指揮棒のぴたりと止まり卒業す     廣上 正市

指揮棒のぴたりと止まり卒業す     廣上 正市 『合評会から』(日経俳句会) 智宥 「仰げば尊し」かな。「指揮棒がぴたりと止まり」オレも卒業だと思ったんだ。うまいことを言うなぁ。 而云 そうですね。「仰げば尊し」は「いざさらば」で終わる、その瞬間が卒業なんだ。 阿猿 卒業することの一点を指揮棒で具体化したのがいいですね。 光迷 「ぴたりと止まり」ですべてがうまくいったという、気持ちのいい句です。 弥生 コンサートに行って、素晴らしい演奏の指揮棒がぴたりと止まる。心の澱が消えて、次のスタートが切れる。そういう意味の「卒業」なのかな、とも思いましたが。              *             *  卒業式で「仰げば尊し」が歌われなくなってきたという。歌詞の難しさがその理由だそうである。なるほど「いと疾(と)し」とか「やよ、励めよ」など、非常に古い。今の小・中学生では最初の「仰げば尊し」から、最後の「今こそ別れめいざさらば」までの全部が分からないかもしれない。しかし、とも思う。この歌詞の全てが、俳句作り、俳句鑑賞に必ず役立つ。俳句は今も学校教育の一端に加わっているのだ。(恂)

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みはるかす盆地を湖に朝霞      井上 庄一郎

みはるかす盆地を湖に朝霞      井上 庄一郎 『この一句』  朝霞が盆地一帯を覆っている。風はなく、霞は動かず、湖のように見える。そんな風景をこの句は「盆地を湖(うみ)に」と言い切ったのが素晴らしい。確かにこういう風景に出会ったことがある。盆地とは山に囲まれた平地だから、日本中にたくさんあるはずだが、私が見たのはどこだったのだろう。  奈良盆地、京都盆地、甲府盆地、猪苗代盆地、北上盆地。善光寺平や伊那谷も盆地だし。高いところから見下ろしたはずだが、飛行機からではなく、山の上からでもない。バスだろうか、鉄道だろうか。いくつもの風景が浮かんでくるが、実景なのか、霞と霧のどちらだったかさえ、はっきりしない。  「みはるかす」の漢字表記は? と調べたら「見霽かす」と書くのだった。実は私の頭にすぐ浮かぶのは片仮名の「ミハルカス」だ。半世紀も前、三冠馬シンザンに戦いを挑んだ名馬の名である。思考がこんな風に変わるのは年のせいに違いない。さて私の「盆地を湖に」の風景は、まだ霞の中にある。(恂)

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ローカル線景色ゆるりと薄霞     水口弥生

ローカル線景色ゆるりと薄霞     水口弥生 『この一句』  ローカル線なら一両から三両編成までだろう。色の違った二両連結に乗った記憶もある。一時間に一本、通勤、通学時間が終われば乗客は一両に二三人。ガタンゴトンと、のんびり動いて行くが、この句は薄霞のかかった眺めを「ゆるり」と形容して、列車と風景の一体感を見事に表現した。  定年後の年金世代にローカル線ファンが増えているらしい。時間はたっぷりあり、新幹線や特急より運賃がかなり安い。いわゆる「鉄ちゃん」とは違って特別な目的がなく、絶景に出会えば小さなカメラで一枚撮り、あとは自分の目で風景を楽しむだけ。作者はそういう一人なのか、と思ったが・・・。  もしかしたら違っているかも知れない。「霞」が兼題の句会で、もう一句「逢ひにゆく道のしるべの霞けり」を出していたのだ。前句の続きで、田舎の駅を降り、ゆっくり歩き、何らかの目印を探している、と勝手に想像した。「逢ひに」行くのは人か、思い出の場所か。ともかく独り旅のようである。(恂)

