ジンジンと激し二月の神経痛 直井 正
ジンジンと激し二月の神経痛 直井 正
『この一句』
これはまあ何と、と言わざるを得ない句である。そういえばこの間の句会に姿が見えなかった。これは持病を詠って「欠席投句の挨拶」をなさったのだろう、さぞかし辛いことであろう等々、句の鑑賞より同情が先に立ってしまう。
神経痛やリュウマチなどはかかった人でなければ本当の辛さは分からないという。筆者は腰痛持ちで、ちょっと無理が重なると発作が起こり、動けなくなる。その激痛は説明しようがない。暫くして這いずれるようになると、鎮痛剤を取り出して吞み、寝床にうつ伏せになって、ただひたすらじっとしている。しかし、私の場合、鎮痛剤のお蔭もあって数時間でよちよちトイレくらいには行けるようになり、二日か三日でケロリと直る。それに比べて、作者の神経痛はかなりひどく、長いようだ。
このように苦しむ作者に対してまことに失礼千万な言い方だが、この句、大悟徹底というか達観というか、苦痛を客観視して俳諧味を醸し出している。正直申して句会で見た時、思わず笑ってしまったのである。「二月の神経痛」という措辞にその秘密があるようだ。そこに救いがあり、立派な句になっている。(水)