萍やひねもす雲の行くへ追ふ     久保田 操

萍やひねもす雲の行くへ追ふ     久保田 操 『季のことば』  「萍」とは見慣れない字で、いきなり読めと言われると戸惑うのではないか。ウキクサ科の多年草で池や沼の水面に直径四、五ミリの緑葉を三つ葉型に並べて浮かんでいる。梅雨の頃にどんどん増殖し、真夏になれば睡蓮池などをびっしり埋め尽くす。冬になると目に見えないほど小さな種(越冬芽)になって水底に沈み、暖かくなると発芽して浮かんで来る。  これほど旺盛な生命力の持ち主なのだが、頼りなく不安な状態を示す喩えにされる。演歌では心細く遣る瀬ない境遇を「水にただよう浮き草」と歌い、芸能人や自由業は自嘲気味に「浮き草稼業ですから」なんて言う。ただし、この言い方には深刻ぶりながら、好き勝手に暮らせる自由を楽しんでいる感じがする。その点では、萍のしたたかさを十分備えている。  この句はのんびりとした、囚われない気分が伝わって来るから、やはり萍の本意に添っている。それにしても終日雲の行く先を眺めているとは、なんとも極楽気分ではないか。公園の池に面した緑陰のベンチか、はたまた自宅の金魚池前の籐椅子か。きのう行われた日経俳句会6月合同句会の最高点句。(水)

続きを読む