新酒来と酒屋の内儀声高に    大澤 水牛

新酒来と酒屋の内儀声高に    大澤 水牛 『季のことば』 新酒の季節、とは思うが、その実態がよく分からない。手元の歳時記を開いたら「現今は濁酒(どぶろく)以外に年内に醸造される清酒はない」。何だい、これは? ネットの「Wiki」で調べてまたびっくり。一般的な新酒の場合や国税庁のガイドラインなど、何項にも渉って説明している。  その代表的なものは、―酬遒ら三月の間に作られる酒 △修稜の米で一番に作られた酒 「新酒」を掲げて売る酒などなど。メーカーによっては「秋」に合わせて新酒を出荷しているそうで、もう出回っているのもあるらしい。歳時記の記述は前例順守のため、古くなっているのだろう。  この句を見て膝を叩いた。酒屋の内儀の「新酒、来ましたよ」という声が聞こえたら新酒の季節なのだ。とは言え、安売り店で専ら四角い“箱入り”の酒を買うのがこちとらの流儀。嫁いで間もない内儀の、鈴を転がすような「今年酒ですよ」の声が聞けたらいいなぁ、と思うばかりである。 (恂)

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朴葉味噌灼けるの待ちて新酒酌む     野田 冷峰

『おかめはちもく』  朴葉味噌焼くるを待てず新酒酌む (添削例)  朴葉味噌は元々は飛騨高山の郷土料理だったが、今では全国各地の山間の温泉宿で供される。掌の二倍もの朴の葉に盛った味噌が炙られ、香ばしい匂いを立てる。これが実に旨い。  大昔の飛騨の冬場はおかずと言えば野菜の古漬けと味噌しか無かった。古漬けを刻み、味噌と混ぜて朴葉に塗り、囲炉裏の火で炙って御飯に乗せて食べたのだ。今の朴葉味噌は豪華そのもの。茸や山菜に飛騨牛が載っているものがある。場所によっては山菜と共に岩魚が焼かれていたりする。  この句の朴葉味噌は何処だろうか。もしかしたら都会の料理屋なのかもしれない。洒落た一人前のコンロに金網が敷かれ、その上に朴葉味噌。「ふつふつとしてきたら召し上がれますよ」と仲居が火をつけてくれる。ほのかに湯気が立ち、香りが立ってくるがなかなかふつふつとはならない。「ええい、ままよ」と、まずは新酒で乾杯、そんな感じがする。  というわけで、「灼けるの待ちて」はいかにもまだるっこい。呑兵衛の気持を思いやれば、やはり「焼くるを待てず」ではないだろうか。(水)

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足音の絶えて秋日の百貨店     流合 研士郎

足音の絶えて秋日の百貨店     流合 研士郎 『この一句』  景気が一向に良くならない。アベノミクスは効果を上げていると当の安倍晋三さんや高級役人は言うのだが、庶民は全くそんな感じを抱けないまま“一億総不満社会”が出現している。  景気を一番実感させる「消費」が盛り上がらない。昨年まで“爆買い”と囃されていた中国人を中心としたアジア観光客の買い物ブームがしぼんでしまった。国内の住民の購買意欲はここ数年底を這いずっている。それやこれやでデパートは四苦八苦。ことに平日のデパートは、デパ地下と言われる食品売場こそかなりの客だが、他の売場は店員の方が多いくらいである。  不採算店が次々に閉鎖されている。首都圏周辺や地方主要都市のデパートがことに良くないようだ。しかし、これらの町ではデパートや大型スーパーが進出したため、昔からの魚屋、八百屋、雑貨店が潰れてしまっている。そのデパート、スーパーが突然撤退、閉店となると、地元住民は当惑するばかりである。日用必需品を求める場所が消滅してしまうのである。  この句はそういった状況を「秋日」を用いて鋭く描き出した。(水)

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好天の秋の日をただ床に臥す     藤野 十三妹

好天の秋の日をただ床に臥す       藤野 十三妹 『この一句』  風邪をこじらせたのだろうか。あるいはギックリ腰といった運動機能にかかわる器官の故障か。それとも長患いに取り付かれてしまったのか。齢を重ねるとこうした句はまさに身につまされる。  俳句の伝統に従って無造作に読み下すと、この句は「好天の秋の日をただ」と上五中七で小休止し、「床に臥す」となるのだが、句意からすれば、「好天の秋の日を」と詠み「ただ床に臥す」とつなげた、二行からなる句と捉えた方がいい。全体としては十五音だが、いわゆる「句またがり」の破調である。山頭火流といったところか。  天高く馬肥ゆる秋というのに、なんたることだろう。魅力的な吟行も旅行会も、親しい友達との久しぶりの銀ブラも断わらざるを得なかった。「いっそのことじゃじゃ降りになってしまえ。くやしいくやしい」という作者の顔が見えるようだ。  しかしこの句は何度か読み返していると、「くやしさ」を通り越しての安心立命といった平静な気配が漂う。「こうしているのも因果応報」と呟く作者のユーモア精神さえ感じる。「ただ」という短い言葉にその秘密があるのかもしれない。味のある句だなあと思う。(水)

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踊り出すからくり時計秋暑し     徳永 正裕

踊り出すからくり時計秋暑し     徳永 正裕 『この一句』  ヨーロッパの古都のからくり時計は時代をくぐり抜け、なんとも言えぬ風情がある。プラハの旧市街広場のからくり時計は実に凝っている。時計の文字盤の背景には太陽と月の運行が表示され、時計の横の死神(骸骨)が定時に鐘の綱を引くと、チンチンチンという音と共に上部の二つの窓からキリストの十二使徒が次々に顔を現す。ミュンヘン・マリエン広場の市庁舎時計の騎士の決闘も実に面白い。スイス・ベルンのは小さいけれど市の紋章でもある熊なんかが現れてなかなか味がある。  日本では八〇年代から九〇年代の高度成長からバブル経済時代、大都市中都市問わず、盛り場にからくり時計をつけるのが流行った。しかし、道後温泉の「坊ちゃん時計」など地方にいくつか出色のものがある他は、首を傾げるものばかりで、ディズニー人形の出来損ないのようなのがくるくる回っている。  この句はそんな現代の暑苦しいカラクリ時計に託して、何から何までちぐはぐな今の世の中を諷しているようだ。巧みな諷喩である。(水)

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