切り抜きの束積んであり年の際 和泉田 守
切り抜きの束積んであり年の際 和泉田 守
『この一句』
新聞や雑誌、パンフレット等々、気になる記事をせっせと切り抜いてはスクラップブックや台紙に貼り付ける。中国最古の経典『書経』に「習い性となる」という言葉がある。習慣が生まれつきの性質のようになってしまうことを言ったものだが、新聞記者をはじめ文筆を生業とする者にとってはスクラップづくりは暮らしの一部のような作業であった。
ライバルの書いた記事で、「やられた」とかコンチクショウという思いをしながら切り抜くものもある。もちろんそんな感情は差し挟まない淡々たるデータ、情報記事もある。とにかく、そうして分厚くなってゆくスクラップが、「それを越える記事を書いてやろう」と情熱を燃やす“こやし”になっていったのだ。
最近の若い人は切り抜きなどしないという。インターネットの普及で、いつでも簡単に過去記事が検索できるようになったからだ。しかし、愚直なる元新聞記者は相も変わらず切り抜きのスクラップブックの山に囲まれている。歳末の大掃除を迎え、家人にせっつかれ、さあどうしようと腕をこまぬく。(水)