三人乗りママの脚力夕立雲     杉山 智宥

三人乗りママの脚力夕立雲     杉山 智宥 『合評会から』(日経俳句会) 哲 イメージがすぐに湧いてくる句だ。ユーモアにも富んでいる。 冷峰 三人乗り自転車はほとんどが電動。女性の脚力がすごいと思って採ったが、ちょっとだまされた感じ。 悌志郎 夕立が迫ってきている中、母親が三人乗りの自転車を急いでこいでいる。坂道もどんどんとこいで上がっていく。電動だからできるんだろうが・・。 反平 電動かどうかは問題じゃない。母親のたくましさの実景が出ている。 光迷 息子の嫁さんも電動自転車を使っている。電動でも力がいる。最近は働いている女性が多く、忙しい生活だ。それが出ている。           *       *       *  いま日本でもっぱら使われているのは正式には電動アシスト自転車と言い、人が漕がなければモーターが作動しない。「ヨイショ、ヨイショ」と力を入れると人力1に対して2の割合で電動力が加わるのだという。あくまでも「電動」は「アシスト(補助)」なのだ。というわけでこのお母さんの脚力は、やっぱりかなりのものなのである。(水)

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萍やひねもす雲の行くへ追ふ     久保田 操

萍やひねもす雲の行くへ追ふ     久保田 操 『季のことば』  「萍」とは見慣れない字で、いきなり読めと言われると戸惑うのではないか。ウキクサ科の多年草で池や沼の水面に直径四、五ミリの緑葉を三つ葉型に並べて浮かんでいる。梅雨の頃にどんどん増殖し、真夏になれば睡蓮池などをびっしり埋め尽くす。冬になると目に見えないほど小さな種(越冬芽)になって水底に沈み、暖かくなると発芽して浮かんで来る。  これほど旺盛な生命力の持ち主なのだが、頼りなく不安な状態を示す喩えにされる。演歌では心細く遣る瀬ない境遇を「水にただよう浮き草」と歌い、芸能人や自由業は自嘲気味に「浮き草稼業ですから」なんて言う。ただし、この言い方には深刻ぶりながら、好き勝手に暮らせる自由を楽しんでいる感じがする。その点では、萍のしたたかさを十分備えている。  この句はのんびりとした、囚われない気分が伝わって来るから、やはり萍の本意に添っている。それにしても終日雲の行く先を眺めているとは、なんとも極楽気分ではないか。公園の池に面した緑陰のベンチか、はたまた自宅の金魚池前の籐椅子か。きのう行われた日経俳句会6月合同句会の最高点句。(水)

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祖父の手の緑に染まる新茶摘み     流合 研士郎

祖父の手の緑に染まる新茶摘み     流合 研士郎 『合評会から』(日経俳句会) 正 茶摘みは若い女性がするものというイメージがあるが、「祖父」がするというのがユニークだ。孫娘は勤めに出て手伝わず、祖父が手を緑に染めて新茶摘みしている。面白い光景だ。 水馬 実景でしょう。我が家も五十年前、祖父が手を黒くして手摘みしていた。 反平 「緑に染まる」がとてもきれいだ。 哲 「茶摘み」は「夏も近付く八十八夜」で春の季語、「新茶」は夏ですね。           *       *       *  確かに哲さんの言う通りで、今頃になって「茶摘み」の句をここに出すのも季節外れの感じだが、面白い句として記憶に残っていた。今年のカレンダーで言うと八十八夜は5月1日、立夏が5日。茶摘みと新茶はまさに春と夏との替わり目をまたいでいる。5月一杯は新茶摘みとしている産地も結構あるようだし、家庭では今が新茶を楽しむシーズンである。茶摘みは渋で手が黒くなるが、まばゆい緑に染まったとしたのがいかにも新茶摘みの感じを醸し出している。(水)

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他人(ひと)の住む我が家懐かし柿若葉     岡田 臣弘

