草餅や口に広がる野の世界        宇野木敦子

草餅や口に広がる野の世界        宇野木敦子 『この一句』  子供の頃、よく野原で遊んだことのある人なのだろう、と想像した。この時期の野はまだ枯草に覆われているが、その下をよく見れば、緑が少しずつ表れている、という状況である。そのような中から、餅草を見つけ・・・。この人は多分、「蓬(よもぎ)」ではなく「餅草」と呼んでいたに違いない。  作者名が分かって、具体的な風景が浮かんできた。第二次大戦中、長野県伊那地方の祖父母の家に疎開されていた。あたりは「伊那谷」と呼ばれるが、天竜川を挟んで平地が豊かに広がる農村地帯である。野原も土手もたっぷりあって、遊び場には事欠かず、餅草を摘みに行ったりしたのだろう。  中学に入る頃に東京へ戻り、子育てやキャリアウーマンとしての仕事を終えた後、趣味の俳句に馴染むようになった。まだ初心者の段階かも知れないが、少女時代の生活に根差した句は瑞瑞しさを発散する。この句もその一例。いまも草餅を食べれば、たちまち七十年も前の記憶が甦ってくるのである。(恂)

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春や春ダンスパーティの喜寿傘寿     田中 白山

春や春ダンスパーティの喜寿傘寿     田中 白山 『この一句』  さる公立の会館で日曜日に行われる句会の開始時間は、ちょうどダンスクラブと重なっていて、開場を待つ間、互いのメンバーが同じベンチに待つことにもなる。派手なダンス組に比べると俳句組はどうしても押され気味だ。向うの女性が隣に座り、挨拶されたりするとドキマギしてしまう。  句会が始まってからもまだ問題が残る。部屋のドアを開けた時は、向うの音楽がドッと聞こえて来て、「賑やかにやっているな」などと思えば、選句作業が中断されることにもなる。しかし不思議に羨ましいとは思わない。よう、ご同輩、お互い元気にやっていこうじゃないか、とエールを送りたくなる。  この句からもそんな大らかな気分を窺うことが出来よう。彼らに「春や春、喜寿傘寿」と祝福を送っているのだ。負けじと思うのはどこまで続けられるか、である。喜寿は軽く超えて、傘寿、米寿、卒寿までも。向うは肉体を、こちらは頭脳を鍛えて、どちらが勝つか。やはりライバル同士だった。(恂)

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花辛夷画家にならむと東京へ       大下 綾子

花辛夷画家にならむと東京へ       大下 綾子 『合評会から』(番町喜楽会)  正裕 実際にこういう経験をした人の句なのかな、どうなのかな。作者を知りたい気分もありました。辛夷(こぶし)の咲く頃、意気盛んに故郷を出たという、なかなかいいですね。 而云 「画家にならむと」と絞ったのがいい。「野心を抱きて」ではね。作者はS・T氏(美大出のデザイナー)か。いや、作者が誰であろうと選ぶべき句だと思って・・・(「どういう意味か」など、がやがやと)。 大虫 私もそう思ったが、画家よりお金が儲かるデザイナーになったんだから(大笑い。あとは聞きとれず)。 百子 私も(高点句連発の)作者と推測しましたが、違うらしいので。(ほっとした? の声に大爆笑)。 綾子(作者) なんだか名乗りにくくなってしまいましたが、有難うございます。これは辛夷の花から信州を連想し、さらに無言館を連想しての句なのです。                   *        *  句会では常に冷静に句を鑑賞し、何物にも影響されずに評価すべきだ、というのが我が信念。ところが「彼の(彼女の)句かな」と気づいたりすると・・・。そんな時に生じてくる思いは“邪念”と言うのかなぁ。(恂)

