冬日差す有刺鉄線黒々と     中嶋 阿猿

冬日差す有刺鉄線黒々と     中嶋 阿猿 『おかめはちもく』  「有刺鉄線黒々と」とあるから、何か曰くがありそうだとは察しがつくのだが、具体的には分からない。まずは沖縄や横田、厚木などの米軍基地を思い浮かべる人が多いだろう。  どこと特定できないまでも、この句の提示する情景だけで、読者はあれこれと思いを巡らすことが出来るから、それで可ということもあろう。しかし、なんとも物足りない、歯がゆい思いが残る。それが咎めになって、句会では点が入らなかった。捨てがたい思いから作者に聞いてみると、ポーランド旅行で行ったアウシュヴィッツでの写生句とのことであった。  ナチスドイツがユダヤ人、ジプシー、政治犯、精神障害者、同性愛者を強制収容したおぞましい「負の世界遺産」。収容者を「労働者」「人体実験用」「無価値」と仕分けし、「無価値」と判定された女子供老人は即刻ガス室へ、「労働者」も酷使された後は抹殺。かくて150万人が殺された。  それを詠むならば、やはり堂々と固有名詞を詠み込んだ方がいいのではないか。  (添削例) 冬日差すアウシュヴィッツの鉄条網 (水)

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冬めいておのれ一人の長い影     池内 健治

冬めいておのれ一人の長い影     池内 健治 『この一句』  芭蕉に「此道や行く人なしに秋の暮」という有名な句がある。元禄7年9月26日、愛弟子去来の弟子泥足の句集の巻頭を飾るため、半歌仙の発句として詠まれた。既にこのこの頃の芭蕉はこじらせた風邪に悩みながら、無理をして連日、俳席をこなしていた。  体調悪く、気分も優れず、思い悩むこともいろいろあったのだろう。「もう冬の入口のような秋の暮、人っ子一人いない道をとぼとぼ歩んでいます」という淋しさ極まる句である。そして、この句には「所思」という前書が付いているから、通り一遍の叙景句ではあるまい。関西地方の蕉門は仲間割れしたり、芭蕉の説く「かるみ」を理解しない弟子達が多い。それでこうして病身に鞭打って出かけて来た。連れだって歩く人(理解者)の居ない寂寥感が裏打ちされているようだ。  さて、掲出句はどうであろうか。芭蕉句ほど深刻ではないが、そんな雰囲気がそこはかとなく漂ってくる。急に寒さを感じるようになった夕暮れの一本道。自分の影だけがいやに長く伸びている。心細さと焦燥感が募ってくる。(水)

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赤き実をあさる鵯腹太し     高井 百子

赤き実をあさる鵯腹太し     高井 百子 『合評会から』(番町喜楽会) 正裕 うちの庭にはちょうど今赤い実がなっていて、全部食べられてしまうんです。実景ですね。 水馬 まさに写生の句。鵯はたくましくて「腹太し」が合っていますね。 てる夫 以前私は鵯の巣立ちを詠んだことがあるのですが、その連中が今も来るのかなと思っています。           *       *       *  我が家では正月用にセンリョウ(千両)を植えてあるのだが、さて切ろうかと思う歳末の朝、すっかり食われてしまい、悔しがること再三である。  元来は森林地帯に棲息して秋も深まる頃に人里に降りて来る小鳥なのだが、近ごろは一年中見かける。ただ晩秋に派手に鳴き交わしながら雀などを追い散らしているのが目立つので、やはり秋のものという印象が強い。  よく見ると頭の毛が逆立って、いかにもきかん気な風貌である。盛り場をハイカイするふてぶてしい茶髪の兄ちゃん姐ちゃんという感じだ。「腹太し」という表現がぴったりの愉快な句である。(水)

