春深し新芽に花に陽に雨に     山口 斗詩子

春深し新芽に花に陽に雨に     山口 斗詩子 『季のことば』  「ずいぶんあれこれと春を盛り込んだものだ」というつぶやきが聞こえて来そうな句だ。まさにその通り、季語の「春深し」に始まって、「新芽」(芽吹く、木の芽)、「花」と続き、それに連なる「陽」は「春陽」を、「雨」は「春雨」を連想する。つまり、最初から最後まで、春、春と連呼している感じなのだ。  しかし、これほどまでに春の景物を並べ立てると、いっそ気分がいい。なるほどそうなんだよなあ、と感じ入ってしまう。  「春深し」は晩春四月の季語で、ソメイヨシノが散り始め、木々が芽吹き始める頃から五月初めの立夏直前までを言う。春という季節が爛熟する頃合いで、「春闌ける」と言い換えたりもする。  この時期は気温と湿度の変化が激しく、それが体調に影響するせいか、物思いに耽ることも多くなる。「春愁」という季語もそんなところから生まれたようだ。一方、この時期は陽気で明るい側面も持つ。花が終われば活力溢れる新芽が吹き出す。それを促すのが晩春の陽光であり、温かい雨である。この句はそういう周囲の様子を何の衒いもなく詠んでいる。そこが気持いい。(水)

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