独り居の覚束なさよ秋灯 廣田 可升
独り居の覚束なさよ秋灯(あきともし) 廣田 可升
『合評会から』(番町喜楽会)
百子 奥さんがいない夕方、なんとなく心細い。秋の灯の雰囲気をよく伝えています。
大虫 一人暮らしには慣れているんですが、先日山口へ行き、居慣れた場所でない処に独りで居たら、まさにこの句のような感じにとらわれました。
光迷 たまに独りになると、こうなりますね。
而云 ああ、そうだなあと思いますね、この句は。
正裕 今も昔も変わらぬ心情で「そうだよな」と共感しました。
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九〇年代初め頃「濡れ落葉」という流行語があった。定年退職後、妻にべたっとくっついて離れない亭主族を嗤った言葉である。高度成長を支えてきた産業戦士たちは、趣味も無く、地域活動の経験もない。会社人間を止めると、たちまち妻のお荷物になった。今の夫はそれほどではないが、依然として家事が出来ないのが多い。というか、妻の領域に踏み込むのを遠慮する気持があるのだ。その結果、突然の独り居になると何事も覚束なくなる。しかし、概してそういう家の方に温もりが感じられる、と言ったらひが目か。(水)