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目刺焼く故郷の海は寂れけり     須藤 光迷

目刺焼く故郷の海は寂れけり     須藤 光迷 『合評会から』(番町喜楽会) 可升 こういう句、どっかにありそうな感じですが、私も同感します。 正裕 サンマ焼くよりは目刺が似合いますね。 双歩 目刺焼きながらしみじみと寂れゆく故郷を偲んでいる様子が浮かんできて、いいなと思いました。           *          *          *  これは神奈川県の二宮海岸だそうである。この一帯は左隣の大磯から右隣の小田原まで、白砂青松の美しい海岸がずっと続いていた。ところが高度経済成長時代、国道一号線(東海道)の混雑緩和のために、大磯のはずれから小田原まで、海岸を真っ直ぐに突き抜ける西湘バイパスが出来た。これによって、二宮という半農半漁ののんびりした町は海と切り離されてしまった。  自動車でぶっ飛ばす人たちにとっては広々とした海と箱根に至る山を眺める、眺望絶佳のドライブウエーとして人気が高い。しかし、一晩中ひっきりなしに走る自動車のライトに怯えて、魚が寄りつかなくなってしまった。二宮の海は相変わらず美しいが、死んでしまった。これは痛恨のふる里挽歌である。(水)

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春うらら新橋駅より豊洲駅     井上 啓一

春うらら新橋駅より豊洲駅     井上 啓一 『季のことば』  「麗らか」は、あたりが春の日に包まれ輝きを増している感じを言う。そこから人の心が伸び伸びとして、朗らかな感じになるのを表すのにも言うようになった。これと対になるような季語に「長閑(のどか)」があり、これも春の光りの明るさと温かさから出た言葉だが、今日では「のんびりした」「ゆったりした」気分を言うのに用いられている。  この句はそういう暖かでうららかな春の日に「ゆりかもめ」に乗って新橋から豊洲まで、お台場散策に出かけたところだろう。1853年(嘉永6年)ペリー提督率いる米国艦隊が突如東京湾に現れ、開国を迫った。これは大変だと幕府は「来年まで待ってね」と引き延ばし、その間に突貫工事で品川の八ツ山や御殿山を切り崩し、大砲を据えた台場を拵えた。以後、次々に八つも台場を造った。  それらを足場に沿岸部の埋め立てが進み、今では「ゆりかもめ」や「りんかい線」といった新交通システムも通って、東京新名所になった。子どもが好きなイベント会場や海浜公園がある。孫の喜ぶ様子を眺めては相好をくずす好々爺の姿も浮かんでくる。(水)

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遊戯機の悲鳴も春の報せかな     前島 厳水

遊戯機の悲鳴も春の報せかな     前島 厳水 『この一句』  この句を見た時、即座に小石川後楽園が浮かんだ。水戸徳川家初代頼房が上屋敷として造り、二代光圀(水戸黄門)の時代に完成した名園である。今日では東側半分が後楽園ドーム球場や遊園地など雑踏の巷になっているが、白漆喰と瓦屋根の重厚な築地塀に囲まれた園内は、松や楓、大きな常緑樹が鬱蒼と繁り、これが東京のど真ん中かと思うほどの静けさに包まれている。  突如、何かが崩れ落ちてくるような轟音とともに、「キャアーッツ」という悲鳴が降って来る。遊園地のジェットコースターが急降下するのが樹木越にちらりと見える。  喚声と轟音が遠退くと、江戸の名園はもとの閑寂を取り戻す。これをひねもす周期的に繰り返す。そのうちに慣れてしまって、松原のベンチに腰掛け、大泉水の真ん中の蓬莱島を眺めていると、若い男女の楽しそうな悲鳴も春を告げるバックグラウンドミュージックのように聞こえる。字余りにはなるが「ジェットコースターの」とした方が「遊戯機」よりは良いのではないかなどとも思ったが、とても楽しい句である。(水)

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境内に掃くほどはなき春落葉     山口 斗詩子

境内に掃くほどはなき春落葉     山口 斗詩子 『季のことば』  春落葉とはめずらしい季語を詠んだものである。しかし、確かに春落葉というものはある。樫、椎、樟や檜などの常緑樹は春から初夏に落葉する。枝の先端に新たらしい葉が出ると、一番元にある古い葉がぱらりと落ちる。落葉樹のように木枯らしが吹くと一斉に枯葉となって散るのと違って、若い葉が出るに従って散るのだから、あまり目立たない。しかし、半月もしないうちに常緑樹の下には枯葉がかなり落ちているのに気づく。  「春だというのに枯落葉とは」といった愁いを抱かせる。一方、その梢の先には浅緑の新葉が輝いているのが見え、生きとし生けるもの、古きは新しきに席を譲るという自然の摂理を感じさせる。  この句は常磐木が生い茂っている神社か大きな寺の境内であろう。寺男か巫女さんが掃き清めている。毎日やっているから、掃き集めるほどの落葉は無い。箒目が浮き立つ清楚な境内に春日差しがやわらかくそそいでいる。忙しない日常生活にざらついた心身がひとりでに癒されて行くようだ。(水)