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冬めくや物音のせぬ別荘地     井上 啓一

冬めくや物音のせぬ別荘地     井上 啓一 『この一句』  夏休みシーズンはもちろんのこと、秋が深まってもあれほど賑わい、人々の歓声、歌声、楽器の音、自動車の音、その他もろもろの音が四六時中聞こえていた別荘地。それが11月の声を聞くとぱたりと止む。  山間の別荘地であれば木の葉がひっきりになしに舞い、遠山の頂きは雪をかぶり、あたりは深閑とする。これからは森の動物たちの天国になる。海辺であれば、低く垂れ込めた雲の下、海上遠くにヨットの白帆が見えるほかは、ただ打ち寄せる波の音ばかりという情景になる。  俳句は四囲の状況や物事を視覚を通して描写したものが圧倒的である。このように聴覚を通しての感慨を句に仕立てたものが時に出て来ると、新鮮な印象を抱く。「物音のせぬ」という措辞が少々散文的な気もするが、それが却って、長年慣れ親しんだ自分の別荘のある土地でふと季節の変化を感じ取り、日記でも書くようにそのまま述べた様子が見えて、しみじみとした情感が伝わってくる。(水)

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頼りなき日差し求めて布団干す     山口 斗詩子

頼りなき日差し求めて布団干す     山口 斗詩子 『季のことば』  「布団」「干布団」は冬の季語。布団(蒲団とも)は一年中あるのに、何故冬季とされているのか。昔は寒い冬にしか布団は用いられなかったからだとか、やはり寒い季節こそ布団の有難味をしみじみ感じるからだとか、いろいろ云われている。どれもある程度当たっているように思うが、十分な答えになっていないような気もする。  ただ、小春日の温みを吸ってふっくらした布団に包まれると、極楽気分になることは確かだ。子どもたちは「お日様の匂いだ」とはしゃぐ。というわけで、冬晴れの日には布団干しがよく行われる。「どの家もみな仕合せや干蒲団 鈴木花蓑」という塩梅である。  しかし、今年の初冬は良い天気が続かない。「明日こそは布団干しだ」と思って一晩明けたら、朝からしょぼしょぼ降っている。それが二、三日続いて、ようやく雲間からお日様が顔を出した。いかにも冬陽の感じで、まことに頼りないが、それでもそれを拝むようにして干すのだ。(水)

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冬めくや駅に手作り小座布団     玉田春陽子

冬めくや駅に手作り小座布団     玉田 春陽子 『季のことば』  「冬めく」は「なんとなく冬らしい感じになったなあ」という初冬の季語。今年は秋が無くていきなり冬が来たような妙なお天気続きで、11月7日の立冬前後は朝晩など暖房を入れた。いきなり冬めいてしまったのであった。  これは田舎を走る単線電車(あるいはディーゼル車)の小駅であろう。もしかしたら改札口に箱がぶら下がっていて、「キップはここに入れて下さい」と書いてあるような無人駅かも知れない。  誰もいない待合室は冷え冷えとしている。次の電車までまだ二十分以上もある。ふと目をやると古びた木のベンチに小さな座布団が三つ四つ並んでいる。近所の人たちがせっせと縫って置いてくれたに違いない。朱い花柄の可愛い座布団に腰掛けると、温みが伝わって来る。その村全体がいかにも住みやすそうな村のように感じられ、心がなごむ。  「冬めく」という季語の感じをとてもよく伝えてくれる佳句だ。(水)

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禿頭に冬めく風の触れにけり    田中 白山

禿頭に冬めく風の触れにけり   田中 白山 『おかめはちもく』 禿頭の冬めく風に触れにけり(添削例)  当欄「みんなの俳句」に『おかめはちもく』が新たに登場したのは本年八月の半ば。以来、(水)氏と不肖私・(恂)が一週置きに担当、試行錯誤を繰り返しながら、次第に形式が定まって来た。そして今回、もう一つ新趣向が登場した。合評会のコメントを生かした“合議制”である。  句の作者・白山氏の加入する「番町喜楽会」は句会の二回に一度、酒と肴の店を会場にしている。選句・披講まではアルコール禁止。合評会から解禁となり、にわかに賑やかになっていく。この句が「俎板」に乗った時は題材が題材だけに、何人もがしゃべり出し、録音が聞き取れなくなる有り様だ。  そんな中、廣田可升氏がふと口にした言葉で会場が鎮まった。「これ、“に”と“の”を入れ替えたら・・・」。皆さん、頭の中で「禿頭の冬めく風に」と変えてみたようだ。「その通りだ」「この方がいい」などの声が相次ぐ。作者は「この形も考えたのだが」と言いながら、快く変更に同意した。(恂)

