弥勒仏思惟の指先秋の声    深瀬 久敬

弥勒仏思惟の指先秋の声    深瀬 久敬 『この一句』  日本の弥勒仏ほど美を極めた仏像は他にないと思う。「半跏思惟」と呼ばれるその姿のよさ。台に坐し、右足はひざを曲げて左足の上に置き、体をやや前に倒し、右手は曲げて右膝の上に・・・。皆様、とっくにご存じのスタイルだから、説明など不要だったか。とにかく眺めていて茫然とするほどの美しさだ。  わけても特徴的なのが右手の指先である。京都・広隆寺の「宝冠弥勒」は親指と薬指の先を付け、他の三本は軽く曲げている。また奈良・中宮寺の弥勒様は中指一本を頬に当てている。作者はその「思惟の指先」から、「秋の声」が聞こえてくるという。これも一つの美の極み、と言えるだろう。  「秋の声」という季語は天明期(十八世紀後期)、与謝蕪村、高桑闌更らの作によって一般化して行ったという。風の音などから発想されたと思われるが、時を経て無風・静寂の中かからも秋の声が聞こえてくるようなった。俳句を詠むことによって、人の感覚が研ぎ澄まされてきたように思われる。(恂)

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ひたひたと瀬戸は海より秋の声      岡本 崇

ひたひたと瀬戸は海より秋の声      岡本 崇 『合評会から』(三四郎句会) 照芳 瀬戸内海は広いから、どの辺なのかな。私は四国ではなくて、中国地方の浜辺と想像したが、ともかく秋らしい雰囲気ですね。「ひたひた」に感心しました。 敦子 そうですね。「ひたひた」で、波の緩やかな瀬戸の景色を思い浮かべました。 進 ひたひた、海、秋。瀬戸の美しい雰囲気が浮かんでくる。こういう秋の声もあるんですね。 恂之介 この句、とてもリズムがいい。声を出して読んでみると分かります。               *          *  秋が海からやってきている。ゆったりとした静かな波に乗って、浜に寄せているのだ。「秋の声」はさまざまな場所から、ひそかに聞こえてくるが、なるほど海からくる声もある、と気づかされた。  「瀬戸は海より」にも心が動いた。ひたひたと波が寄せてくる浜が日本中にそれこそゴマンとあっても、「瀬戸」ほどぴたりと当てはまる場所は、他になさそうである。例え同じような秋の浜辺があったとしても、「○○は海より・・・」とつぶやいてみたらどうか。「セト」に勝るリズム,響きがあるとは思えない。(恂)

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家出ネコ探す声する処暑の宵   鈴木 好夫

家出ネコ探す声する処暑の宵   鈴木 好夫 『この一句』  猫は犬よりは暑さに強いようだが、それでも今年の夏はぐったりげんなりしているのが多かった。処暑の候、ようやく朝晩涼しい風が吹いて来ると、途端に元気になる。なにはともあれ縄張り点検に出かける。時には胡散臭い野良が這い込んでいたりしており、追いかけているうちに帰るべき道順が解らなくなってしまう。都会の家猫の行動範囲は意外に狭く、半径五十メートルも出歩くのは活動家の猫だという。普段家の中だけで飼われている猫は、わずか三十メートルくらいしか離れていなくても、二三回路地を回ると迷子になってしまう。  これもそういう内弁慶の猫なのだろう。飼い主は必死になって呼びながら近所を回る。端からはちょっぴり滑稽な感じもするのだが、飼い主は真剣だ。翌朝になっても帰って来ないと、写真をくっつけたビラを何枚もプリントして掲示板や電柱に貼ったりしている。  処暑の宵の口の町場の情景を切り取った佳句。しかし、わざわざ「ネコ」と片仮名で書かずとも良かったのではないか。外来語でもないのに片仮名で書くと、何か特別な意味があるのかと余計な勘ぐりを招いてしまう。(水)

