日銀の屋根蒼蒼と十三夜     横井 定利

日銀の屋根蒼蒼と十三夜     横井 定利 『合評会から』(日経俳句会) 光迷 どこから見たのか十三夜の結構な時刻の日銀の屋根。あれは綺麗な緑青ですから。(「ライトアップしている」との声) 而云 日銀の屋根はそんな感じだ。ただ「蒼蒼」は「そうそう」と読んでしまうから「あをあを」の方がいい。 智宥 都内の月夜だとニコライ堂なんかになるけど、日銀を見つけたのがいいな。日銀の雰囲気が出るので、私は「蒼蒼」と二つ重ねた方がいいと思う。 正裕 「十三夜」というのは十五夜じゃないということ。黒田日銀の金融政策が満足できる状況でないとも取れる(笑い)。           *       *       *  日本橋のはずれ、神田駅に近い一角を占めて、ものものしい石造りの城郭のような日本銀行。日本の金融界の総元締。しかし、アベノミクスの片棒担いで破天荒な金融緩和政策を打ち出したはいいが、一向に効果を発揮しない。緑青の屋根もなんとなく塩垂れた感じである。(水)

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コスモスのおじぎの先に道祖神     中村  哲

コスモスのおじぎの先に道祖神     中村  哲 『季のことば』  コスモスはメキシコ原産のキク科の一年草。幕末から明治初年、日本に持ち込まれたという。とても強い草花で、こぼれ種から毎年生えては人の背丈ほどに伸び、花咲かす。初秋から霜の降りる晩秋まで、白、ピンク、濃い紅色の美しい八弁花を次々に開く。地味な秋の草花の中で目立つせいか「秋桜」という別名がある。  この句は10月8,9日に農民ロケット「龍勢」を見に秩父に吟行した時の作品だが、民家の庭先や路傍、休耕地などにコスモスが盛んに咲いていた。  秩父は繭、生糸を媒介に幕末から明治初頭大いに栄え、生糸の国際市場リヨン、シカゴなどとつながっていた。そのせいか自由民権思想がいち早く根付き、農民蜂起の秩父困民党事件のきっかけともなった。この可憐に見えるが実は強かな洋花も、此処には意外に早くから入っていたのではと思ったりした。  古代には金や銅を産出し奈良の大仏鋳造に一役買い、江戸時代には観音霊場の巡礼地、近代は石灰石、セメント製造と、連綿と存在感を示してきた秩父。道祖神とコスモスがしっくりと同居して良い雰囲気を醸す山里である。(水)

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工場の狭間といへど稲の秋     大下 綾子

「おかめはちもく」 工場の狭間六間稲の秋(添削例)  工場と工場の間に伸びる細長い土地なのだろう。そんな場所が豊作の秋を迎えているのだ。東京から西へ向かう新幹線の窓から見つけたという。句を見たとたん、風景が目の前にありありと浮かんできて、選ぼう、と思ったが、最後にやめてしまった。「といへど」が気になったのである。  「そんな狭い所なのに」というような気持を入れないで、そのように読者に思わせるのが俳句の常道だと思っている。本欄を私と交互に担当する(水)さんも、合評会で「“いへど”などは理屈っぽくなる」と話していた。しかし何人もがこの句を支持しており、元のままでいい、と考える人もいるに違いない。  とりあえず中七を「狭間六間」と変えてみた。工場の間の稲田なら、こんな幅が適当と思ったからだ。メートル法は字数の関係で使えず、若い人たちにはピンとこないだろうが、仕方がない。添削して「これでいいのかなぁ」とよく思う。「添削例」という語から、そんな気持ちを汲み取って頂きたい。(恂)

