人生は雨宿りなり時雨の忌 直井 正
人生は雨宿りなり時雨の忌 直井 正
『この一句』
人間生き永らえても高々百歳。自然界の尺度に照らしたら、ぱらぱらと降る時雨を遣り過ごす時間にも満たないだろう。仏教用語に時間の最小単位を表す「刹那(せつな)」という語がある。親指と人差指を丸めてぱちんとはじく時間(一弾指)の65分の1が一刹那だという。人間の寿命などは、宇宙時間からすれば一刹那に過ぎない。しかし一方、仏教の教えによると、人間はこの一刹那の間に生成消滅する想念を積み重ねては、意識を形成してゆく存在であるともいう。こうなると刹那は永劫(えいごう)とイコールということになり、雨宿りも無限のものとなる。とにかくそんなことにまで思いが深まる面白い句である。
室町時代の連歌の指導者飯尾宗祇は、古歌を踏み台に「世にふるもさらに時雨のやどりかな」という発句を詠んだ。宗祇を崇敬していた芭蕉は、この句を受けて「世にふるもさらに宗祇のやどり哉」と詠んだ。「生き永らえることも、宗祇の言う通り(時雨の)やどりのようなものだなあ」という意味である。掲載句は明らかにこの宗祇、芭蕉の句を受けてのものである。いわゆる「本歌取り」の句で、しみじみとした雰囲気を醸し出している。(水)