円覚寺の静寂破り閑古鳥       印南 進

円覚寺の静寂破り閑古鳥       印南 進 『季のことば』  次の句会(三四郎会)の兼題候補に「郭公」が挙がった時、数人から「えーっ」という声が上がった。見たことも聞いたこともないから作りにくい、ということである。確かに近年、東京の住宅地周辺で鳴き声は聞こえない。しかし「ゴルフ場で」「山に行った時」という人もいて、兼題に決まった。  歳時記の傍題「閑古鳥」(カンコドリ)が話題になった。「カッコウ」のイメージに合わない、というのである。日本人は、スウェーデン人作曲の「カッコウワルツ」によって、郭公という鳥を思い描くようだ。芭蕉ら江戸時代人の抱いた侘びしげな想いは、現代人にそぐわなくなっているらしい。  作者はいま、鎌倉の自宅で病後のリハビリ中である。散歩の途中、円覚寺近くで「カッコウ」の声を聞いたのだ。「早く句会に出たい」という思いはあっても、東京へ出て行くのは少し先のことになる。句を詠んでも、欠席投句を続けねばならない。「閑古鳥」を用いたのは、そんな気持ちの表れだろうか。(恂)

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夕立やころがり出でしだんご虫     大沢 反平

夕立やころがり出でしだんご虫     大沢 反平 『この一句』  夕立も大夕立と言った方がいいような激しい降り方で、辺りがたちまち水浸しになる。溝の中や石の下にいたダンゴムシが慌てて這い出して来た。「ころがり出でし」というのが可笑しい。  実際ダンゴムシというのは滑稽な身体をしている。蛇腹型の固い殻に覆われ、腹側には夥しい数の小さな足がついており、それを懸命に動かして這いずり回って、ゴミや虫の死骸を漁る。時には丹精込めている野菜の芽を食ってしまう悪さもするが、自然界の清掃係として貴重な存在である。しかし、その形が不気味で汚い感じがするせいか、ご婦人方にはすこぶる不人気である。  しかし人を噛んだり刺したりすることもなく、ごく大人しい虫だ。外敵に襲われたり、怖い目にあったりすると、ころころっと丸まって銀鼠色の玉ころになってしまう。それが面白いと、子どもの頃は石を引っ繰り返してはダンゴムシを捕まえ、掌に転がして遊んだ。今どきの子どもはそんな遊びはしないのだろうか。とにかくこの句はそうしたダンゴムシの様子をしっかり掴まえている。(水)

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江戸川の空を裁つごと夏燕     岡本  崇

江戸川の空を裁つごと夏燕     岡本  崇 『合評会から』(三四郎句会) 敦子 燕が江戸川の上空を切り裂いていく。風景を大きく捉えた句だと思いました。 論 「燕返し」という言葉が浮かんできました。佐々木小次郎の見事な剣さばき。 有弘 やはり中七「空を裁つごと」の表現でしょう。これが効いています。 照芳 以前、たまたまこういうシーンを見たことがあり、どう言い表したらいいかと考えたことがあったので、この句はいいなと・・・。地球を真っ二つに、という感じを受けました。 進 今頃の季節に合っていますね。すっきりした句だと思いました。           *       *       *  五月、巣立った雛たちは親燕に率いられ大きな川の河原に行く。葦や萱、雑木の茂みをねぐらとして、付近の空を縦横無尽に飛び交い、羽虫や蠅、蚊、ブヨ、蜂、口に飛び込んで来る虫を片端から呑み込む。この句はその動態を鮮やかに描いている。悠々と流れる大河、広い河原、その上に広がる真っ青な空を一気に切り裂くダンディな夏燕。実に気持がいい句ではないか。(水)

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葉桜や次々逝きし友の顔     片野 涸魚

葉桜や次々逝きし友の顔     片野 涸魚 『季のことば』  山桜は花の咲く前から、大島桜は花と同時に、染井吉野は花の散り際に葉を出し始める。いずれも花を引き立てるようにみずみずしく、薄く柔らかな緑茶色の葉である。ほのかな得も言われぬ香りがする。  やがて花がすっかり散り、桜蘂降る四月中旬あたりから桜の葉は徐々に緑を濃くして、五月上旬には若々しい葉を木全体に茂らす。これが「葉桜」。「桜若葉」とも言い、新鮮で生命力に溢れた様子が好まれて、人気のある句材である。  だが葉桜は若々しい力強さを感じさせる一方、樹陰に入ると様相一変して重苦しい雰囲気になる。それでも陽光燦々たる昼間は木漏れ日が差して、「葉桜の中の無数の空さわぐ 篠原梵」と多少賑やかになりはするが、何とはなしの不安感が漂う。ましてや曇り日ともなれば暗い影が覆う。  この句は葉桜並木の下であろうか。樹陰を歩くにつれて亡き友人の俤が次々に浮かんで来る。中にはしきりに招くような顔もある。まあ遠からずそちらに行くことにはなるが、もうちょっと待ってくれよとつぶやく。(水)

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