留守番の家夕立の音充つる 中島 阿猿
留守番の家夕立の音充つる 中島 阿猿
『この一句』
この句を見たとたん「懐かしい」と感じたのは、子供の頃、同じような体験をしたからだろう。親から留守番を言い付けられて一人で家にいた時のこと、もの凄い夕立があった。何十年も後、「沛然たる」という雨を表す形容詞を知った時、「ああ、あの時の雨がまさに・・・」と思い出したものである。
夕立に遭遇する場の状況は、現在とかつてでは、大きく変わってきた。夕立が家を包み込み、雨音以外の音をすべてかき消してしまうようなことは、一軒家にいてこその体験である。周囲がたちまち水たまりの世界になってしまうのも、マンションの上階に住んでいては知ることが出来ない。
従ってこれは思い出の句に違いない。突然、屋根を打つ雨音が凄くなり、窓から庭を眺めていたら、たちまち大きな“池”が出来ていく。もはや座っていられず、部屋の中をただうろうろするばかり。作者は「一軒家での留守番」という状況を設定し、すがるものない心細さを詠んでみたのだろう。(恂)