端居しておばちゃん会議始まりぬ   山口 斗詩子

端居しておばちゃん会議始まりぬ   山口 斗詩子 『この一句』  おばちゃんはいつでもどこでも会議を始める。昔は長屋の共同の井戸端と決まっていた。マンションという現代長屋には共同井戸がないから、どこでやるのか。大きな団地だと藤棚の下にベンチや小さな噴水池などしつらえた小公園、集会所などがある。あるいは仲の良い三、四人のおばちゃんたちが、順番で自宅ダイニングキッチンに招き合ってということもあるようだ。現代の「端居」は昔とはだいぶ様子が異なる。  俳句で「端居」と言えば、ご隠居が縁側の端にちょこなんと座って涼んでいるといった光景がまず浮かぶ。しかし、今やそういうのはほとんど見当たらない。団地のベランダは日が陰ってからも手摺など触ると熱くて、とても涼むどころではない。一戸建てにも縁側というものが無い。そこで老人はデパートやショッピングセンターに出かけ、階段脇などのベンチに座り込み、ペットボトルのお茶を飲みながら本や新聞を読んで日がな一日過ごす。歩行不自由となれば自室に籠もるか、介護施設行きとなる。従って今や「端居」は、おばちゃん達専売の消夏法となったようである。(水)

続きを読む

西日射す窓際族の影の濃し   流合 研士郎

西日射す窓際族の影の濃し   流合 研士郎 『この一句』  政府・日銀は「景気は確実に上向いている」と言い、大企業の一部は好業績を上げている。デパートでは高額商品が売れているそうだ。新卒採用にもはずみがついている。しかし、大多数の一般庶民は食料品や身の回り品が値上がりしたのに昇給が追いつかず、高齢世帯は年金が減額され、むしろ暮らしが窮屈になったと思っている。  企業業績好調と言っても内実は、円安による輸出金額の増大、海外資産の円換算による見かけ上の価値向上、保有株の値上がり、そして、派遣社員を増やし古手社員との雇用契約変更による実質的賃下げといった、外的要因やいじましい“工夫”によるところが多い。従って好業績と言っても高揚感が無い。  どういうわけか一時ほど話題にされなくなった「窓際族」。その有り様は一層深刻になっていると聞く。この時事句、あまりにも現実を直視し過ぎたか、句会ではさっぱり点が入らなかった。しかし、「西日」のやりきれなさをこれほど感じさせる句もめずらしい。しかもこの窓際族、影が「濃い」というのだ。“カイジンマドギワゾクの逆襲”などという感じもして、面白い。(水)

続きを読む

お隣の南瓜たくまし垣根越し   堤 てる夫

お隣の南瓜たくまし垣根越し   堤 てる夫 『季のことば』  南瓜の苗や花は「夏」の季語なのだが、単に南瓜と言うと実のことになり「秋」になってしまう。胡瓜も西瓜も白瓜も冬瓜(とうがん)も、瓜類はほとんど全て苗と花が夏で、実は秋のものとされている。しかし、今やこれらは夏も秋も関係無く、ほとんど一年中手に入る。  食べ物に季節感が薄れて久しい。高度経済成長期に蔬菜作りの技術、施設、品種改良、そして貯蔵技術が飛躍的に進歩し、本来の生り時以外にも出回るようになった。食生活が豊かになったのは有難いが、食べ物や着る物によって季節の移り変わりをしみじみ感じるという楽しみが奪われてしまった。  そうした中で南瓜だけは今でも秋になってから出て来るようだ。こういう庶民的な野菜を温室栽培して早出ししてもそれほど有り難がられないからだろう。  この南瓜という植物実に元気旺盛で、四方八方にぐんぐん伸びる。垣根越えなどめずらしくもない。町中の狭小住宅であればたちまち喧嘩になる。しかし作者の家の庭はゆったりしているから「お隣の南瓜たくまし」と笑顔でいられる。やがて秋になればお隣から大きなやつが届くのではないか。(水)

