夕立の止みて露(あらわ)に嵐山     久保田 操

夕立の止みて露(あらわ)に嵐山     久保田 操 『この一句』  「露」と書いて、なぜ「あらわ」なのか。辞書類の中に、その元かも知れない「露骨」という語を見つけた。本来は「戦場に骨をさらすこと」で、内側のものが外に表れることだという。夕立後は確かに山がはっきりと見える。この句、夕立の後に“本来の嵐山”が浮き出てきた、と言っているのだろう。  京都・嵯峨の嵐山。古来、紅葉と桜ばかりが称揚され、夏、冬の評価はぐんと低くかったが、山の実態は松に覆われている。夕立の止んだ後であった。天竜寺の門前を過ぎて渡月橋を渡り出すと、作者の眼前に嵐山が現れたのだろう。以前よりくっきりとしていた。山容も大きく、どっしりと見えた。  「六月や峰に雲置く嵐山」(芭蕉)。去来の別亭・落柿舎での作とされる。六月は現在の七月から八月の初め、夕立の後であった。俳句の常識を打ち破って来た芭蕉は、紅葉や桜より、青松に覆われた雨後の嵐山に大きな魅力を見出したに違いない。作者・操さんは芭蕉と同じ嵐山を見ていたのである。(恂)

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点滴といふ名の鎖夏の月     大石 柏人

点滴といふ名の鎖夏の月     大石 柏人 『合評会から』(酔吟会) てる夫 点滴を「鎖(くさり)」と詠んだとこところに着目せざるを得ない。病室に月が射し込んでいるのか。点滴の苦役にさらされているような、冷たい感じが出ていています。 正裕 夏の入院ですよね。寝返りも身動きもままならない、鎖に繋がれたような感じなのでしょう。点滴を鎖と捉えたのがユニークだ。身動きのできない夏、というところですね。 春陽子 「鎖」は実感でしょう。この状況の対比として「夏の月」も効いている。 水馬 やはり「鎖」がいいですね。夏の月は暗くなく、病状に苦笑い、のペーソスを感じさせます。 而云 「点滴の鎖」には「命の繫がる鎖」という意味があるのかも知れない。 涸魚 作者は脳梗塞で入院したのですが、一週間ほどでよくなったそうですよ。              *        *  作者は左手に麻痺がある、と気づき、即座にタクシーで病院へ。早期発見、早期治療によってすぐに回復した。送って頂いた入院中の俳句の中に、この句はない。「句会に出そう」と決めておられたのだろう。(恂)

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相模湾沖にヨットの帆々々々々     玉田 春陽子

相模湾沖にヨットの帆々々々々     玉田 春陽子 『季のことば』  ヨットは夏の季語。昭和のはじめの古き良き時代に季語に取り上げられたが、間もなく戦争騒ぎで「贅沢禁止」と国防上の問題から沿岸を小舟がうろちょろすることが禁じられて姿を消した。昭和三十年代になり世の中が落ち着いて来ると各地でヨット遊びが復活した。  無論金のかかる遊びだから最初は戦後の闇成金、徴税の網の目をうまく潜った財閥の末裔、高級官僚の子弟などが横浜から三浦半島、湘南海岸にかけて、颯爽と帆を操り、いわゆる「太陽族」として話題となった。その後幾星霜、バブル時代を経て、新たに台頭したIT成金などが葉山、逗子、鎌倉、藤沢かけて遊弋している。近ごろは20人くらいで一艘のヨットを共有するクラブなんていうのも生まれ、微笑ましくもいじましいヨット遊びもあるようで面白い。  とにかく、これは江の島あたりにいっぱい繰り出している風景であろう。「ほほほほほ」の機知を可とするか不可とするか、これがこの句の評価の分かれ目である。似たような句に「あまなっとうのふふふ・・」とかいうのがあったように思うが、それよりは良さそうに思う。(水)