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頼りなき日差し求めて布団干す  山口斗詩子

頼りなき日差し求めて布団干す  山口斗詩子    『合評会から』 春陽子 ウチのかみさん、布団を干す曜日や時間を決めています。やはり「日差し求めて」ですね。 水馬 今年の天気はちょうどこの句のような感じだから、句にリアリティがあります。 水牛 「布団干す」は冬の季語で、今日(11月7日)は立冬だ。この時期なら確かに日差し求めて、でしょう。陽に干すと布団が膨らみ、太陽の匂いが充満する。 何人かが口々に  そう、布団干しは何と言っても陽の匂いですよ― あれがなくてはなぁ― 膨らんだ布団に顔を埋めた時の幸福感― 布団乾燥機じゃ、そうはいかない― 流石の通販も陽の匂いは言えないよ―         *           *  かつて、この時期の晴れた日は、住宅街のあちこちから布団を叩く音が聞こえていたものだ。しかしあれはもう、過去の音と言ってもいいだろう。「強く叩くと中の綿が破壊される」などの情報が行き渡ったためだけではなかった。騒音被害が問題になり、賠償命令を受けた例もあったという。「ウチの場合、干したくても陽が当たらない」との声も聞いた。布団乾燥機の人気は・・・、そういうことであったか。(恂)

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午後からは時の駆け出す暮の秋     田中 白山

午後からは時の駆け出す暮の秋     田中 白山      『合評会から』 双歩 「釣瓶落とし」と同じことを詠んでいるのですね。「時の駆け出す」はちょうど晩秋、初冬の感じで、とてもいいですね。「暮の秋」によく合っていると思います。 春陽子 そう、私のコメントも全く同じです。この句、「時の駆け出す」に尽きますね。 厳水 言うことに芸がないけれど、以下同文です。 水馬 しかし「午後からは」も斬新な使い方ですよ。すぐ暮れて行く頃の雰囲気をうまく詠んでいます。 而云 ちょっと格好付け過ぎか、とも思ったが・・・。「午後からは時の駆け出す」。感じが出ています。 斗詩子 秋になると、本当にこんな感じですね。ただ「暮の秋」と「秋の暮」はどう違うのか・・・。          *             *  「暮の秋」は秋の終わり。一方「秋の暮」は秋の夕方、夕暮である。秋の季語の区分は「初秋」「仲秋」「晩秋」に分かれ、秋全体を表す「三秋」もある。すなわち「暮の秋」は「晩秋」に属し、「秋の暮」は「三秋」に・・・。こんな説明をしたら「余計ややこしくなる」と文句を言われたことがあった。(恂)

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秋の日や明るく染める髪の色     久保田 操

秋の日や明るく染める髪の色     久保田 操 『季のことば』  もちろん俳句を通じて、ということだが、齢八十近くなって初めて知ることが多い。女性でも男性でも、髪を染めていることは知っている。白髪を黒くするだけではなく、女性には茶色に染める人もいる。若い女性なら金髪にもする。我々世代の男性の認識はおおよそこんなものだろう。  ところがこの句、秋の日だから明るく染めるのだという。そういうものか、と驚いた。女性は季節に合わせて髪の色を変えてしまうのである。今日は晴れだから、曇りだから、ということもあるのだろう。髪の色ひとつにしても奥が深い。誤解を恐れずに言おう。やはり男性と女性は違うのだ。  明るい髪の色が最も似合う季節は? 句を読んでから、秋が一番だと気づいた。女性は季節感、色彩感覚に優れているらしい。すなわち男は、このようなことを女性から教わっているのだ。もう一つ、女性に教えて貰いたいことがあった。文化勲章・草間弥生の真赤な髪の毛。あれは何でしょうか。(恂)

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