愛用の父の写真機黴びてをり     嵐田 双歩

愛用の父の写真機黴びてをり     嵐田 双歩 『この一句』  作者は名カメラマン。この句を読むとやはり小さい頃からカメラに慣れ親しんでいたんだなと納得する。作者の年齢から推して、尊父がカメラに凝ったのは戦後の日本がようやく立ち直り、前進し始めた昭和30年代初めだろうか。ドイツの名機ライカの物まねから出発した日本のカメラメーカーは懸命の努力の結果、ついに先輩を凌駕するニコンSP,キャノンVTなどの名品を生み出した。その後もニコンFなど名品が続々誕生、日本製カメラは世界を席巻した。  「カメラ」などと軽い響きではなく、「写真機」と言ったところが面白い。何しろ初任給が1万5千円くらいの昭和30年代半ば、こうした名機は6,7万円もした。文字通りの宝物で、使い終えたら丁寧に拭い大事にしまった。  時移り、捜し物の最中に亡父の愛機を見つけた。懐かしいなあとケースから取り出してみると、おやおやあちこちにカビが生えているではないか。「親父はこれで我々子どもたちをしょっちゅう撮していたなあ。ちょっと触ると、慌てて取り上げたものだ」。50年以上も前のシーンが次々に浮かんで来る。(水)

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犬吠ゆといふ名の岬夏の雲     大石 柏人

犬吠ゆといふ名の岬夏の雲     大石 柏人 『この一句』  弱者にそそぐ同情の念を判官贔屓(ほうがんびいき)と言うが、この判官は検非違使(京の治安を司った役所)の幹部のことで、源義経がこれに任命されたことから、後世、判官といえば九郎判官義経の代名詞になった。義経ほど死んでから人気が高まった武将もいない。平家追討にあれほどの功績を挙げながら、兄頼朝に追われ討たれてしまった。しかし民衆は義経の死んだのを信じようとせず、平泉からさらに北上して北海道に渡り、中国大陸に渡海、ついにはジンギスカンになったというのである。  追われ追われた義経主従の逃走ルートとされる道が全国各地にある。本州最東端犬吠埼もその一つ。ここから船で東北に逃れたという。その時、置き去りにされた義経の愛犬若丸が悲しんで七日七晩吠え続けてついに岩と化した。故にこの岬を犬吠埼と言うと案内看板にある。  義経伝説をさらりと紹介しただけの句だが、ここに立って太平洋を眺めていると「そんな話が生まれる雰囲気もあるな」と思う。雄大な、時にはのしかかって来るような「夏の雲」が上五中七とよく響き合っている。(水)

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年ごとの藤波見んと回り道     深田 森太郎

年ごとの藤波見んと回り道     深田 森太郎 『季のことば』  晩春、桜が散ってしまった後を受けて藤が咲き始める。藤の花は一つひとつは大人しい紫色あるいは白色の地味な蝶形花だが、房になって咲いて垂れ下がるとぐんと華やかになる。大昔から大きな屋敷や庭園には藤棚が作られ、下には緋毛氈を敷いた縁台などが置かれて、桜とは異なる風情の花見の宴が張られた。  藤棚から垂れ下がる花房が風で揺れる様子にことのほか風情があるので、特に「藤波」と言う。万葉集には「藤波の花は盛りになりにけり平城(なら)の京を思ほすや君」(巻三・防人司佑大伴四綱)という歌がある。満開の藤波を見るにつけても、遠く平城京を懐かしんでいらっしゃるのではありませんかといった意味合いだろう、藤の花は華やかではあるが、愁いをたたえてもいる。  掲載句は毎日の散歩コースからちょっと離れた公園かどこかの屋敷だろう。立派な藤棚があり、毎年四月半ば過ぎになるとそこへ目の保養に行くというのだ。藤棚は手入れが良くないと野放図に繁り、枝葉が密集して花付きが悪くなる。その点、この藤棚は素晴らしい。ああ今年の春も行ってしまうなあと、藤波を見上げながらつぶやく。(水)