続きを読む

大西日商店街の人まばら   加藤 明男

大西日商店街の人まばら   加藤 明男 『この一句』  午後三時過ぎ、都心の焼けただれた歩道をくらくらしながら歩いていたら、大音響スピーカーの声が追い掛けて来た。「こちらは、千代田区、広報車です、ただいま、高温注意報、発令中です、不用の外出は、避けてください」なんて言ってる。はっきり聞き取れるようにとの親ごころか、抑揚の無い粘っこい女性の声で一句ずつ区切って言うから、なおさら暑苦しい。NHKラジオも天気予報のおじさんおばさんが毎時間「熱中症に気をつけてください」と繰り返す。ついには飛行機まで暑さに参ったのか、住宅密集地に墜落した。  猛暑に地元商店街は閑古鳥である。昔ながらの商店街はシャッターを下ろした店も多い。デパートや有名店が軒を並べるターミナル周辺と、郊外の大型商業施設に客を奪われてしまったのだ。魚屋も八百屋も豆腐屋も後を継ぐべき息子娘が振り返りもしないから、ジイサンバアサンで細々と続けている。仕入れが少ないから店頭は見るからに淋しい。何となく活きが悪いように見えてしまう。だから売れない。そこでさらに商品数を絞る。ますますみすぼらしくなり・・、人っ子一人通らぬ町を大西日が焙り出す。(水)

続きを読む

補陀落の西日の中のヨットかな   大熊 万歩

補陀落の西日の中のヨットかな   大熊 万歩 『この一句』  「補陀落」は「普陀落」とも書き「ふだらく」と読む。ポータラカという梵語(古代サンスクリット語)の音を漢字に写した仏教用語で、南海にある観世音菩薩の住む山である。中世から近世初めにかけて観音信仰が盛んになった日本では、即身成仏を遂げようとする僧が、熊野灘や足摺岬などから、櫓も櫂も帆も無い小舟に乗って西日の沈む大海原を漂って行った。  これを補陀落渡海と言い、その僧は聖人と崇められ、送り出した寺の権威も上がる。しかしだんだんと形式化義務化し、泣いて嫌がる僧を無理矢理小舟に押し込み大きな船で沖まで引っ張って行き、綱を切って放ちやったという伝説も残っている。補陀落渡海は江戸中期まで行われていた記録が那智勝浦の補陀落山寺にあるが、最後の方は死んだ住職を渡海船に乗せて水葬にする方式になったようだ。  今やヨットだサーフィンだと、西日傾く海に遊び狂う連中が溢れかえっている。夕陽に燦めくヨットや、大きなしぶきを上げて滑走するサーフィンは美しい。しかししかし、無理をすると・・・補陀落渡海となる。(水)

続きを読む

夕立やにこりともせず迎え傘      植村 博明

夕立やにこりともせず迎え傘      植村 博明 『合評会』(日経俳句会) 智宥 こんなおっかない句が大好きなので・・・。お母ちゃんが夜半にブスッとして迎えに来たら、これは怖い(笑い)。ニヤリとして採りました。 啓明 迎えに来るだけ立派ですよ(笑い)。 正市 これは(欠席投句の)植村さんの句。実体験でしょう。 ヲブラダ にこりともしないのは、機嫌が特に悪いわけではないと思いますよ。いまさら(笑顔でもない)という感じなのではないでしょうか。 *              *  前回の作者・智宥さんの言うように、この句を見ればニヤリとしたくなる。しかし駅の売店でビニール傘を買えばいいのに、などと思うのでは読みが浅い。夫が駅に着く時間を知らせたから、奥さんは迎えに来ていたのである。帰りがてら「たまには軽くいくか」と二人で酒場に寄ったりするかも知れない。にこりともせず分かり合っているなら、若い男女の遥かに及ばぬ境地だ。ベテラン夫婦の一種の理想像と見る。(恂)

続きを読む

当選す西日差し込む2DK     杉山 智宥

当選す西日差し込む2DK     杉山 智宥 『この一句』  2DKにも「億ション」があると聞いたが、これはこじんまりしタイプだろう。「当選」したのだから、たぶん公営住宅である。昔のことのようにも思えるが、現在のことでもいい。ともかく当選して大喜び。現物を見たら西日が射しこんでいたが、まあ、よしとしよう、と句の主人公は思ったのだ。  「境涯俳句」という語が流行っていた頃があった。石田波郷は当時、「俳句は私小説だ」と語っている。自分の置かれた状況を切々と詠むのが俳句の本質、という考えである。半世紀も前のことなのだが、やがて私小説傾向が俳句の主流になり、現代に続く。この句もまた境涯俳句と言えないこともない。  ところで作者は“現代仮名遣い派”である。「旧仮名を知らないから」などと言っているが、「現代を詠むなら、現代仮名遣いを」と考えているらしい。この句、「2DK」に企みがあるのかも知れない。古い言葉遣いを守る人々に「これをどう表記するのか」と問うたのか・・・。そんな気もしてきた。(恂)