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フランスの塩をひとふり菜飯かな     池村実千代

フランスの塩をひとふり菜飯かな     池村実千代 『合評会から』(日経俳句会) 水牛 私は菜飯が好きで、時々作ります。この句は洒落ていて気に入りました。 阿猿 菜飯とフランスの塩の取り合わせに味がありますね。ヒマラヤの塩は聞きますが。 冷峰 ドイツの塩は知っているが、フランスの塩はあまり聞いたことがない。 水牛 フランスとドイツの岩塩の産地は同じ場所と言っていい。昔から取りっこしていた。 好夫 私はブルターニュの海の塩だと思いました。美味しそうですね。 弥生 フランスの塩と菜飯の意外な取合せ。感覚的に面白く、選ばせて頂ききました。 明男 この句、フランスの塩が実に効いていて、うまいものだと感心しました。 守 菜飯というと「母」「懐かしい」「貧しい」など、伝統的な日本の食卓のイメージが浮かびますが、フランスの塩とは・・・。新鮮な取合せです。           *          *  外国産塩の使用はもう普通のことらしい。塩の国際化、食の国際化は俳句の国際化にも通じている。(恂)

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海風や菜めしに混じる黄の蕾     高瀬 大虫

海風や菜めしに混じる黄の蕾     高瀬 大虫 『合評会から』(日経俳句会) 光迷 房総あたりかな。菜の花も咲くし菜飯も美味そうだ。春を感じさせる句ですね。 水牛 その通り。菜の花ご飯でしょう。黄色い花が少し見えて美味しそうだ。感じのいい句です。 正裕 「海風や」の上五がミソだと思うんです。光迷さんの言うように、房総の色彩と海を感じます。 十三妹 黄の蕾は菜の花でしょう。緑の葉の色に海風で、いっそう美味しそうです。ささやかな所を見つめて、大きなスケールを表しており、感動しました。 大虫(作者) 菜飯の緑があって菜の花の黄色があって、そこに海の青を入れたらと思った。               *            *  海風は日本列島の周辺全域に吹いているし、黄花を咲かせる野菜はほかにもある。ところが場所は房総、黄の蕾は菜の花、と思わせてしまうこの句の不思議さよ。不肖・筆者はそれと知りながら、最終選句から外してしまったが、各コメントを読むうちに、句に込められた技巧に気付かされて行った。房総の海風を感じながら、菜の花ご飯を食べてみたい。いや本心は、こんな句を作ってみたい、かな。(恂)

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龍天に昇る心地の退院日     高石 昌魚

龍天に昇る心地の退院日     高石 昌魚 『この一句』  一週間程度か、あるいはもっと長く病室に閉じ込められていたのか。とにかく解放された時の喜びは、まさに天に昇る心地であろう。それを兼題の「龍天に」に結び付けた。タイミングが良いと言えばそれまでだけれど、これほどうまくはまったのも珍しい。  作者は日経俳句会最長老で医学の泰斗。病気に関する知識は深い。しかし自分の身体となると別らしい。「全くそうなんですよ。お恥ずかしい限りですが、自分のこととなるとさっぱりで・・」と苦笑なさる。回りからせっつかれて検査したところ胃癌が見つかって、入院手術となった。  「手術は極めて簡単、術後の経過も良くて、すぐに退院となったのですが、よせばいいのに、あれやこれや好きなものを好きなだけ食べたのが悪くて、またおかしくなって再入院。医者をやっている息子に怒られました」と苦笑する。「まあこの年になれば癌の進行具合と寿命が尽きるのと、どちらが早いか分からないんですから、手術もへったくれもないんですが」とニコニコ。それでも「退院」は、たとえようも無い喜びなのだ。(水)