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夏至の空埋め尽くすほど衣干す     中村 哲

夏至の空埋め尽くすほど衣干す     中村  哲 『季のことば』  夏至は6月21日頃で、梅雨の最中である。太陽が黄経90度に達し、北半球では昼が最も長くなる日と言われているのだが、大概は雨降りか、一日中分厚い雲に覆われ、お日様を拝めることは少ない。それがめずらしく晴天の夏至に恵まれたというのである。  どの家もお母さんたちが一斉に洗濯物を干し始めた。「部屋干しでも臭わない」などと宣伝している洗剤もあるけれど、やはりお日様に当てた洗濯物の気持良さは格別なのだ。というわけで、団地などはまさに満艦飾となり、壮観この上ない。  石田波郷と戦前に俳誌「鶴」を創刊し、波郷没後それを受け継いだ石塚友二に、「下町の十方音や梅雨晴間」という句がある。これも久しぶりの梅雨晴れに四方八方賑やかになったという面白い句だ。  友二句が聴覚であるのに対し、こちらは視覚。忘れていた青空を仰いでみんな大喜びしている様子が伝わってきて、読んでいるだけで気分が爽やかになる。(水)

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朝餉には皆出払って鮎の宿     植村 博明

朝餉には皆出払って鮎の宿    植村 博明 『合評会から』(日経俳句会合同句会) 智宥 六月一日の鮎解禁日には当たり前の風景で、釣り宿は皆こんなもの。うまく拾ったなあと思います。 大虫 釣り人は夜明け前からはやる心を抑えかねている。宿は朝食をおにぎりにしてくれるのじゃないのかなと思うが。 而云 これは宿の親父なんだよ。皆出払った後、ひとり朝ご飯を食べている。 綾子 同宿の人たちは早々に鮎釣りに出かけて行った、という句ですね?景の切り取り方、詠み方ともに達人とお見受けします。 万歩 早朝の鮎の宿の澄んだ空気が伝わる。           *       *       *  鮎解禁日の釣宿の様子をうまく詠んでいる。悠長に朝飯を食べる客なんて居やしない。宿が用意した握り飯をぶら下げて、よーいドンの感じで出かけるのだ。宿の親父の様子といううがった見方もあったが、誰でも無い、いわば天の神様にでもなったような感じで、さあーっと空っぽになった鮎の宿を高みから眺めた景と受け取ったらどうであろうか。(水)

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点滴の清き光や夏至の夜     大熊 万歩

点滴の清き光や夏至の夜     大熊 万歩 『この一句』  「点滴」には単なる「しずく」の意味もあるが、これはやはり入院中の状況だろう。作者かご家族としよう。ともかく誰かがベッドの上で点滴を受けている。その点滴の一滴、一滴を見つめているのはベッドに横たわる患者自身か、付き添いの人かも知れない。時刻は夜、それも夏至の夜であった。  句の中心は「清き光」である。この点滴は単なる薬材の液体ではない。人の生死にかかわる、いわば「命の水滴」である。何秒かの間を置いて、ぽつり、ぽつりと落ちる水滴を見つめているのは、患者でも付き添いでもいい。それを見つめる心はどちらも同じで、病状快癒への思いもまた同じである。  「そう言えば、今日は夏至だった」と気づく。夏至と病状とは何の関係もないはずだが、昼間が一番長く、太陽が最も高く上る一年に一度の日なのだ。何か自然の摂理のようなものが病状にも、点滴にも宿っているような気がする。一日が過ぎようとしている。清き一滴がきらりと光って落ちる。(恂)

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夏至の夜やことばを交はす牛と馬     大下 綾子

夏至の夜やことばを交はす牛と馬     大下 綾子 『季のことば』  「夏至」を初めて句に詠んでみて、最も難しい季語の一つだと感じた。北半球では一番日が長く、夜が短い日なのだが、その前後の日でもほぼ同じである。暑い日もあれば、涼しい日もあり、夏休みはもう少し先のこと。雨が降れば梅雨、晴れたら梅雨晴れで、「夏至の日だから」ということにはならないのだ。  この句を見て「なるほど、このような捉え方があるのか」と感心した。夏至は不思議な日なのである。太陽は最も真上に上り、翌日から僅かずつ元に戻って行く。なぜなのかは地球物理学や天文学で説明出来るはずだが、その先にある更なる「なぜ」については、「神のなせる業」にならざるを得ない。  この夜、牛舎の牛と厩の馬が何やら話している様子。見回りの人が耳を澄ますと、餌や運動不足の不満をぶつぶつ言っていたのだが、話題はやがて前世や来世のことに移って行った。夏至の夜なら有り得ることだろう。その夜は不仲な人間の夫婦も、優しい言葉を交わしたのではないだろうか。(恂)

