三日月やねこのことばがわかりさう    大下 綾子

三日月やねこのことばがわかりさう    大下 綾子 『この一句』  満月が少しずつ痩せていくのは、何となくもの悲しい。一週間くらいで半分欠け、それから四、五日で三日月になり、秋は一層、寂しさが増して行く。そんな夜、一匹の猫とともに家で過ごしているのだろう。話し相手はいない。人が恋しいのか、寄ってきた猫が何か話しかけているような気がする。  昔、西欧風のペン画にそんな情景を見たと記憶する。椅子に座った少女を、白猫が見上げている。ガラス窓に三日月が浮かんでいた。こういう時に猫の言葉が分かりそうな気がするのかも知れない。男ではダメ、特にオジサンやお爺さんでは全然ダメだけれど、女性なら猫と話せそうだ、などと思う。  ふと気付けば、この句も前欄に続いて難解な取合せである。三日月が空にあって、猫のことばが分かりそうだ、という状況。何とはなしの魅力を感じるが、二つの関係が十分に理解出来たわけではない。分かりそうだが、ちょっともどかしい、という気分に陥るのは、三日月の仕業なのだろうか。(恂)

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虫の音や酸味効きたる向付     金田 青水

虫の音や酸味効きたる向付     金田 青水 『この一句』  「向付(むこうづけ)」は辞書によれば、会席料理などの品目の一つ。一尺二寸四方の会席膳の中央より向う側に配する料理で、刺身や酢の物などがそれに当るという。句の場所は料亭と考えられよう。「酸味効きたる」とあるから、この料理は酢の物である。そして虫の音が聞こえてくるというのだ。  これは「取合せ」の句である。向付の酢の物を口にしたら酸味が効いていた、という感覚と虫の音を取合せた句、ということだ。選ぶ側の神経をぴりりと刺激するものがある。気になる句ではあるが、いい句かどうかは分からない。作者に「この句、分かりますか」と問われているような気にもなる。  かつて「二物衝撃」という、常識的でない「二物」の取合せによって新しい俳句を作ろうとする流れがあった。最近、その類の句とあまり出会わなくなったが、これは残党なのだろうか。虫の音と酢の物、虫の音と酢の物・・・と頭の中で繰り返しているうちに、何となく分かってくるような句である。(恂)

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夜なべしてジャムを煮ている月夜かな    池村実千代

夜なべしてジャムを煮ている月夜かな    池村実千代 『この一句』  九月の句会の1点句であった。点が少なかったのは「夜なべ」が季語(秋)で、「月夜」との季重なりになっていたからではないだろうか。季重なりはよくないとされ、季語が二つある句は初めから選ばない、と決めている人もいる。作句上、止むを得ぬ場合もあるが、この場合はどうなのだろう。  「月」が句会の兼題だった。「夜なべ」は秋だけのものではないから、季語とは気づきにくい。うっかり使ってしまったのではないだろうか。「夜更けまで」「子ら寝(いね)て」など、言い換えるのはさほど難しくないと思う。一度、季重なりを指摘されると、次から気を付けるようになるものだ。  それはそれとして、いい雰囲気の句である。「ジャムを煮る」というのは、主婦の仕事としてちょっと格好がいい。夫はもう寝てしまったのかも知れない。台所の窓が何となくいつもより明るい。そうだ、今夜は仲秋の名月だ、と気づく。窓を少し開けて空を眺めてみた、というような状況を思い描いた。(恂)

