父の日や書斎に眠る鉄亜鈴        岡本 崇

父の日や書斎に眠る鉄亜鈴        岡本 崇 『この一句』  「父の日」への想いは、年を重ねるごとに変わって行く。働いて家族(自分たち)を養っている頃、昇進の頃、退職の頃、老いていく頃。そして今、書斎の片隅に置かれたままの鉄亜鈴から、さまざまな状況が浮かび上がってくる。もうトレーニングはやめたのか、寝たきりなのか、亡くなっているのか。  息子から父への感謝の念は、とかくぶっきら棒になりがちだ。いつもは味わえないような高価な洋酒を「はい、これ」の一言で渡されたりする。受け取る方も「おお、サンキュー」くらいだが、毎年、暖かな感慨が胸を満たしていた。そのようにして年を重ね、子が父になり、父は回想の人になっていく。  句の「父」は体力自慢だった。毎日、鉄亜鈴で筋肉を鍛えていたのだろう。しかしやがては父も・・・。子にとって父の書斎は入りにくい場所であった。ホームに入るとか、亡くなった、というような時、ドアを開けたら、鉄亜鈴が埃を被ったまま、置かれていたのだ。父の日の重みを伝える一句である。(恂)

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