白湯注ぐ白き飯碗原爆忌     嵐田 双歩

白湯注ぐ白き飯碗原爆忌     嵐田 双歩 『この一句』  原爆忌は広島、長崎双方の犠牲者を悼む日。その朝、白湯を白い飯碗に注いだのだ。とても具体的な絵が見えてくるが、何を意味するのかと考えると、抽象の世界に一転する。分かる人には分かるが、分からない人は全く分からない。分かる人も、この句のよさを上手く説明できないのではないか。  芭蕉は白色に特別な感覚を持つ人だったと思う。例えば「海くれて鴨のこゑほのかに白し」。夕暮れの海に鴨の声。それを「白し」と、芭蕉は感じたのだ。「音を色で表した芭蕉的な表現」とか、「五五七のリズムが鴨の声の“白さ”を際立たせる」などの解説に頷くものはあるが、納得したわけではない。  私は長らく、抽象画が分からない、と自認していた。ところが友人から頂戴した抽象画を壁に掛けていたら、何となく「いい絵だ」と感じるようになった。苦手なものを理解するには時間がかかるのだろう。原爆の日から十日あまり、この句はまだよく分からないが、かなり鮮明に「白」が浮かんできた。(恂)

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