それぞれにスマホに見入る秋燈下   大下 綾子

それぞれにスマホに見入る秋燈下   大下 綾子 『季のことば』  「秋燈」という季語は「春燈」と対になって、とても人気のある季語である。燈火はどの季節であれ、それぞれに感慨を催すものではあるが、秋と春の燈がことさら取り上げられるのは、その光り加減から来るような気がする。  春は空気中の湿度が高く、霞とか朧とかいうように、周囲がなんとなくもわっとして、そこを通して来る光りも柔らかな感じである。それに対して秋燈は対象をくっきりと浮き上がらせ、物の陰翳を際立たせる。秋の大気が澄んでいるせいであろう。  こういう時節には寝るのが惜しくなり、遅くまで本を読んだり、学生は勉強に打込み、お母さんは夜なべに精を出す。そんなところから「燈火(灯火)親しむ」という季語が生まれ、そこから派生して「読書の秋」とも詠まれるようになった。  ところがこの句は「スマホ」である。明らかに「読書の秋」という季語を踏まえての句で、現代の江戸っ子の諧謔味がある。そのうちに「スマホの秋」とか「夜長スマホ」などいう詠み方が流行るかも知れない。(水)

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