散歩道我が家のつもり柿若葉     大平 睦子

散歩道我が家のつもり柿若葉     大平 睦子 『この一句』  散歩道というものは、自然にルートが決まって来る。多い人でも東西南北四方向、北は急な上りがあるから止めて三方向、東は繁華街があって人通りが多いからあまり行かないと二方向に決める人もいる。作者はどうやら一方向、毎日同じ道を散歩しているようだ。  三百六十五日同じ道を歩いていると、次はどこを曲がるなどと意識せず自然に足が動く。途中の景色もすっかり頭に入っている。今日はあの垣根の山茶花が咲き出しているはずだ、公園の桜がもう満開だろう、あの家の軒下の燕の雛はそろそろ巣立ちかなどなど、季節の移り変わるたびに現れる動植物も脳内カレンダーに刻み込まれている。この道は、云ってみれば我が家の庭も同然。  今日は清清しい陽気だ。予報で夏日と言われていた割には爽やかな風が吹いている。真っ青の空に、大きな柿の木が立ち上がり若葉を茂らせている。薫風に揺れる柿若葉を透かして射し込む光が路上にちらちらと小波を描く。実に気持ちが良い。なんだかいいことがありそうな予感がする。(水)

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夕立の鍵形に行く城下町     中村  哲

夕立の鍵形に行く城下町     中村  哲 『この一句』  軽妙でウイットに富んだ句である。「ウイットに富む」というと、得てして洒落てはいるが底の浅い嘘っぽい句になりがちなのだが、これは古い城下町では実際に出会す光景であり、しっかりした感じがする。  城下町の道筋はすぐに突き当たりになって、なかなか真っ直ぐに行けないように拵えてある。敵に攻められた時に一気に城に突っ込まれないようにとの慮りであろう。そういう城下町を歩いていたら俄の夕立。急いで突き当たりを曲がったら、夕立が追い掛けてきた。あたかも夕立が鍵形に降っているようだというのである。  この句を見た時、天守閣から夕立の城下町を見下ろしているような気分になった。鍵形の道を人々が突然の雨に右往左往しているのである。  実にいいところを詠んだものだと感心した。作者は新聞社の編集局整理部一本を貫いた根っからの編集記者。取材記者の書いてきた原稿をさっと読むと、素早く適確な「見出し」をつける。その記事を生かすも殺すも、ひいてはその日の新聞全体の出来具合を左右する重要な仕事だ。これで培った当意即妙の腕を、句会デビュー早々に発揮した。(水)

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つつじ散り社は元の緑かな     澤井 二堂

つつじ散り社は元の緑かな     澤井 二堂 『この一句』  「社」とあって「つつじ」とあるから、躑躅祭で有名な文京区の根津神社を詠んだものであろう。毎年四月初めからゴールデンウイークの終わりまで約一ヶ月間、谷間の地形を生かした段差のある苑内には、数千本のつつじが色とりどりの花を次々に咲かせる。  祭の期間中、神社境内は言わずもがな、地下鉄根津、千駄木両駅はじめ不忍通りは見物人で一杯。いわゆる「谷根千」人気もあって、通りの両側ばかりでなく、入り組んだ細い路地にも人波があふれる。おかげで付近の飲食店や商店は大賑わいで相好を崩すが、住民のなかには「騒がしくって、うんざりです」とこぼす人も多い。  この句は、そんな大騒ぎの一ヵ月が過ぎ、元の閑寂を取り戻した神社の様子を詠んでいる。やはりここの住人の句だと分かって納得した。地元が賑わうのは結構だと思いながらも、この騒ぎはなあ、はてさて・・といった心情が滲み出ている。  「静けさ取り戻す」などと言わずに、「元の緑」と詠んだのはなかなかの腕前だなと思った。(水)