他人の住む我が家懐かし柿若葉     岡田 臣弘 『合評会から』(酔吟会) 睦子 一年前田舎の家がやっと売れて…その家の裏には渋柿の木があったんです。思い出しました。 涸魚 この俳句には、物語を感じますなぁ。今は他人が住んでいる・・・。でもあの柿の木だけは変わらない・・・。 二堂 前住んでいた家が人のものになって、やはりこの家は良かったなと・・・。 而云 私の伯父の家も今は他人が住んでいます。柿の木もあったなぁ。柿の木というのは特別な思いがある。           *       *       *  事情があって昔住んでいた家に他人が住んでいる。時折その家の前を通ることがある。懐かしくなって、わざわざ見に行くこともある。目印の柿の木は年月が経ってますます貫禄がついて、みずみずしい若葉を茂らせている。枝葉越しに幼かった子どもたちの二階の部屋も見える。二、三十年、時の歯車が逆回転して次々に昔の景色が甦って来る。(水)

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聖岳天に座りて夏の月     野田 冷峰

聖岳天に座りて夏の月    野田 冷峰 『合評会から』(番町喜楽会) 而云 聖岳(ひじりだけ)は南アルプスにある。岳が天に座っている…雄大ですねぇ。 可升 「天に座る」がいい。「聖」と「天」がよく響きあっている。 てる夫 かっこいい句ですねぇ。 春陽子 「聖」が「天」に座るとは。うまいですねぇ。 正裕 「天に座りて」は「夏の月」が座ってるとも読めますね。確かに雄大な感じがします。           *       *       *  この作者は感情ほとばしるままの、生の言葉をぶつけた句が特徴で、時にそれが強すぎ押し付けがましい感じを与えることがある。しかしこの句は抑制が利き、聖岳が揺るぎなく「天に座っている」と詠み感動をしっかりと伝えている。  俳句界には「景が大きい」という妙な褒め言葉があり、それに引きずられていたずらに雄大な景色を詠めばいいという誤解がはびこる。結果、銭湯のペンキ絵のような句が吐き出されるのだが、この句のように巧まずして大景が描かれたのを見ると、ほっとして嬉しくなる。(水)

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月涼し水を張りたる田んぼかな     前島 厳水

月涼し水を張りたる田んぼかな     前島 厳水 『合評会から』(番町喜楽会) 健治 懐かしい感じがしました。原体験かな? 夏の暑い中での涼しい感じ、いいですね。 二堂 田植えの終わった田んぼを見ているのでしょうか、月明かりに植えた苗の緑が揺れているのでしょうか。 水馬 「田水張る」と「月涼し」は季重なりじゃないのですか? 而云 「月涼し」で切れて「かな」で終わると二段切れみたいですね。上下入れ替えたらいいのでは? 双歩 「夏の月」としたら切れが弱まるのではないでしょうか。           *       *       *  俳句のメリハリをつける「切れ」は難しい。それと「季重なり」の問題。これを巡って議論百出だったが、それはさておき、「水を張りたる田んぼ」と「月涼し」がしっくりと合っている。句全体で初夏の風情を表し、季語の重複や二段、三段切れの欠点が覆い隠され、好感の持てる句になっている。(水)

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無残やな熊本城に夏の月     横井 定利

無残やな熊本城に夏の月     横井 定利 『この一句』  「むざんやな甲(かぶと)の下のきりぎりす」。芭蕉が「奥の細道」で詠んだ有名句である。「むざんやな」は何かの折にふと口をついて出るほどではあるが、この語を句に生かすのはとても難しい。誰もが芭蕉の句を思い浮かべるからで、ありきたりの「無残」だったら、読み手はしらけざるを得ない。  しかし熊本城なら、そうだなぁ、と頷いてしまう。加藤清正の築いた、熊本人の誇りでもある城が、あんな姿になってしまったのだ。屋根瓦は落ち、石垣は崩れ、辛うじて崩壊を免れている有り様だ。「無残」に変わるほどの言葉はなく、夏の月が煌々と照らす光景を思い浮かべれば、さらに無残である。  ただしこれは時事句だから、作品として存在し得る限界がある。現在なら誰もが無残な有様を思い浮かべることが出来るが、いつの日か「何で無残なのか」と首をひねる句になってしまうのだ。賞味期限つきのことは作者ももちろん、承知の上。天守閣などの再建案がすでに具体化し始めている。(恂)

