立冬やそこはとなき気忙しさ 高石 昌魚
立冬やそこはとなき気忙しさ 高石 昌魚
『季のことば』
立冬は十一月八日。暦の上ではこの日から「冬」ということになるのだが、日中の気温は二十度を越し、時には汗ばむ陽気に見舞われる。とても冬の感じはせず、秋たけなわといったところである。
しかし、何かの拍子にカレンダーや手帳に目が行くと、「そうか、今年ももう五十日しか無いのだ」とはっとする。これからはどんどん日が短くなるとともに、片付けねばならぬことが次々に押し寄せて来る。「これはのんびりしてはいられないぞ」と思いはすれど、やはり、天高く馬肥ゆる秋空に誘われて、あちこち行楽に出向く。「これとこれは、明日以降でも十分間に合う」などと、己を謀りながら、ついつい誘惑に身を任せてしまうのだ。こうして師走も押し詰まり「残り十日」ともなると焦りはいや増し、大晦日が目の前という頃にはもうお手上げ状態で、あれもこれもが「来年回し」ということになってしまう。
そうなる「とば口」が立冬なのだ。そこいらで褌締め直せば何とかなるのに、そうしないのが人の常。この句はそのあたりの機微をうまく衝いている。「そこはかとなき気忙しさ」が実にいい。(水)