かき氷煉瓦の駅の喫茶店      徳永 正裕

かき氷煉瓦の駅の喫茶店      徳永 正裕 『合評会から』(番町喜楽会) 水牛 この間、秋葉原の旧・万世橋駅付近のガード下の喫茶店に入ったら、煉瓦造りのしゃれた店でね。若い人が多く、私は肩身が狭かったけど、この句はまさにその雰囲気だ。いい句だと思います。 光迷 山手線(東京・JR)は新橋から秋葉原までが煉瓦造りで、最後に東京駅が出来た。この俳句の喫茶室は東京駅の虎屋じゃないかなぁ。たまにカミさんと行ったりしていますが。 百子 私も東京駅の虎屋かと思います。年配の人がかき氷なんか食べていますよ。穴場の雰囲気があります。 てる夫 涼しそうですな。深谷(高崎線・埼玉県)の駅かな。「煉瓦の駅」と「かき氷」が効いています。 春陽子 深谷駅にこんな喫茶店があったかな。とにかく煉瓦造りの喫茶室がいいですね。 満智 この店に行きたい! 東京駅でしょうか。それとも小さい駅かしら。(作者によれば東京駅の虎屋です)           *          *  私(恂)も蘊蓄を披歴したくなった。深谷は日本煉瓦製造発祥の地。重要文化財のホフマン輪窯が残り、深谷駅は美しい煉瓦造りだ。山手線のガードなどには明治時代の深谷製煉瓦が今も沢山残っている。(恂)

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なまこ塀灼けて潮の香匂ふ町     廣田 可升

なまこ塀灼けて潮の香匂ふ町     廣田 可升 『合評会から』(番町喜楽会) 春陽子 西伊豆の松崎でしょうか。なまこ塀が灼けて潮の香が匂ってくる。美しい句ですねぇ。 正裕 いいですねぇ。なまこ塀の商店街から潮の香、場面の展開がよくできています。 光迷 松崎には美術館や古い呉服屋、小学校もあった。潮の香が漂ってきて、まさしくこんな感じでした。 双歩 なまこ塀は、俳句ではよく使われる素材ですが、この句はうまいですね。場面の転換が本当にうまく出来ている。海辺の近くの景が浮かびます。 大虫 松崎に行った時、確かに潮の香を感じました。海藻が渇いて「灼ける」匂いでもあるのでしょう。 斗詩子 夕日のギラギラ照り付ける海辺の街並みがすっと浮かんできました。 百子 私はしーんとした海辺の町を思い浮かべました。           *             *  なまこ塀(壁)は日本各地にあるのに「西伊豆の松崎」と推定した人が多く、実際にその通りであった。私も学生の頃、松崎へ行っているが、なまこ塀の印象は薄い。俳句を始める前だったからだろうか。(恂)

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灼くる日の真田隠し湯鉄の色     高井 百子

灼くる日の真田隠し湯鉄の色     高井 百子 『この一句』  真田の隠し湯なら、信州上田近辺と想像がつくが、どこにあるとか、一族の誰それが入ったとかいうようなことはこの際、考えなくてよさそうだ。作者は晩夏の灼くる日の夕べ、隠し湯と呼ばれる鄙びた温泉に身を浸した。その湯が「鉄の色」をしていた――。一句の全てはそこに集約されている。  湯の色が茶色や黒色の温泉は決して珍しくない。私がかつて泊まった秩父の奥の温泉は真っ茶色だったが、宿の主人によると、近辺の湯はみな同じような色だという。のんびりと長湯し、「一句ひねろうか」などと思ったが、ものにならなかった。山の宿の「茶色の湯」から一歩も先に進まなかったのだ。  ところがこの句は、茶色の中から「鉄の色」という語を抽き出した。武将の甲冑や面頬(めんぽお)などに見る黒褐色なのだろう。己の命を守る武具だから、手入れは十分。磨き上げた底光りを放っているに違いない。真田一族の隠し湯だからこそ、そのような「鉄の色」を想像させるのである。(恂)