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天道虫息吹きかけて飛ばしけり     星川 佳子

天道虫息吹きかけて飛ばしけり     星川 佳子 『季のことば』  果樹や野菜を丹精込めて作っている者にとって一番憎らしいのがアブラムシとカイガラムシである。どちらも非常に小さくて、いつ湧き出したのか分からない。いつの間にか葉や枝にびっしり取り付いて、樹液を吸い、煤病菌をはびこらせ枝葉を黒くして弱らせてしまう。木の実には黒い斑点を付けてしまう。  この憎らしき害虫を食べてくれるのが天道虫だ。直径1センチ足らずの半球形で、真っ赤な身体に黒い星を浮かべている。時には黒地に赤い星のもおり、黄色地に黒星もある。とにかく可愛らしい姿で子どもにも人気がある。アブラムシが出現する四月頃から秋一杯、盛んに庭や菜園を飛び回る。  しかし天道虫は一所に留まってそこの害虫を取り尽くしてくれるわけではない。腹が一杯になればどこかへ飛んでいってしまう。そこで遠くへ飛んで行かないように、羽根があまり伸びない天道虫を作り出そうと実験を重ねる研究所も生まれたという。この句の天道虫は逆で、とても人なつっこい。腕に留まって離れようとしない。「お前さん、いい加減に飛んで行きなさい」ふーっと息を吹きかけたら、思い出したように青空に飛び立った。(水)

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泣き止まぬ次女と三女の夏の夜     大平 睦子

泣き止まぬ次女と三女の夏の夜     大平 睦子 『季のことば』  季語には「本意」(ほんい)というものがある。そのものの本質、特性、言い換えると、もっともそれらしいと万人が思うような在り方である。たとえば「夕立」の本意はと言えば、「急に降り出して間もなく止み、その後は涼しく蘇生の思いを抱かせる男性的な雨。慌ただしさ、驚き、豪快、爽やかさなどを感じさせるもの」といったところであろう。そこで、句の中に「夕立」と置けば、そうした感じは全て言い尽くしたことになる、というのが俳句作りの約束事だ。  さて、「夏の夜」という季語だが、「夕立」のようにはすっきりと本意が掴みにくい。常識的には、昼間の炎暑から一転涼しい風が吹き、澄み渡った空には星や月が浮かぶといった「気持の良さ」を表すのだが、そうとばかりも言えないのが難しいところだ。暑苦しく、寝苦しいのもまた夏の夜の特徴だからである。  この句は暑苦しい夏の夜である。次女が泣き出したら三女まで連れ泣きし始めた。長女は知らん顔している。母親は「もう嫌っ、どうとでもしなさい」と開き直っている。「夏の夜」の一面を実によく描き出していて、若いお母さんには悪いが、思わず笑っちゃう。(水)

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七月の空へ空へと山育つ     大下 綾子

七月の空へ空へと山育つ     大下 綾子 『合評会から』(番町喜楽会) てる夫 くどくど説明せずに、緑濃くなる七月の山、上へ伸びて山が大きくなっていると。山と空の色が見える。 百子 毎日山を見ている暮らしですから、この感じ良く分かります。 二堂 枝も葉も七月の空へ向かって伸びて行きます。 満智 「空へ空へ」という繰り返しが伸び伸びした感じで気持がいいのと、「山が育つ」という擬人化表現が新鮮だなと思いました。自然を描写するのに、こういう風にするんだなと感心しました。 健治 私も「空へ空へと」という言い方に勢いがあっていいなと思いました。 光迷 そうですね、自然の、元気な様子がよく表されて、こっちも爽快になってきます。           *       *       *  七日の当欄に登場した「七月の雨の精気よ森太る 大虫」が梅雨をたっぷり吸い込んで太る森の様子を詠んだのに対し、こちらは梅雨の晴れ間か梅雨明けか、真っ青に晴れた空へと伸びる木々の清新な姿。七月の天気の両面を交々詠んで、どちらも面白い。(水)

