヤ」と呼んで晩秋に刈り取り、屋根材とした。これを編んで炭俵を拵えたり、スダレにもした。貴重な資材だったのだが、今ではそういう用途が廃れ、ススキはいたずらに枯尾花を咲かせるだけになった。  これはそうした立ち枯れの冬薄を見つめた句である。毎日歩く道の端に茂っているのだろう。九月の仲秋名月の頃には金色につやつや輝く穂を靡かせていたのに、だんだんと色が褪せて、十二月ともなるとすっかりすがれて、穂先はちびてしまった。ただそれだけを詠んだものだが、身につまされる思いを抱く。冬すすきに事よせた叙情句とも受け取れる。(水)

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テラスより埋まる小春のカフェーかな     嵐田 双歩

テラスより埋まる小春のカフェーかな     嵐田 双歩 『合評会から』(番町喜楽会) 可升 「テラスより埋まる」がいい。うまいですねぇ。 啓一 ポカポカした小春の日差しと合っています。他の季語には置き換えられない。 白山 この間、初めて有楽町のカフェのテラス席に座りました。気持ちがよくて新しい感覚でした。           *       *       *  昔は花見などは別として、日常、町中の街路に面した場所で飲んだり食べたりするのは恥ずかしいこととされていた。最近は全く違う。若い人たちは歩きながらでも、電車の中でも平気である。それがだんだん年寄りにも伝染していったのか、あるいはこの年寄りたちが現役だった頃から徐々に欧米風の戸外飲食が普通になったのか。とにかく道端にテラスを設けたカフェが増えてきた。  やってみると中々面白い。目抜き通りや公園など、目の前を人が行き来する場所に腰を下ろすと、普段より視線が下がるせいか、何となく違う景色になる。せかせか通り過ぎる人たちをゆっくりした気分で眺めやるのは何とも愉快だ。(水)

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宅急便街の寒さも届きけり     澤井 二堂

宅急便街の寒さも届きけり     澤井 二堂 『おかめはちもく』  この句は「宅急便外の寒さも届きけり」として投句された。私(筆者)を含む四人が選んでおり、まずまずの評価を得た、と言えるだろう。ただし私は「外の寒さ」が不満で、「街の寒さ」としたら、と注文をつけた。同調者が多く、「街」派が優勢になったあたりで、作者が「実は」と話し始めた。  別の句会で作者は「洗濯屋街の寒さも届きけり」という句を出し、零点に終わっている。作者は「なぜか」と考えた。彼の家には洗濯屋が御用聞きに来ていたのだが、一般社会ではあまり例のない、と気付いた。そこで上五を「宅急便」とし、さらに少し変えたいと思い「街の」を「外の」にしたという。  そんな経緯が披露されると、「街」に戻した方がいい、という声が高まり、句会の総意のような形で変更が認められた。「宅急便街の寒さも届きけり」。やはり、こちらの方がよさそうである。こうした事情により、今回は(添削例)のない『おかめはちもく』になってしまった。ご了解頂きたい。(恂)

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鮟鱇や風評といふ向う傷     徳永 正裕

鮟鱇や風評といふ向う傷     徳永 正裕 『合評会から』(番町喜楽会) 春陽子 「風評という向こう傷」の意味は、よく分からなかったが、個々の言葉に魅力があったので・・・(笑)。 光迷 風評というと、やはり福島でしょうか。でもそれ以前から大洗あたりの鮟鱇は、ビニールを食っているとか、いろいろ言われていました。 冷峰 やはり福島の原発による風評だと思う。海の底で鮟鱇が「本当の悪いヤツは誰なのか」と言っているのでしょう。鮟鱇、風評に「向こう傷」がよく合っていますよ。 健治 「向こう傷」という表現に、風評被害をものともしない勢いを感じます。福島・茨城の海底で鮟鱇が「俺のせいじゃないぞ」と嘯いているようです。ともすると忘れがちな大震災・原発を思い出させてくれた上に、憂鬱な雰囲気を吹き飛ばしてくれる句です。(いい選評だ、という声多数)  *          *  「向う傷」という言葉はよく用いられているが、本当の意味は? 辞書によれば「敵に立ち向かって戦い、体の前面(特に額や顔面)に受けた傷」とある。鮟鱇君は原発事故の風評に、まさに立ち向かっていたのだ。(恂)

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Sの字に孫駆け回る小春かな     高瀬 大虫

Sの字に孫駆け回る小春かな     高瀬 大虫 『合評会から』(番町喜楽会) 啓一 私の孫もこの句のようでした。姿が目に浮かびます。 白山 Sの字という表現がうまいですね。小さい子は確かにSの字に回るという記憶があります。五歳児ぐらいになると円になるのですね。(笑) 而云 親の周りを回ったりしてね。目に浮かびます。 水牛 でもSの字がどうもしっとり来ないなぁ。8の字なんじゃないか?(誰か…そうだそうだ)。Sじゃぁ戻ってこない。走り回る瞬間を切り取ったのかなぁ。 大虫(作者) 昔、孫が走り回っていた頃の光景です。             *         *  小春日の好天気を十分に味わおうとすれば、大人は公園のベンチなどに座り、じっと動かずにいたくなるものだ。しかし幼い子は大人の思惑など構わずに、本能のまま走り回る。S字でも8の字でもいい。ともかく目まぐるしく動き、エネルギーを発散する。「昔、孫が」と追憶するが、さらに昔の自分の姿でもあるのだ。(恂)

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たぷたぷと君に注ぎましょ今年酒     齊山 満智

たぷたぷと君に注ぎましょ今年酒     齊山 満智 『この一句』            女性である作者が、「君」の盃にたぷたぷと新酒を注いでいる。作者と「君」はとても楽しそうだ。句を見てこちらも嬉しくなってきたのだが、念のため調べたら、おかしなことになった。広辞苑などいくつかの辞書に「たぷたぷ」は「太って肉にしまりのないさま」などと出ていた。そして、その次の項にある「だぶだぶ」を見たら「液体が容器の中で揺れ動く音」と説明しているのだ。  やや茫然となった。新酒を「だぶだぶと」では、何とも締りのない句になってしまう。さらに調べてみたら、「たぷたぷ」は山形など東北地方の方言で、「だぶだぶ」(水の揺れ動く状態)を意味するという。この句に二つの擬音語のどちらかを使うべきか。私は語感から「たぷたぷ」だと主張したい。  辞書に出ていないので、ちょっと慌てたが、擬音語は辞書の記述を超えたものであるに違いない。例えば萩原朔太郎の詩にある猫の声だけでも驚くほどの多様性を見せている。センスのいい擬音語なら、辞書になくても「OK」なのだ。特に女性に酒を注いでもらうなら「たぷたぷ」で行きたいものである。(恂)

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