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少年もボケはじめけり終戦日   大石 柏人

少年もボケはじめけり終戦日   大石 柏人 『この一句』  あれからもう七十年たつのだ。当時の中学生はもう八十代半ばである。「ボケはじめけり」ならまだいい方で、訳が分からなくなっている人も多い。  年寄りには一目でぴんとくる句だ。しかし、戦争はもちろん戦後の混乱期すら知らない団塊世代以降だと少々戸惑う。それは、「少年もボケはじめけり」といきなり言われても、咄嗟には何のことかと思うのだ。「神国」「大東亜戦争」「一憶一心火の玉だ」「八紘一宇」「鬼畜米英」などという言葉は、本で読んだり両親や祖父母から聞いたりしてはいても、肌身で感じているわけではない。  しかしこの句の「少年」はこれを物心つくかつかないかから叩き込まれていた少年なのである。戦中派なら何ということもない叙述も、既に説明なしには理解されない。「七十年」というのは、やはり大昔なのである。  若者にも解るように詠もうとすると、結構難しい作業になる。字余りだが、ここは「軍国少年ボケはじめけり終戦日」か。しかしそれだと原句の歯切れの良さを失う。日本を大きく変えたこの大戦を俳句にするのは意義のあることだが、実に難しい。(水)

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寝て疲れ起きて疲れて処暑となる   杉山 智宥

寝て疲れ起きて疲れて処暑となる   杉山 智宥 『合評会から』(日経俳句会) 博明 これは夏バテ、まさに私がこうで、どこかで見られたのかなと(笑い) 恂之介 特にこれは今年のことですね。寝ても疲れるこの夏だという、時事句のつもりで採りました。 反平 「寝て疲れ起きて疲れて」という繰り返しの調子がいい。 冷峰 怠惰な生活のボクにはこんな句は作れない。この人はすごい人だなあと(笑い) 昌魚 「処暑となる」でほっと一息ついた感じがよく出ている。 青水 今年の猛暑の日々を振り返って、へとへとになった人々の実感がある。           *     *     *  八月句会に「処暑」という兼題を出して反省していた。難しい、季語の意味するところがよく分からないという声が聞こえてきたからである。しかし、句会には処暑の佳句がたくさん出てきてほっとした。この句も処暑の感じをよく表している。もうどうにでもしてくれと、よれよれになった時の一呼吸。うまいなあと感心した。(水)

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利き酒のほどよく醒めて処暑の風   谷川 水馬

利き酒のほどよく醒めて処暑の風   谷川 水馬 『季のことば』  「処暑」とは二十四節気の旧暦七月中(月の半ば)。立秋から十五日後だから現代のカレンダーでは八月二十三日頃になる。「処」とは「止まる、落ち着く」といった意味で、暑さが一段落する時期というわけだ。  まだまだ暑い日が続き、「残暑」という季語が幅を利かしているから、「処暑」はともすれば忘れられ、これを載せていない歳時記もかなりある。しかし、八月も末になると暑さの中にもふっと涼しい風が吹き、朝晩は特にそう思う。「ちょっと一息ついた」という微妙な感じを伝える処暑という季語は捨てがたい。  近ごろ和食ブームも相俟って、世界中で日本酒人気が高まっているようだ。地方都市もそれぞれの地酒を売り出そうと、蔵元が「利き酒コーナー」などしつらえて、観光客を呼び込んでいる。これが大いに賑わっている。「お酒大好き」の作者も新潟へ行って早速体験、次から次へと試飲しているうちに、かなりの量になった。外へ出るともう日が傾き、心地良い風が吹いている。散策しているうちにほてった頬も徐々に冷めてきて、「やはりもう秋だなあ」と思う。(水)

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ジャズ祭の正午の静けさ終戦日   村田 佳代

ジャズ祭の正午の静けさ終戦日   村田 佳代 『合評会から』(日経俳句会) 弥生 ジャズ祭だから若い人が多いんでしょう。終戦日正午にはジャズ祭も静かになるんですね。いい句だなと思いました。 智宥 終戦日の正午の静かさは甲子園しか浮かばなかったが、ジャズ祭でもぱっと止めるんだなと、それを知らせてくれたのが驚きだった。 水馬 横浜のジャズ祭かな。この句、大音響とか黙祷とか言わないのがいい。 冷峰 「さすがにジャズだけはその時も頑張って大音響」という方が良かったんじゃないかなと、採って反省している。(爆笑) 二堂 若者が正午にぴたっと音を止めた、信じられないけどそういうものかと。 反平 「終戦日」の句は思い出や頭の中で作ったのが多いけど、これはたぶん実景。今日は終戦日と、若い世代も深い感慨を持っているのがうかがえた。           *     *     *  みんなびっくりしていたが、私も驚いた。ジャズ祭と終戦日、この取り合わせは新鮮だ。(水)