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神々の住まふ出羽の地蝉しぐれ    渡邉 信

神々の住まふ出羽の地蝉しぐれ    渡邉 信 『合評会から』(三四郎句会) 敦子 神々の住まうのは出羽三山、月山、羽黒山、湯殿山でしょうか。この句にはあの山々の雰囲気があります。蝉しぐれが効いていて、とても気に入りました。 久敬 出羽という古い国名がいい。ちょっと芭蕉の句みたいですね。 而云 そう、芭蕉の「閑かさや」の句を思い出す。あの句が出来た山寺(立石寺)も出羽ですね。 信(作者) この前、山寺や羽黒山などに行った時、蝉はまだ鳴いていなかった。しかし鬱蒼とした山の様子を眺めていると、蝉しぐれが実際に聞こえてくるような気がしました。               *            *  東京方面から仙台経由・仙山線で山寺へ行くとする。誰でも「閑かさや岩にしみ入(いる)蝉の声」(芭蕉)の句を思い浮かべるだろう。続いて月山、羽黒山などを訪れるとどうか。それぞれの地の芭蕉の句が浮かび、山寺のことも蝉のことも忘れてしまう。ところがこの句は山寺から出羽三山をも覆うほどの「蝉しぐれ」を詠んだ。「奥の細道吟行」的な感覚では思いつきにくい、大きな網の掛け方である。(恂)

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駱駝みな瞑りてをり天の川     今泉 而云

駱駝みな瞑りてをり天の川     今泉 而云 『季のことば』  七夕祭りは東京近辺では七月七日に行われているが、これは明治五年に実施された改暦によって機械的に新暦(太陽暦)に移してしまったものである。しかし、太陽暦の七月七日はまだ梅雨の最中で、天の川はほとんど見えない。旧暦ならば、例えば今年は八月九日が七夕だったから、空気の澄んだ場所なら天の川がきれいに見えたはずである。とにかく俳句では七夕も天の川も秋の季語である。  銀河がほぼ頭の上に来る晩夏から秋の夜空は澄みきって美しい。この句について、番町喜楽会では「月の沙漠の童謡を思い出した」「アンリ・ルソーの絵の雰囲気だ」という感想があった。確かに幻想的な絵巻の一コマを見るような句であり、句会でも大変に評判が良かった。  私は34年前、オーストラリア中央部のアリススプリングスで仰ぎ見た星空を思い出した。地平線から中天まで満杯の星で、妙な言い方だがプラネタリウムに居るような感じだった。この地には十九世紀末、英国人が内陸砂漠開拓のために導入した駱駝の子孫がたくさん増えていて、その専用牧場もある。まさにこの句の雰囲気であった。(水)

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湿原は光はしゃいで夏休み     河村 有弘

湿原は光はしゃいで夏休み     河村 有弘 『この一句』  子どもたちが賑やかに駆け回っているとか、若い女性の明るい笑い声が聞こえるとか、夏休みのお定まりの情景を一切言わず、湿原の湧水に小波が立ち日の光が乱反射している、とだけ述べている。それだけで夏休みの小躍りするような感じを十分に伝えている。「光はしゃいで」という言い方が功を奏した。  近ごろの若い親たちは子どもと同じように、あるいは子ども以上に野外で楽しむ術を心得ているが、団塊世代以上の、ことに男親は「子どもと一緒の夏休み」に不慣れでぶきっちょだ。一年に一度の夏休みの家族旅行といっても、どうも場違いな感じでうろうろするばかりである。  ましてや孫も加えた三世代となるとますます大変。連れ合いは「おばあちゃん」とか「グランマ」とか呼ばれて大いに楽しんでいるが、こちらは蚊帳の外。まあそれも大いに結構、「仕事一途」を隠れ蓑に、家族を放り出したまま半世紀近くも自分勝手に過ごしてきた罰である。オジイチャンは湿原を吹き渡る風に身を任せていればいい。(水)

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友逝きて独りのビール常の席     大倉 悌志郎

友逝きて独りのビール常の席     大倉 悌志郎 『合評会から』(日経俳句会) 大虫 一人になりたい。一人で飲みたい。そんな時に居場所があるのはよいことだ。私もやっているので共感した。 智宥 「友逝きて」というのは我々の句作りの定番であり、作為も感じたが、これはうまく収まっている。 てる夫 一人でビール一本は持てあまし、味気ない。楽しくさわやかな感じもない。しかし亡き友を偲んで飲むビールとはそんなものかな、雰囲気があるなと思った。 哲 ドラマを見ているような感じがする。友人といつも来た所か、一人で来るカウンターか、どちらだろうなどと想像しながら採った。 正裕 亡友と飲みに来たのと同じ席だろう。常の席が効いている。 弥生 友と飲んでいた常の席ならば、ビールではなく日本酒ではないかと思うのだが、まあビールということもあるのかなと・・。           *       *       *  皆さん言われる通り、「しみじみ」そのものの句だ。(水)

