灯り消しラジオを消して虫の宿   加藤 明男

灯り消しラジオを消して虫の宿   加藤 明男 『季のことば』  俳句で虫と言えば秋の草むらで鳴く虫を指す。ただ「虫」と十把一絡げで言われるがいろいろある。大きく分けると、キリギリス、馬追(スイッチョ)、轡虫(ガチャガチャ)などバッタの仲間と、ツヅレサセ、エンマコオロギ、鈴虫、松虫、邯鄲などコオロギ科の虫である。バッタ科のキリギリスや馬追が派手に、野趣豊かに鳴くのに対して、コオロギ科の方はしみじみとした感じで鳴く。  ここで言う宿は旅館とは限らない、只今住まっている我が家でもいい。歳を取ると夜早くから眠くなる人と、目が冴えてなかなか寝つけない人とに分かれるようだ。夕食をとるなり寝てしまって日付が変わる頃に目が覚めて、ひとしきりラジオやCDを聞いてから二度寝する人もいる。  マーケティングの大家が「若者にモノを売るのは簡単、年寄りは一人一人好みがあって大変」と、“シルバー市場”を固めるのがいかに難しいかを嘆いていた。虫の音を聞くにもそれぞれ流儀がある。夜半、ラジオ深夜便も消して、豆電球も消して、じいっと耳を澄ましている。息をしているのは自分とコオロギだけだなあ、バアサン全然呼びに来ないなあなんて思っている。(水)

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一軒に秋の灯一つ老いし町   田中 白山

一軒に秋の灯一つ老いし町     田中 白山 『合評会から』(番町喜楽会) 双歩 一軒家が並んでいる町なんでしょう、その家ごとに一つずつしか灯りが見えないというんですね。表現がうまいなあと感心しました。 鬼一 世相をよく表しています。東京でもこういった町が出て来ているかも知れない。「老いし町」ですから住民も減って高齢化が進んでいるんでしょうね。 冷峰 奥多摩でこういう町を見ましてね、私だったら限界集落なんていう言葉をすぐに使っちゃうんだろうな、と。しかしこの句は「老いし町」と詠んでいる。なるほどなあと思いましたね。 大虫 きのう山口から帰って来たんですが、山口もこんな感じでした。一階に灯が点っている家、二階だけに灯が見える家、そういう風景ですね。 てる夫 私は田舎のかなり大きな農家を思い浮かべました。一部屋だけに灯が点っている。いかにも秋灯という感じがしまします。           *       *       *  あっさりと景色を写して現代を鮮やかに描き出している。秋灯の感じがしみじみ伝わってくる。(水)

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秋の空雲を追ひかけぶらり旅   大平 睦子

秋の空雲を追ひかけぶらり旅   大平 睦子 『この一句』  俳句づくりは無駄な言葉を削ぎ落として行く作業だとよく言われる。その点からすると、この句はまだ削ぎ落とし方が足りないと言われるかも知れない。「秋の空」と来て「雲」と続くところに重複感というか、無駄がありそうな感じがするからだ。しかしこの句は句会では結構人気があった。それはいかにも気持が良さそうな句だからであろう。  この忙しい世の中、すべてが効率優先で、旅までも旅行会社が作ったコースに乗って行くことが多い。それが便利だし、しかも自分で切符を買ったり宿を予約したりするよりも、大抵はずっと安く上がるから、どうしてもお手軽なパック旅行になる。  しかしこの旅は違う。漂泊の思いやまず、片雲の風に誘われるように、ぶらりと当て処も定めず出かけたというのだ。恐らく作者だって実際にはこんな旅はしていないのだ。秋空を見上げているうちに、ああ、あの雲を追いかけてどこまでも行きたいなと、気分だけを旅立たせたのだ。誰もがそうしたいなあと思っていることを詠んでくれた。少々の重複感など消し飛んでしまう。(水)

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二次会は思ひ出横丁月煌々    直井 正

二次会は思ひ出横丁月煌々    直井 正 『この一句』  先日、JR新宿駅西口から西武新宿駅の方へ、下り坂の歩道を歩いていた時、「思い出横丁」の看板が目に入った。懐かしの飲み屋街を久しぶりに見学して、変わっていない、と思った。十年以上前に大きな火事があったはずだが、元通りに復元されている。昼間なのに賑わいは昔以上だったかも知れない。  飲み会の二次会で「思い出横丁へ!」と繰り出すような人々は、少なくとも七十歳過ぎではないだろうか。あんまり無理は出来ないが、まだ余力を示すこともできる。もつ焼き店のカウンターにぎっしりと詰めて腰かけ、あの店のホルモン鍋がうまい、あそこのアジフライだよ、などと話がはずむ。  昼間見た飲み屋横丁は明らかに外国人が増えていた。夜はどうだろうか。今は若いサラリーマンや学生よりも、作者のような“思い出族”が幅を利かせているのかも知れない。夜も更けて店を出て、空を仰げば「月煌々」とは、なかなかの雰囲気である。しかし句会後なら「月今宵」が似合うのではないだろうか。(恂)

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黙といふ会話ありけり月今宵     広上 正市

黙といふ会話ありけり月今宵     広上 正市 『合評会から』 研士郎 しみじみと月を見て、二人は通じ合っている。余裕のあるいい句だ。 正 「黙(もだ)という会話」。これは詩情の世界ですね。とてもいい句です。 双歩 二人で月を見るのはありがちな景です。しかし、「黙」であっても二人の関係が成り立っているのですね。それによって味のある句になっている。 好夫 選ばなかったが、皆さんの意見を聞いているうちに、採ればよかったと思うようになった。 綾子 「黙」が強いので、「黙という会話」にちょっと抵抗感がありました。 水牛 「黙といふ会話」にやや作為が感じられます。俳句は作為を消した方がいいですね。                 *      *  黙「もだ」は万葉以来の読み方だそうで、現代の俳句にも用いられているのは素晴らしいことだ。しかし言葉遣いの要諦は適材適所。「黙」のような語のマイナス面も考える必要があるのではないだろうか。「沈黙」「無言」などもあるし、どんな語を選ぶかは難しいところである。(恂)

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