続きを読む

養老の母臥す床に西日射る       鈴木 好夫

養老の母臥す床に西日射る       鈴木 好夫 『季のことば』  一年中、存在するのに季語になっているものがある。西日がその一つ。夕方になれば季節に関係なく差して来るのに夏の季語なのだ。歳時記によると「天文」の夏では、他に夕立、御来光、虹、雷、朝曇、朝焼、夕焼など。「生活」「動物」「植物」の項になると数え切れないほどである。  「植物」の胡瓜、茄子、トマトの類も現在は一年中あるのだが、かつては夏に収穫され、その時期に食されており、それなりの季節感を持つと言えよう。一方、「天文」の類はいかにも夏らしい、という認識によるものらしい。特に西日は人をげんなりさせる暑苦しさがあり、堂々たる夏の季語である。  上掲句の「養老」。やや珍しい表現だが、「老人を大切にする」という意味があり、作者の思いの一端をうかがえる。母上は寝た切りなのかも知れない。その寝所に西日が届いてきたのだ。「射す」ではなく「射る」とある。きつい語だと思うが、ここにも作者の気持ちが表れているのだろうか。(恂)

続きを読む

剣先に西日一閃闘牛士(マタドール)      岡田 臣弘

剣先に西日一閃闘牛士(マタドール)         岡田 臣弘 『合評会から』(日経俳句会) 啓明 「西日」の季語で、よくスペインを持ってきた。リズムがいいし、剣に西日にも工夫が見えますね。 庄一郎 この句は動詞を全く使っていない。私の好きなタイプで、見事な出来です。 十三妹 闘牛に「西日」が効いています。スペインで何回か闘牛場に行きまして、マタドールが剣を刺す場面の記憶は鮮やかです。でも牛が苦しんで死んでいくこともあり、もう絶対に見たくない。 正裕 止めの剣先に西日が一閃。まさに瞬間を切り取った。ただマタドールのルビはどうかな。※本欄にルビは入らない。 正市 日本語に外国語のルビを振るというのはどうでしょうか。 水牛 カタカナのルビはどうかなぁ。昭和の初めにはよくあったが、二兎を狙ったいじましさがある。(笑い) 臣弘(作者) いじましい私ですが(笑い)、ピカドールが最初に出てきて馬上で牛を刺す。次にバンデリオというのが出てくる。闘牛の華は何と言ってもマタドールで、最後に刺す場面は実に恰好いいんです。                  *         *  闘牛士にいろいろな種類があるとは・・・。知らない人には読み方が必要か、と思い、カッコ内に入れた。(恂)

続きを読む

梅雨冷や庭に獣の入りし跡      廣上 正市

梅雨冷や庭に獣の入りし跡      廣上 正市 『この一句』  深く考えもせず読み過ごしてしまった句であった。しかし「何とも寒々とした感じを覚えた」という感想を聞いたとたん、急に身に迫るものがあった。梅雨の時期だから庭の土は柔らかい。動物がやって来れば足跡を残し行くはずだが、そんな理屈を超えて生じる不可解な感じは何だろう。  人間は農業を始めてから定住し、所有地に柵を囲って暮すようになったという。羊などをたくさん飼い、草を求めて歩いていた生活と違って、土地を守り、侵入者を防がなければならない。作物をため込んで一年を同じ場所で過ごすとなると、動物だけでなく、人間までが食料を狙って攻め込んでくる。  「戦争はこうして始まった」と説く学者がいる。昔、大学の講義で聞いた時「そんなものか」と思ったが、いまそのミニ版が日本の各所で展開されている。作者は趣味の農業を通じて、人界への侵入者に敏感になっておられるのだろう。足跡から推理すると、庭に入ってきたのはハクビシンらしいという。(恂)

続きを読む