初つばめ里に生きとし生けるもの     堤てる夫

初つばめ里に生きとし生けるもの     堤てる夫 『この一句』  この句を見て、すがすがしい感じを受けた。よくもこんな風に素直に詠めるものだ、とも思った。「生きとし生けるもの」とは「この世に生きるすべてのもの」のことである。つまりこの句は初ツバメを見て、命あるもの全てを祝福しているのだ。そのような気持を、まともに表現できる人が羨ましい。  作者が分かって「やっぱり」と納得した。首都圏から「里」へ移住した人であった。その地はいま、緑に覆われ、鳥は囀り、蝶が舞い、やがて蛙が鳴き、夜は蛍が飛び交うようになるはずだ。そういう場所に住んでいるからこそ、全ての命を見つめ、自分の気持ちをけれん味なく表現できるのだろう。  ところで「生きとし」の「とし」とは何だろう。辞書によれば「と」も「し」も、「意味を強めるための助詞」で、古事記などにも用例があるという。句の言葉を調べて、古代の人の心が言語の仲立ちによって、現代にも生き続けていることを知る。俳句は真面目に作るべし、真面目に調べるべし。(恂)

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蝶ひらりあの日の嘘ももう時効      廣田 可升

蝶ひらりあの日の嘘ももう時効      廣田 可升 『合評会から』(番町喜楽会) 冷峰 もう時効、ですか。重い嘘なのか、蝶がひらりと軽くいなす感もある。嘘をこんな風に捉えるとは・・・。 春陽子 この人は蝶が飛ぶように軽々と嘘つき、軽々と詠む。これも俳句の世界。楽しい句ですね。  「春陽子さんの句かと思った」の声。「いや、僕はあんまり嘘つかない」「もう嘘ついている」(爆笑)。 恭子 結婚前、つきあっている時の駆け引きみたいなものがあって、ご夫婦になって何年にもなると、もうそれは時効となるのかな・・・、などと思って頂きました。 斗詩子 あの日、嘘と知りながら、ひらりとかわされ、傷ついてしまった。今は蝶のふんわりとした舞いを見て、あれはもう時効なんだ、と思う。そんな感じでしょうか。なかなかいいですね。 光迷 同窓会か何かで久し振りに会って「あの日のことは、本当はこうだったんだよ」と軽い気持ちで言うような、時の移り変わりを感じさせて、すばらしい句です。 作者(可升) これ、昔の仕事場で、部下を叱咤激励するための……。(エッ、そうなの、と皆がっくり)             *           *  「嘘も」と「嘘は」のことで、誰かの面白い指摘もあった。「嘘は」であるべき、と私は断言する。(恂)

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鯛焼きを供え彼岸を終えにけり     須藤 光迷

鯛焼きを供え彼岸を終えにけり     須藤 光迷 『合評会から』(番町喜楽会)  新聞記者のOBが中心になって立ち上げた句会だから、時にこんなコメントが飛び出してくる。  ――私が警視庁担当記者の頃だから、もう何十年も前のことです。ネタ(新聞記事の材料)を取るため、毎晩のように「夜回り」をしていて、警視庁のある人のお宅にも通っていたんです。その家ではお婆さんが、息子さんの帰りを待っておられる。お婆さんが亀戸天神の前の鯛焼きが大好きだと知ってからは、そのお宅には必ず、鯛焼きを買って持って行く。息子さんが帰ると、お婆さんが「また鯛焼きを頂きましたよ」と報告する。そのためではないと思いますが、何度かネタを頂戴しましたよ。この句を見て当時のことを思い出し、一も二もなく選ばせて頂きました。その警視庁の人? 後に警視総監になりました――  合評会での長い発言は普通、要点だけに刈り込んでしまうのだが、今回は特別。実はこの先まだ話の続きがあった。発言者は、お婆さんが亡くなった後も彼岸などに鯛焼き持参で、お線香を上げに行ったという。なお、別の選者から「鯛焼きによって、句にリアリティが生まれた」という発言があった。(恂)

