独り居の覚束なさよ秋灯   廣田 可升

独り居の覚束なさよ秋灯(あきともし)   廣田 可升 『合評会から』(番町喜楽会) 百子 奥さんがいない夕方、なんとなく心細い。秋の灯の雰囲気をよく伝えています。 大虫 一人暮らしには慣れているんですが、先日山口へ行き、居慣れた場所でない処に独りで居たら、まさにこの句のような感じにとらわれました。 光迷 たまに独りになると、こうなりますね。 而云 ああ、そうだなあと思いますね、この句は。 正裕 今も昔も変わらぬ心情で「そうだよな」と共感しました。           *       *       *  九〇年代初め頃「濡れ落葉」という流行語があった。定年退職後、妻にべたっとくっついて離れない亭主族を嗤った言葉である。高度成長を支えてきた産業戦士たちは、趣味も無く、地域活動の経験もない。会社人間を止めると、たちまち妻のお荷物になった。今の夫はそれほどではないが、依然として家事が出来ないのが多い。というか、妻の領域に踏み込むのを遠慮する気持があるのだ。その結果、突然の独り居になると何事も覚束なくなる。しかし、概してそういう家の方に温もりが感じられる、と言ったらひが目か。(水)

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