三日月やねこのことばがわかりさう    大下 綾子

三日月やねこのことばがわかりさう    大下 綾子 『この一句』  満月が少しずつ痩せていくのは、何となくもの悲しい。一週間くらいで半分欠け、それから四、五日で三日月になり、秋は一層、寂しさが増して行く。そんな夜、一匹の猫とともに家で過ごしているのだろう。話し相手はいない。人が恋しいのか、寄ってきた猫が何か話しかけているような気がする。  昔、西欧風のペン画にそんな情景を見たと記憶する。椅子に座った少女を、白猫が見上げている。ガラス窓に三日月が浮かんでいた。こういう時に猫の言葉が分かりそうな気がするのかも知れない。男ではダメ、特にオジサンやお爺さんでは全然ダメだけれど、女性なら猫と話せそうだ、などと思う。  ふと気付けば、この句も前欄に続いて難解な取合せである。三日月が空にあって、猫のことばが分かりそうだ、という状況。何とはなしの魅力を感じるが、二つの関係が十分に理解出来たわけではない。分かりそうだが、ちょっともどかしい、という気分に陥るのは、三日月の仕業なのだろうか。(恂)

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