しゃぼん玉飛んで弾ける白昼夢      流合 研士郎

しゃぼん玉飛んで弾ける白昼夢      流合 研士郎 『季のことば』  しゃぼん玉を吹くと、ストローの先でくるくると廻りながら大きくなっていく。風があれば細長くなびくこともあるが、周りの景色を映しながらなおも廻っている。やがてストローから離れると、ようやく自分の世界を得て、悠然と、時には生き急ぐように飛んでいき、必ずパチンと弾けてしまう。  この句、「弾ける」が、しゃぼん玉と白昼夢の双方にかかっている。しゃぼん玉が弾け、作者の白昼夢もまた、ということだ。さらに、しゃぼん玉が抱いていた夢も破れた、とも思えるし、句の読み方よっては「人の夢、この世の夢が、弾けてしまったのだよ」と怖いことを言う人がいるかも知れない。  俳句は省略の文芸だという。省略によって、さまざまなことを読み手に連想させる文芸とも言えるだろう。ストローの先で廻っているさまざま世界は、人の世そのものなのだろう。「しゃぼん玉消えた 飛ばずに消えた 産まれてすぐに・・・」。しゃぼん玉は詩人に、こんなことまで考えさせてしまうのだ。(恂)

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しやぼん玉空へ二階のベランダへ     廣上 正市

しやぼん玉空へ二階のベランダへ     廣上 正市 『この一句』  一般家庭の庭を吹く風は、野原や運動場などの広い場所に比べると、かなり複雑な動きを見せる。家があり、垣根や庭木などがあり、隣家との狭いすき間もある。強い風、弱い風、あるいは無風の時もあり、上に吹きあげたり、時には吹き下ろしたりする。シャボン玉は面食らうのではないだろうか。  この句はまさに普通の家庭の光景である。幼い二人の兄妹が庭で競うようにしゃぼん玉を吹いている、と私は想像した。一つが順調に空に昇って行ったのだが、もう一つが同じように昇って行くとは限らない。初めは先行のしゃぼん玉を追いかけていると見せて、突然、真横に動き出したのである。  すると、お祖父さんが二階の部屋から顔を出した。俳句を作っていたのだが、孫たちのはしゃぐ声が聞こえてきたので、何をやっているのだろうと、ベランダに出てきたのだった。そこにしゃぼん玉が近づいていく。お祖父さんが手を伸ばす。子供たちは・・・。私はこんな状況を実際に見たことがある。(恂)

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書き出しにはや二月という手紙来る     鈴木 好夫

書き出しにはや二月という手紙来る     鈴木 好夫 『季のことば』  二月半ばの句会で、この句に出会った時、「そうそう、こういう葉書を頂いたことがある」と共感を覚えた。やがて気付いた。「はや二月」。これは二月ではなく、一月のことを言っているのだ。新年を迎えたと思ったら、もう二月。つまり一月が瞬く間に終わってしまった、ということである。  一月はいろいろな行事が重なっていた。初詣や年始の訪問などの三が日に始まり、新年句会、初会合、初ゴルフ。私ごとで言えば、二日酔ものかわ原稿を書く時期もあって、三十一日間を意識することもなく過ごしていたような気がする。いま思えば、あの頃は早くも遠い過去になってしまった。  しかし「二月は逃げる」と言われる。時の過ぎていくスピードは一月より二月の方が早い、という実感もある。時の流れを速く感じるのは年のせいかとも思う。中学生時代に教わった漢詩の一節「一寸の光陰軽んずべからず」が耳に甦る。今日あたり、「はや三月」の葉書が来るかも知れない。(恂)

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梅二月母の頬紅買ひに出る     横井 定利

梅二月母の頬紅買ひに出る     横井 定利 『合評会から』(日経俳句会) 阿猿 二月は母の誕生月であることを思い出して採りました。梅の花と頬紅、二つのピンクが見えてきます。 臣弘 母親思いの娘の気持ちがよく出ている。私も頬紅使っちゃおう、という下心もあるのかな。女性が選びそうな句だが、男の私もこの娘さんの気持ちを感じて、選びました。 反平 色があってきれいな句です。梅が咲いて春の空気が漂い始め、お母さんも外に出たいと言い出したのですね。娘さんの気持ちもよく分かり、情の厚い句と言えるでしょう。 佳子 お母さん世代の人も、二月は心が華やいで頬紅がほしくなるのですね。 而云 お母さんは寝たきりとかで買い物に出られない。それで頬紅を・・・。「梅二月」と合っています。 定利(作者) 義姉が交通事故で寝たきりで。甥が頬紅を買いに行ったというので、句にしました。              *           *  作者は男性であった。寝たきりの母の頬紅を買いに行ったのは息子だった。意外や意外、ではあるが、「なーんだ」なんて言ってはいけない。これも俳句であり、俳句という文芸の面白さだ、と私は思う。(恂)

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