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没日中峠より見ゆ大辛夷     大下 綾子

没日中峠より見ゆ大辛夷     大下 綾子 『この一句』  「没日」をどう読むか。「いりひ」の例はかなりあり、調べてみたら「秋没日(あきいりひ)」という季語もあった。しかし一般の辞書に載っているのは、「ぼつにち」「もつにち」と読む言葉だけである。この句の得点が少なかったのは、「いりひ」と読めた人が少なかったからではないだろうか。  前句に続き東京の名園、六義園吟行の作である。園内には歌枕(和歌に詠まれてきた名所)になぞらえた場所が各所に作られていて、その一つが藤代峠。高さ十五辰曚匹涼杙海榔狷皸賈召寮箙イ慮晴らし台になっていて、句は実在の峠から夕陽に映える満開の大辛夷を眺め下ろすかのように詠まれている。  吟行の句と知らない人は、どこの峠なのか、と思うはずだ。しかし作者は敢えて、そのように詠んだのではないだろうか。実景を庭に写した風流人の遊び心を逆用し、庭をあたかも実際の風景のように・・・。私はとても面白い句だと思った。もし「没日」にルビがあれば、多くの支持を得たかも知れない。(恂)

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百千の胡蝶吐き出す大辛夷     大澤 水牛

百千の胡蝶吐き出す大辛夷     大澤 水牛 『六義園吟行コメント集から』(日経句会などが参加) 双歩 あの辛夷(こぶし)の大木をよくぞ詠いあげた。表現の巧みさ(少し大げさですが)に参りました。 智宥 胡蝶を吐きだすとは、ちょっと真似のできない表現にしびれました。私なんぞは辛夷と木蓮はどこが違うの? という水準ですから、とても敵いません。 正裕 満開の大辛夷が百千の蝶を吐くようだ、という表現はうなずける。 臣弘 大辛夷の白さを乱れ飛ぶ胡蝶に例えたのは、たしかに巧いですね。             *            *  六義園(東京・文京区駒込)は東京の代表的な名園の一つ。徳川幕府の老中・柳沢吉保が下屋敷として造園した。和歌の浦など歌枕の風景を、園内各所に写したと伝えられる。三菱財閥の創業者・岩崎弥太郎が明治時代に購入、後に東京市に寄贈された。この季節の人気の的、枝垂れ桜は吟行の日は三、四分咲き、代わって満開の大辛夷が大勢の人を集めていた。樹高、枝張りはともに十辰鯆兇垢世蹐Α真っ白な花はさながら百千の胡蝶。よくもこんなに、と思うほど咲き揃っていた。(恂)

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春深し新芽に花に陽に雨に     山口 斗詩子

春深し新芽に花に陽に雨に     山口 斗詩子 『季のことば』  「ずいぶんあれこれと春を盛り込んだものだ」というつぶやきが聞こえて来そうな句だ。まさにその通り、季語の「春深し」に始まって、「新芽」(芽吹く、木の芽)、「花」と続き、それに連なる「陽」は「春陽」を、「雨」は「春雨」を連想する。つまり、最初から最後まで、春、春と連呼している感じなのだ。  しかし、これほどまでに春の景物を並べ立てると、いっそ気分がいい。なるほどそうなんだよなあ、と感じ入ってしまう。  「春深し」は晩春四月の季語で、ソメイヨシノが散り始め、木々が芽吹き始める頃から五月初めの立夏直前までを言う。春という季節が爛熟する頃合いで、「春闌ける」と言い換えたりもする。  この時期は気温と湿度の変化が激しく、それが体調に影響するせいか、物思いに耽ることも多くなる。「春愁」という季語もそんなところから生まれたようだ。一方、この時期は陽気で明るい側面も持つ。花が終われば活力溢れる新芽が吹き出す。それを促すのが晩春の陽光であり、温かい雨である。この句はそういう周囲の様子を何の衒いもなく詠んでいる。そこが気持いい。(水)

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朝の駅皆で見守る燕の巣     斉山 満智

朝の駅皆で見守る燕の巣     斉山 満智 『季のことば』  背中は青光りする黒、胸から腹は純白、喉元が鮮やかな紅色、外側の尾羽がぐんと長くいわゆる燕尾となる。実にスマートな鳥だ。三月に入ると間もなく南方から日本列島にやって来て、民家や商店の軒先などに巣を作り、子育てする。燕が町中を縦横無尽に飛ぶようになると春も本番である。  燕が人家に巣をかけるのは、鴉や鷲、鷹など猛禽類に襲われないようにとの腹づもり。人間に守ってもらう代わりに、田んぼや畑に飛んで来る虫をせっせと捕って作物を虫害から防ぐ。人類が農耕を始め定住するようになって以来、燕との共存共栄がずっと続いてきた。  それなのに近ごろの町や村の建物はコンクリート造で軒や庇が無い。商店や公民館などでは「糞害」を言い立てる人がいて、せっかく作った巣が撤去されてしまうことすらある。そして、田畑は農薬まみれで餌の虫がほとんど飛ばない。  辛うじて駅舎に巣を作った燕。幸いここの駅長は立派な人なのだろう、巣の下方に糞を受ける棚板をしつらえた。毎朝、通勤通学者が巣を見上げる。「今日は雛たち元気かな」。忙しない最中に、ほっと安らぎを感じる。(水)