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基礎科学楽しむ友にノーベル賞     澤井 二堂

基礎科学楽しむ友にノーベル賞     澤井 二堂 『季のことば』  句を見た時、作者は誰? と思った。「基礎科学を楽しむ」ならば、ノーベル賞受賞者は「オートファジーの研究」の大隅良典先生に違いない。しかし句会に並んだ二十人余りの顔を見渡しても、先生の友らしき顔は見当たらない。合評会後、作者が明らかになった。私(筆者)のすぐ横に座る二堂氏であった。  大隅先生は東大理科二類に入学後、教養学部に新設された基礎科学科に進み、そこで作者と同級になった。ところが作者は教官から「科学者は遅々として進まぬ研究を楽しむようでなければ」と言われ、別の学科に転じてしまう。その結果、「大隅君は科学者になり、私は科学記者になった」そうである。  ところでこの句、季語がない。作者は季語をいろいろ探したが「どれもしっくりこなかった」という。そこで気付いた。「ノーベル賞自体が季語になるのではないか」。毎年十月に発表され、大きな話題になり、爽やかな感激を与えてくれるノーベル賞。なるほど、季語の条件は十分に備わっている。(恂)

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秋日濃し青春の古書整理かな     大熊 万歩

秋日濃し青春の古書整理かな     大熊 万歩 『この一句』  「青春の古書整理」と言われては、さまざまな思いを込めつつ、頷かざるを得ない。改めて書棚に並ぶ本を眺めてみた。懐かしさ、甘酸っぱさが胸中に広がって行く。例えば世界文学全集、例えば大学卒論の参考書類、例えば何のために買ったのか忘れてしまった新・旧約聖書などなど。  もう読むことはない本が多いのだが、処分出来ずそのままになっている。書棚はすでに満杯状態だ。本がすき間なく並び、各段の上のすき間には、読み終えたばかりの本などが横積みに押し込まれている。何とかしなくては、と思っていたのだが、決断が出来ないまま現在に至った。  ある一日、棚から出して座敷に並べてみた。どの本も懐かしく捨て難い。ぱらぱらと頁をめくると、目が自然に活字を追い出してしまう。しかしもう決断しなければ・・・・処分候補を積み上げながら考えた。これ、書棚の整理なのかな、終活なのかな。人生も「秋日濃し」の時期である。(恂)

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われは喜寿傘寿の君に今年酒     大倉悌志郎

われは喜寿傘寿の君に今年酒     大倉悌志郎 『合評会から』(日経俳句会) 大虫 「君に」だから、奥さんがご主人に新酒を一献差し上げている光景かな。三つ違いもいい感じです。 哲 新酒と年齢を詠んだのが三句ほどあったが、この句は二人の関係をいろいろ想像させます。後輩が先輩へ、なのか、年上の奥さんへ、でもいい。ともかく喜寿、傘寿まで元気で新酒を飲めるのは羨ましい。 正裕 大虫さんの解釈が正しいのかなと思いますが、「喜寿傘寿」で、ほのぼのとして目出度い句です。 双歩 本句会は平均年齢が高いから「喜寿傘寿」はよく詠まれる(笑い)。友達同士かなと思いましたが、もう先輩後輩もなく、一緒にやっているのでしょう。 睦子 私は「~の君」という言葉の響きがとても好きなのです。でも「喜寿傘寿」はもっと好きです。             *          *        ある句友がつぶやいた。「九十歳くらいまで俳句を作っていたいなぁ」。それを耳にした者が「“卒寿(九十歳)まで俳句を楽しむ会”を作ろうか」。数人が「いいね、やろう」と賛同し、何やら相談を始めた様子。果たして話し合いはまとまるのか、どんな会になるのか。結果が出たら、何らかの形でお知らせしたい。(恂)

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秋の日やローカル線の音通る     高石 昌魚

秋の日やローカル線の音通る     高石 昌魚 『この一句』  世に鉄道ファンは非常に多い。俳句愛好家にも相当な割合を占めているようで、鉄道の句となると、出来に目をつぶってまで選ぶ人もいるらしい。題材がまた豊富である。新幹線、特急から在来線、単線、無人駅、廃線の錆びた鉄路と、マイナーになるほど鉄道好きの心に訴える力が増して行くという。  とは言え、さほどのファンでない場合、ありきたりの句だと、さすがに冷ややかな目で見るようになる。この句の場合はどうだろうか。秋の日のローカル線である。雰囲気のいい好感の持てる題材だが、上五、中七あたりあたまでは、読み手に「またか」の反応が生まれてしまうかもしれない。  しかし下五で「おー、なるほど」と思わせる意外性を用意していた。車両ではなく、「音」が通って行くのである。それだけで句の印象が全く変わり「いいなぁ」という思いが生まれてくる。秋晴れの午後だろう。句の主人公は筆を持つ手を留め、耳を澄ましている、などと考えてしまうのだ。(恂)