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称名寺月の出を待つ池の端   藤村 詠悟

称名寺月の出を待つ池の端   藤村 詠悟 『この一句』  称名寺は横浜市・金沢文庫にある真言律宗別格本山の名刹。鎌倉幕府の有力御家人金沢北条氏一族の菩提寺で、鎌倉時代には浄土式庭園と三重塔、七堂伽藍を配置した堂々たるお寺だったが、今は赤門、仁王門、金堂、釈迦堂、そして復元された阿字ヶ池がばらんばらんな感じで残っているだけ。それでも寺域内の県立金沢文庫、背後の金沢三山の散策コースを含め、市民のこよなき憩いの場になっている。  廣重も描いている名勝「金沢八景」の一つ「称名の晩鐘」の釣鐘は今も健在。しかし、なにせ住宅密集地だけに、以前は自由に撞かせてくれたのに、今は御法度とか。とはいえ春は梅、桜、夏は池畔の薪能、そして秋の月見と楽しいことはいろいろある。  作者は称名寺のすぐ近くに住んでいるから、散歩がてらしょっちゅう出かけているようだ。金堂を背にして阿字ヶ池の畔に佇み、月の出を待つ。この句はそうした優雅な月見の、ゆったりした気分が伝わってくる。今年の十五夜は明後二十七日の日曜日。はてさてお天気が気になる。(水)

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名月や隣家隣家の隙間より   鈴木 好夫

名月や隣家隣家の隙間より   鈴木 好夫 『この一句』  住宅密集の日本の大都市の十五夜風景で、思わずにやりとさせられる。一軒の家を壊してその後に四軒も建てる。家と家の間は身体を横にして擦り抜けられるかどうか。窓から手を出せば隣の人と握手できる。そのくせ隣に住む人の素性は全く分からない。たまに顔合わせても黙礼を交わすくらいだ。  小林一茶の「涼風の曲りくねつて来たりけり」に相通ずるユーモアとペーソス漂う句である。ただし、一茶の頃の江戸の下町は長屋で、井戸も便所も共同だから、否が応でも近所付き合いをしなければならなかった。お互い私生活も筒抜けだが、相身互い、助け合い精神は旺盛だった。花見も月見も長屋の気の合う同士が仲良くやった。  今や、向こう三軒両隣との物理的距離は同じでも、精神的距離はぐんと遠くなった都会暮らし。月見も一家だけで、隣家との隙間から覗くようにして見る。右のお隣さんの壁と庇、前のお隣さんの屋根とで夜空が複雑な形に仕切られ、その間に真ん丸お月さんが顔のぞかせている。嬉しくなって「ようこそ」と盃を上げる。(水)

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糠漬けの鉈豆反りを失はず   谷川 水馬

糠漬けの鉈豆反りを失はず   谷川 水馬 『季のことば』  鉈豆(ナタマメ)は初秋の季語。熱帯アジア原産で、夏に勢いよくツルを伸ばし、七月から九月にかけて白かピンクの可憐な花を次々に咲かせ、その後に平たい山刀か鉈のような形の巨大なサヤ豆が出来る。  天明の俳人太祇に「刀豆やのたりと下がる花まじり」という句があるように、江戸時代から日本人に親しまれ、若いサヤを炒めたり煮物にしたり、漬物の材料にした。しかし、柔らかく口当たりのいいサヤエンドウやサヤインゲンに追われ、福神漬の中に辛うじて見つかる程度の野菜になってしまった。ところが最近ナタマメが腎臓病、歯周病、痔、蓄膿症、吹き出物、アトピー、花粉症に効くと、まるで万能薬のように言われ始め、人気急上昇だという。  この句は家庭菜園のナタマメか、本場の薩摩鉈豆を手に入れたのか。この豆は今どきの家庭の糠味噌容器には入り切らない図体だから、漬かったものをもらったのかも知れない。しっかりした鉈豆は鼈甲色に漬かっても、元のしゃんとした姿を失わず、ぴんと反っている。立派なもんだなあとしきりに感心している作者が浮かんで来る。写生の中に心情が込められている。(水)

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虫の音や古りし頭巾の六地蔵   高石 昌魚

虫の音や古りし頭巾の六地蔵   高石 昌魚 『この一句』  句会では「とてもしっくりした調子のよい句だ」(双歩)、「六地蔵はどこにでもある。陰気くさくて私は好きではないが、虫の音には合っていますね」(好夫)といった句評が次々に出た。確かに虫の音と地蔵さんは「付き過ぎ」と言われるくらいぴったり合う。  それに加えて「古りし頭巾の六地蔵」というのもよく出て来るフレーズだ。あの赤い頭巾や涎掛けが雨風にさらされて色褪せている風情が、何と取り合わせてもうまくくっつくから、句材としてこれほど有難いものは無い。  というわけで、これまでにこれと同じような句がずいぶん詠まれているのだろうと思う。しかし、「どこかで見たような句だなあ」と思いながらも、自然に丸をつけて採ってしまう。日経俳句会九月例会でも高点を獲得した。  誰もが共感を抱き、しみじみとした気分に浸る。何度も読み上げていると、なんとなくほっとした気持になる。そんな句なのだ。こういうのを「偉大なる月並句」と名づけたい。(水)