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休耕田見守る羅漢春深し     谷川 水馬

休耕田見守る羅漢春深し     谷川 水馬 『この一句』  安倍政権は先頃締結したTPP(環太平洋経済連携協定)を国会に批准させたいと躍起である。輸入自由化によって日本農業が壊滅的打撃を受けるという危惧を払拭しようと、農家の保護はもちろん、農地の大規模集約化・法人化を進め、休耕田も無くし・・等々、あれやこれやの手を打っている。一方、日本産の米や野菜、果物が質の良さを買われて世界中に大人気で輸出急増などというニュースを意図的に流す。しかし、それはあくまでも例外的ケース。国際市場価格からすれば飛び抜けて高い日本の農産品がそんなに沢山売れるはずがない。あれこれあっても、とどのつまり日本農業に明るい未来はうかがえない。  それに第一、田畑を耕す働き手が農村地帯からどんどん離れてしまっている。これから先、休耕田はますます増えていくのではないか。そして、二束三文になった農地は、「農業法人」の皮衣をかぶった外資に買われ、瑞穂の国がむしばまれて行く恐れ無しとも言えない。  「休耕田ですから、回りは枯れ草。うらぶれた感じの羅漢さんがつくねんと・・・春深しの雰囲気が漂います」(正裕)。時事句の秀逸である。(水)

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春深しひっそり閑と父母の家     星川 佳子

春深しひっそり閑と父母の家     星川 佳子 『合評会から』(番町喜楽会) 双歩 「ひっそり閑」という言葉をこういう風に使うのはいいですね。すっかり淋しくなった父母の家・・、春深しとうまく合っていると思います。 而云 ご両親は健在なんだが、静かに暮らされて、閑寂という感じでしょうか。確かに季語とよくマッチしていますねえ。 斗詩子 春闌けて爛漫の季節ですが、両親だけひっそりと暮らしている、その対比がよく伝わってきます。 光迷 これからこういう家庭がどんどん増えてくるということも思いました。 百子 きっと洗濯物なんかも干してなくて、生活感がまるで感じられないようなひっそり閑なんでしょうね。上手に詠まれてますね。 水馬 春深しの「は」、ひっそり閑の「ひ」、父母の「ふ」と、「は・ひ・ふ」が塩梅良く配置されて、響きの良さが出てます。        *     *     *  四月句会の最高点句。作者はこの日、「燕来る卯建並びし宿場町」「頬杖で何やら言ふて春深し」が次席、三席となり、句会史上初めての「天地人独占」の快挙。(水)

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やはらかな一雨去って初桜     嵐田 双歩

やはらかな一雨去って初桜     嵐田 双歩 『季のことば』  作者は「初桜」という季語を一度使いたいと思って、じっと機会をうかがっていたのだそうである。折柄、やはらかに辺りを濡らす春雨があった。その翌日、なんと咲き出した。  今年の東京の開花宣言は三月二十一日で、句会のあった十六日にはソメイヨシノは未だだったが、彼岸桜はじめ何種類かの桜が十日頃から咲いていたから、ウソをついたわけではない。句会合評会でも「これは実感です。昨日今日まさにこういう情景でした」(弥生)、「この句が季節感を一番よく出している」(正市)、「読んでほっとする句。心にしみ込んでくる春雨と初桜がぴったり・・」(十三妹)と絶賛を博した。作者の熱意が実ったクリーンヒットと言えよう。  「花」と言えば桜を指すように、日本人のこよなく愛す花の女王である。「初花」(初桜)に始まって「若桜」「遅桜」「姥桜」を経て「花の名残」(残花)、「花惜しむ」「落花」(散る桜)、「花吹雪」と、咲き始めから散るまで追い続ける。そして、散ってしまってからも「桜蘂(しべ)降る」と蘂が降りそそぐ風情をも詠もうとする。作者には順を追って詠んでいただこうか。(水)

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