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秋入日毛虫も急ぐ遊歩道     杉山 智宥

秋入日毛虫も急ぐ遊歩道     杉山 智宥 『季のことば』  遊歩道を毛虫が急いでいる。自宅近くの散歩用の小路だろうか。秋の日が傾きかけ、すぐにも暮れそうな時刻である。「毛虫も」とあるように、作者自身も急ぎ足だったのだ。つまずかないように、と気を付けて足元に目をやると、毛虫が伸び縮みしながら、一生懸命に進んで行くのであった。  子供の頃、毛虫のこんな動きをよく見たものだ。いつもはゆっくりと動いているだけに、急ぐのにはそれなりの事情があるのだろう。晩秋で、しかも日が沈みかけている。ともかく急げ、という本能に駆られているのか。そんな時期、時刻だから、毛虫の動きが気になってしまうのかも知れない。  毛虫は夏の季語である。「秋入日」との季重なりを気にする人がいるのではないだろうか。しかしこの句の季語は「秋入日」で動かない。毛虫は晩秋に生れたという運命を背負っているのだ。果たして安全な場所にたどり着くことが出来るのか。作者はしばらく毛虫の動きを見守っていたのだろう。(恂)

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古民家にひとつふたつのきりん草     池内 健治

『おかめはちもく』  古民家に一本二本きりん草 (添削例)  この句も十月八、九両日に吟行した秩父での写生句。龍勢祭が行われる吉田地区は秩父駅からさらにバスで四十分の山奥、明らかに過疎化が進んでおり無住の民家が散見された。  この句のキリンソウは正式には「アキノキリンソウ」。高さ五、六十センチで頭に房状の黄色の花を咲かせる。近年はセイタカアワダチソウという似たような草姿だが二辰砲發覆覲依莠錣類慳圓平∧に負けてしまい、古来のアキノキリンソウはこうした山間の村に細々と生き長らえている。頑張ってるなあとの作者の思いがよく表れた句だ。  ただ「ひとつふたつの」がどうか。草木を数えるにはそぐわないのではないか。作者は、キリンソウがおとなしく咲いている様子を印象づけようと、こう詠んだのかもしれない。しかし、幼児ことばのような感じがしてしまうので、ここはやはり「一本二本」とした方がいい。「・・ぽん・・ほん、きりん・・」という響きが、ぽつりぽつりの感じを増すようにも思う。(水)

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秋雨に白き涙の武甲山     岡田 臣弘

秋雨に白き涙の武甲山     岡田 臣弘 『合評会から』(秩父龍勢吟行) 正裕 石灰岩を溶かす秋雨を「白き涙」とは、情緒たっぷり。 涸魚 石灰の白い筋を涙ととらえたのが秀逸。 冷峰 高校時代に雁坂峠を越えて武甲山に登りましたが、あの雄大な姿は今はなく、かなり削られてきた。岩肌に白い涙、よく読んでくれました。 双歩 駅前にそびえる異形の山、武甲山は雨に煙っていかにも泣いているようでした。           *       *       *  西武秩父駅前の広場に立つと、武甲山の深くえぐられた姿が目に入る。一行が龍勢見物を終えて駅に戻った時にはぼんやりと霧がかかり、まさにこの句そのままだった。江戸時代には観音霊場だったこの山村は、明治以降、石灰岩採掘、セメント製造で、鉄道が通り、一気に賑わいの町になった。今や産業構造の変化で、セメントの町から再び観音霊場巡りの観光都市に返った秩父。削られて身を細めた武甲山がそれを見つめている。(水)

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