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新茶汲みはらからの忌を修しけり     大澤水牛

新茶汲みはらからの忌を修しけり     大澤水牛 『この一句』  「はらから」は漢字で「同胞」と書き、「同じ母親から生まれた兄弟姉妹」のこと。この語の別の読み「同胞(どうほう)」が「同国民」「仲間」まで含むようになって、本家の「はらから」の意味も広がってきたという。この句の場合はもちろん、万葉の頃からの「はらから」、つまり「兄弟」である。  作者によると、兄上の一周忌に家族、親戚が集まった時の句であった。八十年近くも「兄」であり、ある時期からは「一族の長」でもあった人の一周忌である。孫、ひ孫を含む親族、縁者が集まっていたに違いない。法要の後だろうか、広間に集った人々が故人を偲び、新茶をしみじみと味わっているのだ。  「忌を修しけり」の語と「はらから」そして「新茶」が、句の奥底で響き合っている。「正統的な句だ」(正裕)、「折り目の正しい十七音だ」(てる夫)。合評会のこれらの言葉にうなずかざるを得ない。句会では、巧みな趣向や言葉遣いに注目が集まりがちだが、正統的な語の魅力も感じ取りたいものだ。(恂)

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伊勢志摩に平和模索の薄暑かな     石丸 雅博

伊勢志摩に平和模索の薄暑かな     石丸 雅博 『この一句』  二週間前の句会に出された時事句である。伊勢志摩サミットで何が話し合われるのか、大筋は分かっていた。たぶん、こういうことになるだろう、との見通しのもとに詠まれている。その後に沖縄で米軍関係者による殺人事件が発覚したが、それはそれ、これはこれとして、日程を終えていくのだろう。  最大の論点は経済だという。しかし世界の大国の首脳が集まって議論するのだ。中東の戦闘はどう収めるのか、増大する難民問題をどのように解決するのか、などの方が重大かつ難しい問題のように思える。見通しは甘くなく、それらを勘案しての「模索」「薄暑」が今サミットの状況をうまく表している。  この後は俳句とは別のことを言わせて頂く。サミット開催が決まって以降、日本政府首脳の言葉は虚しいものばかりである。発言の裏側に、現政権のため、次期選挙のための意識が丸見えなのだ。世界平和、人類の幸福などを心底から実現しようとするリーダーが、日本には生まれないのだろうか。(恂)

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濃淡の木々に薄暑や立石寺     吉田 正義

濃淡の木々に薄暑や立石寺     吉田 正義 『季のことば』  この時期、木々は日に日に葉の色を変えながら成長していく。淡い緑が濃くなったり、赤みを増したりしながら、硬い青葉に変じ、陽光をてらてらと反射させるようになる。こんな様子を句に詠む時、まず思い浮かぶ季語が「青葉若葉」のはずだが、この句は木々の濃淡の中に「薄暑」を見出した。  ユニークな視点ではあるが、句会の兼題「薄暑」によって生まれたに違いない。作者はどこかに薄暑めいたものがないか、と探索の目を光らせていた。若葉にはまだ春の雰囲気が残り、青葉には盛夏の勢いがあった。この状態こそまさに・・・。薄暑に至る思考を忖度すれば、こんな風になるかも知れない。  立石寺は芭蕉の「閑かさや」の句で知られる「俗称・山寺」(山形市)のこと。俳句愛好者を初め参拝者の引きも切らない超有名寺である。私もまた「木々の濃淡」の語から、断崖と言えるほどの山上にある寺の薄暑を思い浮かべることが出来た。岩にしみ入る蝉の声が聞こえるのは、もう少し先だろうか。(恂)

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雪抱く山を遠くに桃の花     宇野木敦子

雪抱く山を遠くに桃の花     宇野木敦子 『合評会から』(三四郎句会) 久敬 雪の遠山と桃の花。とても美しい景色ですね。 進 山村の風景写真を見るような句です。 崇 大きくて、きれいな景ですね。季節感も出ていると思います。 照芳 遠くに雪の山、近くに桃の花。額縁の中を見るようで、きれい過ぎるかな。もう一つ上手に言い表せないか、という感じもありましたが・・・。              *           *  作者が俳句講座で句作りを学んでいた頃、講師の方針は「季重なり禁止」だったという。「一句に季語は一つ」は、句の焦点を一つに絞るための定石のようなもので、初心者の上達には役立つかも知れない。その次に入ったこの句会ではそんな縛りはなく、必要なら季重なりも構わない。戦時中から中学一年まで伊那谷で過ごした作者は、目をつぶればすぐ頭に浮かんでくる風景を、そのまま句にしたそうである。(恂)

