春の日の折鶴ふはと飛びにけり 徳永 正裕
春の日の折鶴ふはと飛びにけり 徳永 正裕
『合評会から』(番町喜楽会)
恭子 暖かな縁側でお年寄りが鶴を折っている、そのうちにこちらの世界なのか、あちらの世界なのか、渾然一体となってしまうという感じを受けまして・・・。
光迷 飛ぶはずのない折鶴が飛んで行く、幻想と春の日が合っています。
白山 この感性は素晴らしい。
而云 折鶴は原爆記念日をイメージすることがよくありますが、あれは悲しい。この句は春の日でふわーっと飛んで行く雰囲気、これがいいですね。
冷峰 お年寄りなのか、春の日の中で鶴を折っていると、ふわーっと飛んで行けるような気分になる。そんな感じなんじゃないのかな。
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前衛俳句の旗手として「二物衝撃」という手法を唱え、俳句界に旋風を巻き起こした赤尾兜子が広島原爆記念碑に捧げられた千羽鶴を見て詠んだ句に、「帰り花鶴折るうちに折り殺す」がある。この句の印象が強くて、折鶴には悲しさがつきまとうが、掲出句はあたたかな折鶴を詠み、明るいイメージを取り戻した。その功績大である。(水)