生きるとは何ぞやなどと蜜柑むく 高瀬 大虫
生きるとは何ぞやなどと蜜柑むく 高瀬 大虫
『この一句』
この句を見て久々に中学時代の社会の先生を思い出した。その先生は何かにつけ「~とは、なんぞや」と首を前に突き出し、生徒に問うのである。しかし生徒の回答を待つこともなく、すぐに答えを言ってしまうのだ。先生にとっての「なんぞや」は、何かを説明する前の口癖のようなものだったのだろう。
「なんぞや」と平仮名で書いたのは、「何ぞや」だと電子辞書(広辞苑)で引いても出てこなかったからである。こういう場合はインターネットに限ると、「何ぞや」で調べて見たら、何と「なぞや」と読むのだそうだ。ただし「なぞや」の意味は「どうして」「なぜ」などで、「なんぞや」とは違う気もする。
作者はこう言った。「テレビで『宮本武蔵』を見ていて、彼の一生は何だったのか、と・・・」。ここで「などと」が、相当な役割を持っているのだ、と気づいた。「なんちゃって」ほどではないが、多少のおどけが感じられ、「蜜柑むく」へと巧みに繋がっていく。「なかなかやるなぁ」などと、私も蜜柑をむく。(恂)