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心音の聞こえるほどの薄暑かな     宇佐美 論

心音の聞こえるほどの薄暑かな     宇佐美 論 『合評会から』(三四郎句会) 信 薄暑の頃はつまり薄着になる頃ですからね。心音がふとした時に聞こえてくるのでしょう。 賢一 静かな時でしょう。横になっているのかな。心臓の音が聞こえるほどなんですね。 有弘 私は心臓に問題があるから、身につまされる。この句を見ただけでも、ニトロを飲んだ方がいいかな、なんて考えてしまう。心臓に影響を及ぼす句ですね。 論(作者) ドキドキと音が聞こえてくるよう気がしたのですね。それが気温のせいなのか。兼題の「薄暑」について考えていた時で、こういうこともあるのだな、と・・・。             *           *  何人かに聞いてみたが、心音が「聞こえる」人と「聞こえない」人がいた。つまり聞こえるかどうかは人さまざまで、句を選んだ人の感想もさまざまである。私なら、真夏のシーンとした炎天下に立てば聞こえるかな・・・と考えてから気付いた。この句は、聞こえるかどうかを詠んでいるのではない。「聞こえる“ほど”の薄暑」であって、その季節感、気温感は何とも微妙である。俳句の微妙さかも知れない。(恂)

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母の日やアイロン錆びて棚の奥     今泉 而云

母の日やアイロン錆びて棚の奥     今泉 而云 『合評会から』(酔吟会) 反平 棚の中に錆びたアイロンを見つけて、お母さんを思い出したのでしょうか。いいですねぇ。 春陽子 捨てそびれた思い出のあるアイロン。それを母の日にひっかけたところが素晴らしい。視点がいい。 てる夫 昔のアイロンは使い古すと錆びますね。そのすごく古いアイロンから昔を思い出した。 佳子 昔のアイロンって、重たいし。お母さんは重労働だったのですね。そんな姿が浮かびます。           *       *       *  使い込んだアイロンは衣類に当てる底面は顔が写るくらいぴかぴか光っていて、上側は錆色にくすんでいた。どこの家でもお母さんが夜なべにアイロン掛けをしていた。甘えっ子はそのそばに寝転がってだだをこねたり、母親に寄りかかって何かをねだったりしていた。「母の日」という難しい兼題を亡母の古アイロンを持ち出して料理した。さすがはと感心しきり。(水)

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鉢にまく水なみなみと立夏なり     山口 斗詩子

鉢にまく水なみなみと立夏なり     山口 斗詩子 『この一句』  立夏は五月五日(六日の年も)だから、ちょうどゴールデンウイークの締め括り。陽差しがかなり強まって、日中の気温が二〇度を超え、時には二五度超えの夏日になったりする。  園芸愛好家には嬉しい時期であると同時に、気の許せない時期でもある。胡瓜、茄子、トマト、ゴーヤなど果実野菜の苗の植え付け時であり、隠元豆や枝豆の蒔き時でもある。広い菜園があれば、里芋、サツマイモなどを植えてもいい。  一方、この時期は雑草が勢いよく伸びる。さらに、害虫が暴れ始める。毒蛾、茶毒蛾、イラガ、アメリカシロヒトリなどの毛虫(幼虫)が次々に出現し、大切にしていた植木や草花を見るも無惨に食い荒らす。腕や首筋に毒針がついたのを知らずに掻いて、身体中赤く腫れ、痛痒くて七転八倒の思いをしたりする。  もっとも、この時期一番大事なのは水遣りである。立夏ともなると枝葉を茂らせるために盛んに水を欲しがる。ましてや鉢植えの場合は大変だ。一日水遣りを忘れただけでおかしくなってしまう。というわけで朝晩これでもかと水を撒く。だが、水遣りは遣る方の心の慰めにもなる。(水)

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