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ただそつと茶托に乗せて新茶出す     金田 青水

ただそつと茶托に乗せて新茶出す     金田 青水 『この一句』  不思議な句である。茶卓に乗せてそっと新茶を出したのだという。普通なら、もう少し何かを、例えば誰が誰に出したのか、朝なのか、夜なのか、といった具体的なことを詠み込みたくなるものだ。ところがこの句は、そういう部分をそぎ落としてしまった。だから却って気になってくるのだろう。  句会では零点であった。作者は五句投句のうちの三句で点を獲得している。中に面白い句もあり、合評会で話題になっていた。しかし会報が届いて作者の全句を眺めていたら、何も詠んでいないようなこの句が気になって仕方がない。遂に「みんなの俳句」に取り上げるのは「これだ」と決めてしまった。  奥さんが夫に新茶を出したのである。茶卓に載せ、無言でそっと卓に置いた。この朝、ちょっとした口喧嘩があった。以来、夫は一日中、口をきいていない。ところが茶の香りが漂うと、夫は「これ、新茶か?」・・・。私ならこうなるところだが、人それぞれ「自分の場面」を思い描くのではないだろうか。(恂)

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夏立つや小便小僧反り返る     谷川 水馬

夏立つや小便小僧反り返る     谷川 水馬 『合評会から』(番町喜楽会) 正裕 小便小僧はいつもお腹を突き出しているのですが、夏になって一層、反り返っているように見えるということでしょうか。機智に富んだ句だと思います。 春陽子 春までは水を出してなかったのかも知れない。立夏になって市役所の係がやってきて、蛇口をひねると水が勢いよく飛び出し来て・・・、そんなことを想像してしまった。 斗詩子(メール選評) 気持ち良い夏がきたぞ~! 裸んぼの小便小僧がふーっと反り返って勢いよくジャ~っと出す様が目に浮かぶようです。微笑ましい句ですね。               *             *  小便小僧の姿はみな同じようで、少しずつ違っているという。「どうだい、ボクの放射力は」と自慢げな像も、「ああようやく出せた」とホッとした風の像もある。徳島・祖谷渓の断崖上に立つのは、膝を突き出し、怖々という感じだ。夏が来れば着せられていた服を脱いで、いよいよ腹を反らす小僧たち。本場・ベルギーには小便少女像もあるそうだが、小便はやはり小僧に限らせてもらいたい。(恂)

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負けん気の後ろ姿や祭髪      廣田 可升

負けん気の後ろ姿や祭髪      廣田 可升 『合評会から』(番町喜楽会) 正裕 元気のいい女の子なのでしょう。後ろ姿で見るとおきゃんで負けん気の強さがありありと・・・。 百子 祭り好きのウチのお嫁さんを詠んだかのようです。法被を着て、さらしを胸に巻く、頼もしい姿ですね。 大虫 ひっつめ髪のような髪の形で、僕の感じだと、後ろ姿の白いパンツが見えてきます。もともと負けん気の強い人のようですが、後ろ姿に性格が表れているのですね。 春陽子 後ろ姿ですが、実は前を見たくなるような句です。さらしをきりっと巻いた姿が想像できる。 冷峰 「負けん気の」より「いなせな後ろ姿」の方が、かっこいいんじゃないですか。 厳水 下町の祭ですね。「祭」の季語にぴったりの句だ、と思って選びました。 綾子(メール選評) 男性に混じって神輿を担ぐ、いきいきとした女性の姿が目に浮かびます。            *           *  ネット情報によると「祭髪」は、髪を後ろにまとめるのが原則らしいが、形はさまざまだ。中でも神輿を担ぐ女性の、後ろにきりりと巻き上げている髷の形が何とも勇ましい。句の娘の髪型はこれだろう。(恂)

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