西日へと一直線に中央線      大倉悌志郎

西日へと一直線に中央線      大倉悌志郎 『この一句』  JRの中央線もいろいろあって、細かく分けると中央本線、中央東線、西線など十以上にもなるらしい。この句は東京駅から高尾までの「中央線快速」のうち、新宿を出て「鈍行」の大久保駅あたりから立川までの二十五キロほどに当てはまるのだろう。なにしろこの間は真西に向かって一直線なのだ。  なぜ一直線なのか。要するに建設された明治年代は地価が安く、買収し易かったからだという。この沿線に生れ育った人(筆者も)はそんな話を知っているので、中央線のホームに立つと西に伸びる線路を眺めるクセがある。だから句会でこの句を見た瞬間、「異議なし」と一も二もなく選んでいた。  夏休みの時期、海へ行っての帰りなどに大きな西日を、たぶん見ていた。「たぶん」というのはいつも何度も見ていたからで、それも線路の先か、青梅街道の果てか、と記憶は曖昧なのだ。西日の左手には青黒い富士があり、その左右に低い山並みが・・・。今なら新宿の超高層ビルからよく見える風景である。(恂)

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河童忌や過ぎし日々あり書庫の中     大澤 反平

河童忌や過ぎし日々あり書庫の中     大澤 反平 『この一句』  「河童忌」は七月二十四日、短編「河童」にちなんで名付けられた芥川龍之介の命日である。この句は、梅雨明けて間もない一日、書庫に入って明治・大正期の小説集でも眺め、あのころは・・・としばし回想した、という場面だろう。学生運動に熱中した頃、人生に悩みながら読んだ数々の作品が頭の中を駆け巡る。  かつて文学青年と呼ばれる一群がいた。「心に毒を持たねばならぬ」という先輩の言葉を信じて、“芥川ぶったり”する仲間がいた。「芥川の心中には黒い何者かが蹲っている」と書いた作家もいた。しかしいま、老境を平穏に歩んでいるのは毒も、黒い何者かも持たない人々ではないだろうか。  今年の芥川賞は、お笑い芸人・ピース又吉さんの「火花」の受賞によって、近年に例を見ないような盛り上がりを見せている。芥川や太宰の小説を読み込んだ末の栄冠に、かつての文学青年は「なかなかいいよ」と褒めながらも、評論家的な言葉が浮かぶ。「よさそうな人柄だけに、ちょっと毒が足りないかな」。(恂)

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人の背を片蔭にして交差点      高井 百子

人の背を片蔭にして交差点      高井 百子 『合評会から』(番町喜楽会) 双歩 「人巾の片蔭さがし信号待ち(大虫)」という句もありましたが、(上掲の)この句は下五が「交差点」と五音に収まっているので・・・。こういうタイプの句は字余りが気になります。 春陽子 この会場に来るときの交差点で、若いお母さんがバギー(乳母車)を人蔭の方に置くんです。そういう場面を見てきたので、これは選ばなければと思いました。 可升 この暑さですからね。信号の所に来ると人の背でも頼りになりますよ。面白い句です。 てる夫 ずっとカンカン照りの日々ですから。どうしても信号機、電柱などの蔭に入ってしまう。同感の句ですね。                *            *  人の背の後ろに身を縮め、信号の変わるまでの何十秒かを待つ。確かにこの通り、私もそうなんです、といった感想が相次いだ。中でも「若いお母さんがバギーを」のコメントには、なるほど、と頷いた。屋外の温度は地面に近いほど高い。アスファルト道路で信号待ちをする乳幼児や犬の暑さを思うべし。暑さはまだまだ続くだろう。バギーの赤ん坊を題材に一句つくるか・・・、なんて考えてしまった。(恂)

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昼顔の砂利山登り咲きにけり   高瀬 大虫

昼顔の砂利山登り咲きにけり   高瀬 大虫 『季のことば』  朝顔は「秋」の季語だが、昼顔は「夏」である。朝顔は一年草で、春もかなり温かくなってから去年土にこぼれたタネが芽吹き、夏に蔓を伸ばして八月の声を聞くようになってから咲き出す。朝顔市で売られたり花屋の店頭には夏から咲いているが、本来の花期は秋。  これに対して昼顔は地中に根を張り巡らし越冬する宿根性の多年草だから、春に芽を出すといち早く蔓をのばし、初夏から咲き始める。朝顔が明け方に咲き出し、太陽が高くなると萎むのに対して、昼顔はお日さまが照り出すと咲き始め、夕方になると萎む。朝顔は大昔から品種改良されて、さまざまな色や咲き方を誇る園芸植物になっている。片や昼顔は花も小さく、わざわざ育てようという人は少ない。同じヒルガオ科なのに、朝顔と昼顔は対称的である。  昼顔は道端に生え、造成地の砂利山にもはびこる。真夏のお日さまにあぶられて触ると熱い鉄条網に、平気でからみついたりしている。そして、お猪口のような形の桃色の花を涼しげに咲かす。可憐そのものだが、実にしぶとい、下町のおきゃんな娘のようである。(水)

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