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つまづけば呼ばるる思ひ秋彼岸   野田 冷峰

つまづけば呼ばるる思ひ秋彼岸   野田 冷峰 『合評会から』(酔吟会) 睦子 しみじみとした感じの句です。先祖が呼んでいるんだ、というところが効いています。 涸魚 つまづいたというだけで、ここまで詠めるとはレベルが高いなあ。 春陽子 お墓参りにつまづいて転んだのか。ユーモラスに詠んでいる。 二堂 つまづいたのは、心の問題だと思う。亡くなった奥さんに来いと呼ばれているのではなくて、へこたれるなと呼びかけられているのだろう。 臣弘 ユーモラスに見えて、ユーモラスではない表裏をとらえている。 正裕 誰が呼んでいるのか、いろいろ推察できて面白い。 反平 うまい句だ。僕の心境でもある。体のあちこちが悪くて、いろいろな医者に診てもらっている。昨日もころびそうになった。           *       *       *  昨二十日が秋の彼岸入り。今年は晴れて、五連休のシルバーウイーク。お墓参りも賑やかだろう。この句は句会で「歳がとしだからな」と我が事として受け取られ、絶賛を博した。(水)

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信濃路やつづく棚田に今日の月   井上 庄一郎

信濃路やつづく棚田に今日の月   井上 庄一郎 『この一句』  昨平成二十六年九月七、八の両日、日経俳句会最長老の作者を先頭に、十数名で「姨捨山棚田観月吟行」を行った。芭蕉が「笈の小文」の旅で、なんとしてでも姨捨の名月を見たいと木曽の険路を冒し、廣重がどうにかして「田毎の月」を描きたいと出かけた所である。  天候に恵まれて明月がくっきりと現れ、この歌枕俳枕の雰囲気に心ゆくまで浸ることができた。作者はこの吟行から戻ってすぐに、「姨捨の田毎の秋を一望す」「名月や鎮む棚田に里光る」の佳句を発表しているが、『月』の兼題が出た今回、あらためて一年前のあの情景を思い出したのであろう。  一年じっくりと醸されたからか、句の姿がずんと落ち着いたように感じられる。まず上五に「信濃路や」と大きくどっしりと置いて、句に重厚感と落着きをもたらしている。そして「つづく棚田に」で特徴的な景観を示し、そこを照らす名月を据えて読者を幻想世界に導く。伝統的な手法による格調高い句である。吟行での即吟には生きの良さがあり、その時の思いを反芻することで、また別の良さが現れる。(水)

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さわやかや白煙うすき登窯     須藤 光迷

さわやかや白煙うすき登窯     須藤 光迷 『合評会から』(番町喜楽会) 而云 何と言っても「白煙うすき」がいい。陶磁器を焼く時、初め、中頃、終わりの頃と煙の色が違うのではないか。作業がある程度、進んだという気持のゆとりが感じられる。 大虫 煙の後ろは青空なのでしょう。だからうっすらとした煙も見える。爽やかですね。 正裕 焼物の出来上がりが近いのだと思います。そんな雰囲気ですね。 てる夫 どんどん薪をくべている時ではないはずだ。終わりの方の薄い白煙に着目したところがいい。 光迷(作者)登窯は火を入れてから二晩三日かけて焼くんです。二晩を越すと煙が透明になってきましてね、空の様子や背景の山なんかも目に入るようになります。               *          *  聞くところによると、窯場の人々は木をくべて理想の温度を保つために、血まなこ、不眠不休の時間を過ごすのだという。登り窯を焚き続けて二晩を越したような時は疲れの極みであるはずだが、「よし、うまくいった」という思いも生れているのだろう。大仕事を終えた人、その風景を見た人、それぞれに異なる爽やかさがある。(恂)

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