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蝉の殻爪の先まで光満つ   大熊 万歩

蝉の殻爪の先まで光満つ   大熊 万歩 『合評会から』(日経俳句会) 昌魚 蝉の殻の句はよくあるが、これはよくもまあ観察したものだなと。 定利 爪の先まで見たのがすごい。 水馬 懐かしい気がする。蝉の殻を下から見るとこうで、リアリティがある。 冷峰 抜け殻が金色に光っているのを金色と言わずに「光満つ」としたのに感じ入りました。 二堂 七年くらい地中にいて、地上では何日かしか生きない。「光満つ」で命の輝きみたいなものを見ている。 臣弘 蝉は死んでも爪を残す。自分が生きた証明を光る爪で訴えているのだ。 光迷 目を凝らしての「爪の先」と「生きる力」の発見に乾杯。           *     *     *  句会では「蝉の抜け殻は寂しいもの。『光満つ』という明るい言葉は合わない」(正裕)という意見が出た。空蝉という魂の抜けた虚脱状態を言う言葉もあるから、そう感じるのも確か。しかし、蝉の抜け殻は見つめていると、まるで生き物のように見えることがある。(水)

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七十年は永い短い南瓜食う      横井 定利

七十年は永い短い南瓜食う      横井 定利 『季のことば』  南瓜(かぼちゃ)、唐茄子、南京、ぼうぶら。南瓜に別名は多いが、どれも外国の地名、地域に由来するという。世界中のいろいろな場所で作られていたものが日本に到来し、日本人に食べられてきたのである。種を播いただけで、芽生え、花をつけ、結実し、大きく実る。何とも頑健な野菜だが・・・。  美味い、不味いがはっきりしていて、戦中戦後を生きた世代には「もう二度と食べたくない」という人がいる。かと思えば、同じ世代ながら「昔に比べると、本当に美味くなった」と好物にしている人もいる。そしてその世代こそ、粗食に耐えて終戦直後を生き延び、「七十年」を迎えた人たちなのだ。  今やその世代の時代も終わりに近づいてきた。顧みれば一年、また一年、蕪村の句を借りれば「つもりて遠き昔かな」である。南瓜もさつま芋もとうもろこしも、本当に美味しくなってきたが、いまだに苦いと感じる人もいるようだ。この句に「戦」の語はなくても、詠まれているのはもちろん敗戦日である。(恂)

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今朝もまたラジオ体操終戦日     澤井 二堂

今朝もまたラジオ体操終戦日     澤井 二堂 『合評会から』(日経俳句会) 定利 ラジオ体操やるって、何でもない朝のひと時ですよね。平和ってこういうものかと思いました。何気なく作った感じですが、好感の持てる句です。いい句だと思います。 好夫 私は終戦日について何も思い浮かばなかったが、この句は抵抗感がなく、すっと頭に入ってきました。 大虫 私のラジオ体操の記憶は、国民学校へ行っていた頃からずっと続いていて、常に夏のイメージがあります。終戦日とラジオ体操と、そういう意味で何かがつながっていますね。 双歩 そう、夏のイメージですね。終戦日も夏の終わりで、毎年毎年、平和な世の中で終戦日を迎え、ラジオ体操をやっている。この句は軽く詠んでいるようで、重みのある句だと思いました。 二堂(作者) ラジオ体操の句といえば、何と言っても大石(柏人)さんですが、私も毎朝、上野公園でやっているんです。指導員が三、四人来て、二、三百人は集まるでしょう。(すごいね、の声)                *         *  以上の合評会に続きがあり、ラジオ体操の現状が浮かんできた。お二人による裏話を番外として紹介する。 冷峰 私ね、ラジオ体操の指導員やっているんだけれど、今の子供はラジオ体操が出来ません。小学校ではどこも教えていないんですよ。教えなくちゃ、と思っていますが、教えるには夏休み中に集中するしかない。しかし長続きしないですね。それで来た子にはお土産を出すようになったんですが、一…

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