人生の余白は如何に初みくじ     玉田春陽子

人生の余白は如何に初みくじ     玉田春陽子 『季のことば』  あんなもの気にしない、というのは強がりで、初詣に行けばやっぱり引いてみたくなる御神籤。個人的な印象では、女性が強い関心を示し、同行の男性の方は「俺はいいよ」なんて言いながら、女性の御神籤をのぞき込んだりしている。女性が「見せない」と隠しても、ちらちらと反応を窺ったりして。  初神籤を引いて「人生の余白は如何に」とは、巧く詠むものだ。しかし余白の何を占ったのか。仕事、学業はもう関係がなく、何と言っても健康である。金運? もう必要ない、とも言えないし、大吉を望むほどでもない。旅行、これはかなり重要。今年も一二泊の吟行に何回か行くことになりそうだ。  子供が結婚して縁談にはもう縁がない。しかし恋愛は・・・。神様のお告げだから、ウソを付けないのが苦しいところ。うーむ、ならば待ち人は、と神籤を見れば「待ち人来たらず」。そうなんだよね、と苦笑して済ませるのも年の功だ。「いい俳句が詠めればいいか」。作者はそんな風に思っているらしい。(恂)

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初富士のすぐそこにある東京湾     大沢 反平

初富士のすぐそこにある東京湾     大沢 反平 『この一句』  テレビの天気予報を見ていると、晴れた日には必ず一度は画面に富士山が写る。関東各所にある定点カメラからの映像だが、ビル街の向うに富士が現れると不思議に嬉しくなる。外出中、電車の窓やビルの高層などから見えた時はさらに嬉しく、人が見ているのを見ると、これまた嬉しくなってしまうのだ。  句の富士は千葉県から望んだものだろう。東京湾を越えて西の方に富士が見える。「すぐそこに」は、いろいろな解釈が出来るが、「手に取るように」「目の当たりに」くらいに受け取ればいいのではないだろうか。中国人の友人が「富士山って、すぐそこにあるんですね」と語っていたことを思い出す。  国を代表し、全世界に知られる名山が首都圏から見えるのは富士山くらいのものだ。ある国の学者が日本に来るたびに新幹線に乗っているが、いつも天候が悪く、富士山を見たことがない。遂に彼は言った。「富士山って、実在しないのだろう」。実物の初富士を見た人は、初夢に見た人より幸福である。(恂)

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わが雑煮まる餅に鰤八十年     藤村 詠悟

わが雑煮まる餅に鰤八十年     藤村 詠悟 『この一句』  雑煮の作り方は列島を東西に分けるフォッサマグナ(大地溝帯)で異なっている、ということは何となく知っていた。今回、改めて確かめてみたら、全くその通り。ある“雑煮地図”によると「糸魚川(新潟)-静岡構造線」とも呼ばれる大断層で、丸餅の西型、角餅の東型に画然と分かたれていた。  実際は入り乱れているはずだ。現に句の作者の「わが雑煮」は明らかに関西型だが、少なくとも現在は関東に住んでおられる。しかし丸餅にブリを入れるという雑煮によって、ご自分のアイデンティティーを確かめており、毎年、正月になると遥かな祖先や故郷などに思いを廻らしておられるのだろう。  この句を見たら「わが雑煮」を思わずにいられない。角餅を焼き、醤油味、鶏肉に小松菜。生まれて以来、相も変わらぬこの雑煮に感慨の湧いたことなど一度もなかった。ところが調べて見たら「江戸型」と呼ぶそうで、正直、唖然とした。よくもまぁ、七十八年をのんびりと生きてきたものだ。(恂)

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姑に小さく切りし雑煮餅   星川 佳子

姑に小さく切りし雑煮餅   星川 佳子 『季のことば』  「雑煮」という言葉は「ごった煮」を思わせる。しかし、お雑煮は家によって作り方に違いはあるものの、一様にすこぶる美しく仕上げられる。なんでこんな妙な名前がついたのだろう。  大昔は「羹(かん)」と言った。羹とはスープあるいは汁の多い煮物のこと。冬至の夜や大晦日に神様に供えたものをあれこれ切り込んで汁物に作り、そこに餅も入れたのが発祥と言われる。とするとやはり「雑煮」なんだなと思う。  暮らしが洋風化した今も、正月の雑煮膳はいい。若い人たちも雑煮を食べお節料理を喜ぶ。姑さんともなれば尚更だ。この味付けもお姑さんに習って、この家代々のお雑煮を継承している。もっとも、自分も年取るにつれ、娘時代の実家のお雑煮がふと甦り、知らず知らず折衷雑煮になっている。  それにしても近ごろは、雑煮餅を喉に詰まらせて救急車の厄介になるお年寄りが目立つ。正月早々そんなことになっては大変。「あばあちゃま用はこれよ」と、あらかじめ小さく切っておいた餅を焼いている。ほのぼのとした情景が浮かんでくる句ではないか。(水)

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初富士をうす紅に染め初日の出   今泉 而云

初富士をうす紅に染め初日の出   今泉 而云 『この一句』  中野区の住人である作者は、近所の平和の森公園へ初日の出を迎えに行く。住宅地の真ん中の小高い丘で、東側のビル群の間から初日が上がって来る。それを拝んでぐるりと反対側を向くと、遥か西方に初日を浴びて薄紅に染まる富士山が見える。東京二十三区内では今や数少ない初日初富士遙拝所である。  日本人は春夏秋冬、微妙な四季の変化を身近に感じながら生きている。太陽と月の移り変わり、星の運行、風の向きと強さ、気温の上下、そして、そうした気候の変化につれて移ろう草木の様子や獣の動きを敏感に捉え、それらと一体になって暮らす、世界でも稀な人種である。挨拶言葉にこれほど「お天気」の具合を込める人種は地球上日本人しかいない。  「初日の出」は万物生まれ変わりの象徴。昇る太陽に手を合わせ、自らの脱皮を願い、加護を願う。そして、霊峰富士を仰ぐ。そうやって身も心も浄め、若水を汲み、屠蘇を祝い、家内安全を祈る。日ごろゲームにうつつを抜かしている子供達が、元旦の一時ばかりは神妙なのが面白い。(水)           *     *     *  明けましておめでとうございます。「みんなの俳句」も今年で9年目を迎えました。「俳句振興」を事業の柱に掲げるNPO法人双牛舎が平成20年1月1日にこのブログの発信を開始、満8年で会員の皆様の名句1900句を紹介してきました。この間ざっと7万人の方々がこのブログを訪問されました。今年も引き続き名句を掲載して参ります。…

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