愛用の父の写真機黴びてをり 嵐田 双歩
愛用の父の写真機黴びてをり 嵐田 双歩
『この一句』
作者は名カメラマン。この句を読むとやはり小さい頃からカメラに慣れ親しんでいたんだなと納得する。作者の年齢から推して、尊父がカメラに凝ったのは戦後の日本がようやく立ち直り、前進し始めた昭和30年代初めだろうか。ドイツの名機ライカの物まねから出発した日本のカメラメーカーは懸命の努力の結果、ついに先輩を凌駕するニコンSP,キャノンVTなどの名品を生み出した。その後もニコンFなど名品が続々誕生、日本製カメラは世界を席巻した。
「カメラ」などと軽い響きではなく、「写真機」と言ったところが面白い。何しろ初任給が1万5千円くらいの昭和30年代半ば、こうした名機は6,7万円もした。文字通りの宝物で、使い終えたら丁寧に拭い大事にしまった。
時移り、捜し物の最中に亡父の愛機を見つけた。懐かしいなあとケースから取り出してみると、おやおやあちこちにカビが生えているではないか。「親父はこれで我々子どもたちをしょっちゅう撮していたなあ。ちょっと触ると、慌てて取り上げたものだ」。50年以上も前のシーンが次々に浮かんで来る。(水)