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夕立に思わず笑う見ず知らず     鈴木 好夫

夕立に思わず笑う見ず知らず     鈴木 好夫 『この一句』  夕立は梅雨明け後、と思いがちだが、この数日、テレビの天気予報では「積乱雲が近づいたら、大きな建物の中へ避難」などと「夕立への注意」を繰り返している。歳時記によれば「夕立」は初夏、仲夏、晩夏のいずれも「OK」の「三夏」とされてきた。昔からこの季節は夕立の時期でもあったのだ。  低気圧が列島を縦断して行くこの数日、句のような夕立の情景がどこかにあったに違いない。ビルの入り口か、駅の改札口付近かも知れない。もちろん雨宿りの一場面である。見知らぬ二人が肩を並べ、もの凄い雨脚を見ながら笑い合っているのだ。顔を見合わせて、「これは参った」「傘は全く役に立ちません」。  夕立の激しい降りようは古来、さまざまに言い慣わされてきたが、「笑い」によって表現したのが何より珍しく、面白い。どっと来て、さっと去って行くのもまた、夕立の特徴である。「止みましたな」「ではまた」・・・などと言いながら、二人が別れていく場面までを想像し、独りで笑ってしまった。(恂)

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夕立の撥ねを屈んで見入りをり     高橋オブラダ

夕立の撥ねを屈んで見入りをり     高橋オブラダ 『この一句』  この句、雨粒が水たまりに落ちて撥ねる様子を眺めているのは、大人か子供か? 答えはもちろん子供なのだが、現在は大人になっている「かつての子供」が正解なのだろう。昔はこういう情景をよく見掛けたもので、「私も同じことを・・・」と少年時代を思い出し、懐かしむ方もおられるに違いない。  では、今の子供はどうなのか。昔と今とでは人間社会が大きく変わってきた。道路はアスファルト舗装で、水たまりがない。水の撥ねに興味を持つような子供自体が大幅に減っているはずだ。「絶滅寸前季語辞典」という本があるが、絶滅寸前俳句も存在するはずで、この句が一例と推しておきたい。  小学校の頃、教室の黒板の上に「科学する心」と大きく書いた紙が貼ってあった。先生は「何でも不思議に思う心が大切」と教えていた。不思議だと思えば、調べる気持が起きてくるのだという。作者はそんな心を持つ人なのだろう。句を見て、見習いたい、とは思うが、思うに任せぬ現実もある。(恂)

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留守番の家夕立の音充つる     中島 阿猿

留守番の家夕立の音充つる     中島 阿猿 『この一句』  この句を見たとたん「懐かしい」と感じたのは、子供の頃、同じような体験をしたからだろう。親から留守番を言い付けられて一人で家にいた時のこと、もの凄い夕立があった。何十年も後、「沛然たる」という雨を表す形容詞を知った時、「ああ、あの時の雨がまさに・・・」と思い出したものである。  夕立に遭遇する場の状況は、現在とかつてでは、大きく変わってきた。夕立が家を包み込み、雨音以外の音をすべてかき消してしまうようなことは、一軒家にいてこその体験である。周囲がたちまち水たまりの世界になってしまうのも、マンションの上階に住んでいては知ることが出来ない。  従ってこれは思い出の句に違いない。突然、屋根を打つ雨音が凄くなり、窓から庭を眺めていたら、たちまち大きな“池”が出来ていく。もはや座っていられず、部屋の中をただうろうろするばかり。作者は「一軒家での留守番」という状況を設定し、すがるものない心細さを詠んでみたのだろう。(恂)

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