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春の日の折鶴ふはと飛びにけり     徳永 正裕

春の日の折鶴ふはと飛びにけり     徳永 正裕 『合評会から』(番町喜楽会) 恭子 暖かな縁側でお年寄りが鶴を折っている、そのうちにこちらの世界なのか、あちらの世界なのか、渾然一体となってしまうという感じを受けまして・・・。 光迷 飛ぶはずのない折鶴が飛んで行く、幻想と春の日が合っています。 白山 この感性は素晴らしい。 而云 折鶴は原爆記念日をイメージすることがよくありますが、あれは悲しい。この句は春の日でふわーっと飛んで行く雰囲気、これがいいですね。 冷峰 お年寄りなのか、春の日の中で鶴を折っていると、ふわーっと飛んで行けるような気分になる。そんな感じなんじゃないのかな。           *       *       *  前衛俳句の旗手として「二物衝撃」という手法を唱え、俳句界に旋風を巻き起こした赤尾兜子が広島原爆記念碑に捧げられた千羽鶴を見て詠んだ句に、「帰り花鶴折るうちに折り殺す」がある。この句の印象が強くて、折鶴には悲しさがつきまとうが、掲出句はあたたかな折鶴を詠み、明るいイメージを取り戻した。その功績大である。(水)

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魚河岸の春は西から東から     玉田 春陽子

魚河岸の春は西から東から     玉田 春陽子 『合評会から』(番町喜楽会) 双歩 秋とか夏とか入れ換えてみましたが、やはり春が一番だと思いました。西からは鰆かな、東からは何だろうなんて考えていると楽しくなってきます。 冷峰 魚河岸の活気が伝わってきていいですね。西から東からというのが、とてもいい。本日真っ先に採った句です。 正裕 「から・・から」という響きがいい。いかにも春の軽快な感じです。 可升 嬉しくなる気分があふれています。 而云 魚河岸は間もなく築地から豊洲に移転するようですが、新しい所もきっと賑わうんだろうなと、そんなことまで考えました。 光迷 日本列島を考えると「北から南から」なんじゃないか、なんて思いましたが、とにかく感じがいい句。 綾子 活気があって、春らしくて・・。動きがあってとてもいい。              *       *       *  二月句会で圧倒的な支持を集めた。軽やかで、春らしさを感じ、魚河岸の活気も伝わって来る、素晴らしい句だ。魚河岸のポスターになるんじゃないか。(水)

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凧上げの糸伸び切つて空の果て      後藤 尚弘

凧上げの糸伸び切つて空の果て      後藤 尚弘 『季のことば』  歳時記などによれば凧上げは本来、子供の遊戯ではなく、村など集団同士が互いの大凧と糸を絡ませ、切り合う競技、行事だそうである。だから行われる季節は正月や冬ではなく、俳句では「春」の季語になっている、という説明もあるが、そうだろうか。第一、各地の大凧合戦は春とは限らない。  「凧抱いたなりですやすや寝たりけり」(小林一茶)。「凧ひとつ浮かぶ小さな村の上」(飯田龍太)。江戸時代から現代までの名句を調べて見ても、ほとんどが普通の凧を詠んでいる。だから・・・などと、異論を唱えても、正月の季語に変わるはずもなく、これからも凧は春の季語であり続けるのだろう。  しかし、かつての少年たちの心にあるのは間違いなく北風の吹きわたる空の凧である。誰が何と言おうと凧は正月のもの、という確信犯もいるようで、一月の句会に上掲の句が出てきた。しかしこの欄にすぐに登場させると「季が違う」と注意を受けるかも知れず、立春が来てから掲載した次第である。(恂)

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