境内に掃くほどはなき春落葉 山口 斗詩子
境内に掃くほどはなき春落葉 山口 斗詩子
『季のことば』
春落葉とはめずらしい季語を詠んだものである。しかし、確かに春落葉というものはある。樫、椎、樟や檜などの常緑樹は春から初夏に落葉する。枝の先端に新たらしい葉が出ると、一番元にある古い葉がぱらりと落ちる。落葉樹のように木枯らしが吹くと一斉に枯葉となって散るのと違って、若い葉が出るに従って散るのだから、あまり目立たない。しかし、半月もしないうちに常緑樹の下には枯葉がかなり落ちているのに気づく。
「春だというのに枯落葉とは」といった愁いを抱かせる。一方、その梢の先には浅緑の新葉が輝いているのが見え、生きとし生けるもの、古きは新しきに席を譲るという自然の摂理を感じさせる。
この句は常磐木が生い茂っている神社か大きな寺の境内であろう。寺男か巫女さんが掃き清めている。毎日やっているから、掃き集めるほどの落葉は無い。箒目が浮き立つ清楚な境内に春日差しがやわらかくそそいでいる。忙しない日常生活にざらついた心身がひとりでに癒されて行くようだ。(水)