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谷に落ち谷より上がる花吹雪     徳永 正裕

谷に落ち谷より上がる花吹雪     徳永 正裕 『英尾先生墓参・滝山城址吟行』  日経俳句会創設者故村田英尾先生の眠る八王子霊園へ、毎年花の咲く時期に俳句仲間うち連れて参り、近くを吟行している。今年は後北条の一族北条氏照の居城だった滝山城址に出かけた。これはその吟行句会で最高点を得た句である。以下は寄せられたコメント。 白山 谷あり掘あり難攻不落の山城と花吹雪の風情を良く表現している。 てる夫 「谷に落ち谷より上がる」とは見事な修辞だ。 冷峰 もう言うところのない完璧な句。 智宥 あの五千本桜の中心は谷底。折からの風で花が舞う風情を見事に表現している。滝山城の桜は背が高かったから吹雪にも落差があった。 二堂 花が谷に降る、そして吹雪のように風に乗った花が、また谷から吹き上がる。花吹雪の様子が実感できる。  とまあ絶賛花吹雪のように舞った。滝山城は北側が断崖で眼下に多摩川が流れ、南側には八王子のなだらかな丘陵地帯と田園風景が広がる。山の斜面、谷間の5千本のソメイヨシノやヤマザクラが、まさに桜花爛漫だった。(水)

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行く鴨の名残を惜しむ水辺かな     久保田 操

行く鴨の名残を惜しむ水辺かな     久保田 操 『季のことば』(六義園吟行)  「行く鴨」「引鴨」は、三月初めから五月初めにかけて、繁殖地であるシベリアや中国東北部に飛び立って行くのを言う季語である。秋に飛来し、冬の間、過ごしやすい日本で餌をたくさん食べて体力を付ける。そうしながら伴侶を見つけ、翼たずさえ北国へ帰り雛を生み育て、長距離飛行の出来るようになった子どもたちと共に翌年秋にまた日本にやって来るのだ。  鴨の種類によって早く帰るのと、いつまでも日本に居残るのとがいる。三月末の六義園の池にはマガモの姿は見えなかった。もう飛び立った後だったのだろう。その代わり、黒白ぶちで金色の眼が光る、小さいが派手な姿のキンクロハジロという鴨がたくさんいた。  この小鴨は繁殖力旺盛な種類らしく、今や日本の至る所の湖や池や川に来るようになった。美しい姿とちょこまかした動きで愛くるしい感じだが、実はしたたかで、見物客が池の鯉に投げる麩を素早く横取りする。  六義園の池でも盛んに愛敬を振りまいて、いかにも去り難い様子であった。その様子を素直に受け止めて詠んでいる。(水)

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龍天に登るロックのコンサート     加藤 明男

龍天に登るロックのコンサート     加藤 明男 『合評会から』(日経俳句会) 臣弘 野外でエレキギターなどの音が大きく響いて、龍が天に上がる様子がよく出ている。 昌魚 ドラムなんかが大きな音を響かせている。正に「龍天に」ですね。 正 ドラムやエレキのめちゃくちゃうるさい音の感じを「龍天に」に結び付けたことがうまいと思った。 定利 「龍天に」にロックコンサートを持ってきたのがすごい。 二堂 野外ロックコンサートで、空に大音響を出しているところが、「龍天に」にぴったりだ。           *       *       *  4人の評は文字通り「異口同音」。一読、その情景が音入りで浮かんで来る句だから、こうなるのだろう。「龍天に登る」は春分の頃の季語なのだが、この句には夏の気分がある。しかし、そんな詮索は無用である。三月の末だとて夏日を思わせるような日もある。若者達の熱気を感じて、淵に潜む龍だとて気が逸るに違いない。(水)

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やり直しきかぬ人生春一番     片野 涸魚

やり直しきかぬ人生春一番     片野 涸魚 『合評会から』(酔吟会) 水馬 「やり直しの人生」と「春一番」をくっ付けたのには驚いた。物々しさと滑稽さが組み合わさって味を出している。 詠悟 人生のやり直し、これまで何回か考えた。もう一回ぐらいありえるかなとも考えるのだが。 操 私はまだ人生やり直せると思っている。春一番の風で元気出せよ頑張れと言っているような気がした。           *       *       *  正確に勘定したわけではないが平均年齢七十歳を越していると思われる句会なのだが、「人生まだまだ」と元気溌剌である。作者は昔、キルケゴールの絶望の哲学を読んであれこれ考えたことを思い出して、この句が出て来たのだという。  「やり直しのきかない人生」というのはよく聞くフレーズだが、「春一番」との取り合わせがいい。やり直しはきかないにしても、強い春風に背中押されて、もう二つ三つ面白いことをやって、最終楽章を盛り上げようというのだ。(水)

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