太閤の花見の寺の菜飯かな 鈴木 好夫
太閤の花見の寺の菜飯かな 鈴木 好夫
『この一句』
「太閤の花見の寺」とは京都・伏見区の世界遺産・醍醐寺のこと。豊臣秀吉が権勢を振るい、諸大名の女房・女中など女性ばかり千三百人を集めての花見に悦に入ったという。目も眩むばかりの享楽という印象だが、秀吉は余命いくばくもない頃で、実際、この五カ月ほど後に亡くなってしまうのだ。
作者はうららかな一日、醍醐寺を詣でて、門前のあたりで菜飯を食したのだろう。本当は御馳走をたくさん頂いた後のシメのご飯だったのかも知れないが、「醍醐の花見」の虚飾ともいえる実情はご存じのはず。菜飯を噛みしめながら、庶民から生まれた天下人の生涯を思った、などと勝手に想像する。
この句の季語はもちろん「花見」ではない。「菜飯」を用いたことで、句にしみじみとした味が生まれている。かつて私が醍醐寺を訪れたのは、例年四月の「太閤の花見行列」が終わった後で、名物の「大紅しだれ桜」に緑の葉が目立ち始めていた。作者も同じ頃、参拝したのではないだろうか。(恂)