庭石の濡れて気づくや春の雨 高井 百子
庭石の濡れて気づくや春の雨 高井 百子
『季のことば』
「春雨」と「春の雨」。無論どちらも春の季語である。しかし、伝統的な俳句の世界では両者には区別があった。「春雨」は晩春、いまのカレンダーで言えば四月の季語であり、「春の雨」は三春通じての雨をいうものとされていた。そして、その降り方によっても区別があった。春雨はしとしとと「小止みなく、いつまでも降りつづくやう」(服部土芳『三冊子』)な雨であり、さっと降って上がる雨や、嵐のような降り方はすべて「春の雨」と詠むべきものとされていた。
その伝からすれば、この句は「春雨」でなければなるまい。しかし、芭蕉高弟の土芳さんは、「春雨」の情趣を珍重する和歌以来の伝統を尊んでこう言ったまでで、それを金科玉条として現代の我々が金縛りになる必要はさらさら無い。当時既に「春雨」と「春の雨」は、字数合わせなどで融通無碍に使い分けられていたのである。というわけで今や、両者の垣根は取り払うことにしよう。
掲出句は音も無く降り出す春雨の感じを実に上手く詠んでいる。ただ、昔どこかで見たような感じがする句というところがあり、句会では損してしまう。しかし、このオーソドックスな堂々たる詠み方は、やはり素晴らしい。(水)