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十八歳一票背負ひ半夏生     野田 冷峰

十八歳一票背負ひ半夏生     野田 冷峰 『この一句』  「これが俳句か」という論難があるかも知れない。しかし私はあえてこの句を採った。大筋では俳句は花鳥諷詠の文芸だと思っているのだが、やはり、時代相を映す句を詠むことも大事なのではないかと思う。これを「詩」に昇華せしむるのは至難の業で、大半は後世に残るような作品足り得ないものに終わるとしても、詠み止めておくことに価値があるのではないか。  七月十日の参院選は後世、時代を画す選挙だったと位置づけられる選挙であろう。選挙権年齢を十八歳に引き下げ、若者の意思を国政に反映させるようにした。そして自民党政権は野党勢力の弱体化を見すまして、憲法を作り替えるに必要な参院での三分の二議席確保を目指し、まんまと成功した。  新たに選挙権を得た240万人の若者の多くは、将来自分たちがその重荷を背負うのにもかかわらず、現状追認、あるいは棄権ということで改憲勢力を応援した。時あたかも暑苦しい半夏生の候。ハンゲ(カラスビシャク)という毒草であり薬草でもある草の生ずる季節であるのも、なかなか意味深長である。(水)

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湖染めて山を揺さぶる花火かな     前島 厳水

湖染めて山を揺さぶる花火かな     前島 厳水 『合評会から』(番町喜楽会) 正裕 色があって音があって、ダイナミックです。 健治 ヴィジュアルですね。 双歩 湖の花火は見たことが無いんですが、それが想像できる句。「山を揺さぶる」とは大げさですが、いかにもそう感じます。 水馬 見た途端に、これは諏訪湖じゃないかなと思いました。山を揺さぶる感じで、大変好きな句です。 春陽子 「湖染めて山を揺さぶる」とは、上手いですよね、参りましたというところです。 可升 私も同じで、この対句がとてもいいと思います。           *       *       *  作者によれば、この句はやはり諏訪湖だという。生まれ育った所なのだ。山の湖での打ち上げ花火は、爆裂音が四囲の山々に谺して迫力を増す。河や海辺の花火とはまた違った独特の雰囲気を醸し出す。それを生き生きと力強く描き出した。(水)

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七月の雨芋の葉を連打せり     大澤 水牛

七月の雨芋の葉を連打せり     大澤 水牛 『季のことば』  季語や季節に関する一般的な言葉には、常識的な思い込みというものがあるようだ。例えば梅雨と夕立。梅雨はシトシトと陰鬱で、夕立はザアザア、バラバラと激しく降る、というイメージである。それに夕立は梅雨が明けた後に、雷を伴って降る雨、と固定的に考えている人が多いようである。  当欄では六月あたりから「夕立」の句をいくつか取り上げてきた。日経俳句会の兼題になったからで、実は当初、私は「夕立の兼題は梅雨明け後の方がいい」と思っていた。しかし調べてみたら夕立は、梅雨明け後に限らなかった。夏の昼過ぎから夕方にかけて、突然、激しく降ってくれば、夕立なのだという。  梅雨の時期の雨脚も初めと終わりの頃では大いに変わってくるらしい。掲句について「“連打せり”で、七月の雨の様子がよく表現されている」(綾子)という評があった。確かに、里芋の葉が破れんばかり、という感じがする。梅雨明けに向けて七月の雨は、さらに激しく、大粒になっていくのだろう。(恂)

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七月の雨の精気よ森太る     高瀬 大虫

七月の雨の精気よ森太る     高瀬 大虫 『合評会から』(番町喜楽会) 健治 七月の雨の「精気“よ”」と語りかけている。これがいいのか、悪いのか、私には印象深かったが・・・。ちょうど森の精気が盛り上がってくる時期なんですね。 双歩 「雨の精気」ねぇ、よくこんな言葉を思いつくものだ。それに「森太る」も。感心しました。 水牛 そう、雨の精気がいいですね。七月の雨は六月の頃と違って勢いがあるから、雨粒がどんどんながれ落ちて行く。森も大きくなって行く感じがあります。 而云 鍵和田秞子さん(「未来図」主宰)が、切れ字の「や」に関して、「口語俳句なら、“よ”の方が使いやすい」と言っています。この句は「よ」によって、精気に精気が宿った感じですね。              *        *  雨の精気。「よくこんな言葉を思いつくものだ」と双歩さん。なるほど、と思い、念のため広辞苑で「精気」の意味を調べてみたら、「万物生成の元気」「生命の源泉たる元気」「物の純粋な気」「たましい」など。なるほどねぇ、と甚く感嘆した。このような適切極まる措辞に、私は今まで出会ったことがない。(恂)

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