山茶花や少し幸せ喜寿の朝 大沢 反平
山茶花や少し幸せ喜寿の朝 大沢 反平
『この一句』
一年ほど前に喜寿を迎えた者として、「まさに同感」の句である。還暦~古希へ、に倣って十年刻みなら次は八十歳の傘寿だが、その前の少し息の切れそうな時に喜寿がやってくる。喜の字の草書体が「七十七」という“理屈”が先行しがちだが、この年齢に相応しい祝いではないだろうか。
句の山茶花と喜寿の取合せも、「少し幸せ」も、この祝いに相応しい。七十代はいまや老境の初期段階と言ってよく、もう少し先まで行けるかな、と思える時期でもある。七十七本のバラなど恥ずかしくて受け取れるはずもなく、いま盛りの山茶花を眺めながら来し方行く末を思うくらいが適当だろう。
子供の頃は、二十一世紀までは生きていたい、と真剣に思っていた。それが何と十五年を過ぎて、まだ先を考えている。先日の句会で八十歳過ぎの先輩が「九十まで俳句を作っていたい」と言われるのを聞いて、ふと思った。「“九十歳まで俳句の会”を結成しようかな」。作者、いかがでしょうか。(恂)