人生の余白は如何に初みくじ 玉田春陽子
人生の余白は如何に初みくじ 玉田春陽子
『季のことば』
あんなもの気にしない、というのは強がりで、初詣に行けばやっぱり引いてみたくなる御神籤。個人的な印象では、女性が強い関心を示し、同行の男性の方は「俺はいいよ」なんて言いながら、女性の御神籤をのぞき込んだりしている。女性が「見せない」と隠しても、ちらちらと反応を窺ったりして。
初神籤を引いて「人生の余白は如何に」とは、巧く詠むものだ。しかし余白の何を占ったのか。仕事、学業はもう関係がなく、何と言っても健康である。金運? もう必要ない、とも言えないし、大吉を望むほどでもない。旅行、これはかなり重要。今年も一二泊の吟行に何回か行くことになりそうだ。
子供が結婚して縁談にはもう縁がない。しかし恋愛は・・・。神様のお告げだから、ウソを付けないのが苦しいところ。うーむ、ならば待ち人は、と神籤を見れば「待ち人来たらず」。そうなんだよね、と苦笑して済ませるのも年の功だ。「いい俳句が詠めればいいか」。作者はそんな風に思っているらしい。(恂)