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ゴキブリが挨拶に来る土用かな     金田 青水

ゴキブリが挨拶に来る土用かな     金田 青水 『合評会から』(日経俳句会) 定利 「挨拶に来る」に俳諧味がある。 臣弘 ユーモラスな句だ。ゴキブリが「こんにちは」と言ってやってくる。「この野郎叩き殺してやる」といった面白い会話が出てくる。 悌志郎 ゴキブリも好きな人がいるんだな、面白いと思った。 てる夫 土用の雰囲気がよく伝わってきますね。           *       *       *  いったいどこから入って来るんだろう。深夜、わが書斎にも現れることがある。あちこちに本が積み上げられ、一升瓶が林立し、煎餅の空き袋がゴミ箱からはみ出したりしている。きれい好きが卒倒するに違いないような状況だから、ゴキブリにはさぞや魅力的だろう。  パソコンに向かって原稿を書いていて、ちょっとひと思案。大ぶりぐい呑みをぐびりとやって、ふと足元を見ると、音もせで来ている。確かにコンバンハと言っているようにも見える。右足元の殺虫剤の缶にそーっと手を伸ばして、掴んで、振り向いたら消えていた。(水)

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ひと気なき浜に崩るる土用波     中村 哲

ひと気なき浜に崩るる土用波     中村  哲 『季のことば』  「土用波」は夏の土用の頃に、主に太平洋岸に押し寄せる大波、高波を言う。これは南方海上に発生する台風による波のうねりである。  南方海上に熱帯低気圧が生まれ、それが台風に育っても日本列島はまだ平穏で、夏の海は穏やかである。そこへ突然高波が押し寄せて、水遊びしていた子どもを引き攫っていったりする。それで、親は子どもたちに「土用波が来るからね、膝のところまでしか入っちゃいけませんよ」と言い聞かせる。それはとにかく、この頃になるとクラゲが湧いて来たりして、海水浴もあまり楽しくなくなる。海の家も十分稼いだ所から順に閉じて行く。  というわけで、八月も半ばを過ぎるとあれほどの賑わいを見せていた浜がすっかり静かになる。吹く風も心なしか秋の気配で、寂れた感じが漂う。  この句は頭からすっと詠み下したいわゆる「一本俳句」で、無理にひねりを効かせたり、関係無い二物を取り合わせて「どうだい分かるかい」と鼻うごめかすような嫌味がない。何でもない平明な詠み方で、この時期の浜の雰囲気を実にうまく伝えている。(水)

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鉄瓶で紅茶を淹れて土用入り     池村 実千代

鉄瓶で紅茶を淹れて土用入り     池村 実千代 『この一句』  本日八月七日は立秋。昨日までの十八日間が夏の土用だった。土用が明ければ秋ということになって、デパートの贈答品コーナーは「残暑御見舞」となるのだが、日本列島はこれからが猛暑本番である。  この句、土用に入ったところを詠んだものだが、「心頭滅却すれば」などという言葉が浮かぶ今日あたりにも十分通用する。なるほどなあ、こんな風に一手間掛けて、灼熱の太陽から気を逸らす優雅な方法もあるんだなあと感心する。鉄瓶で淹れると言っても、何も紅茶を鉄瓶に直にぶち込むような乱暴をするわけではない。鉄瓶にたぎった湯で紅茶を淹れたというのである。どうやら茶道の心得が感じられる。  鉄瓶や茶釜で湧かした湯はまろやかになる。これで猛暑日の昼下がり、お茶など点てて、というのが風流の極致。しかし、さすがに炎天下の野点は御免被りたい。エアコンの効いたリビングで、それも今日は紅茶とケーキでね・・・オバサマ方の談笑が聞こえてくるようだ。(水)

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