柿若葉わが子の腕の太さかな   和泉田 守

柿若葉わが子の腕の太さかな   和泉田 守 『この一句』  初夏なのに夏真っ盛りのような陽差し。柿若葉が陽光を照り返している。庭に出て美味い空気を胸一杯に吸い込む。このところぐんぐん背が伸びてきた息子がタンクトップ姿で出て来た。突然、その太い腕が大写しになって目に飛び込んできた。ぎょっとするような太さであり、我が子ながら眩しいものを見るような感じにもなる。そうか、いつの間にか一人前の男になったんだなと覚る。  父と子は、息子にせよ娘にせよ幼児期を脱すると、だんだんと距離を置くようになっていく。ほとんどの動物は子が生まれても父親は素知らぬ顔だから、人間はまだましな方とも言えるが、とにかく子どもたちからすれば「お父さん」はなんとなく居るものという感じになる。父親も子どものことは妻に任せっぱなしで、接触が薄くなる。だからと言って、子どもたちのことを忘れることなどあり得ない。常に心の裡にあるのだが、日々刻々挙動を気にするといったことが無くなるだけである。  そこで、時折こうした情景が現れる。季語「柿若葉」と実にうまく合った句だ。(水)

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白雲を乗せて田水の夏初め   大沢 反平

白雲を乗せて田水の夏初め   大沢 反平 『合評会から』(日経俳句会) 二堂 田に水を引いて白雲を乗せた空が映る。上に空、下にも空という感じでいかにも夏らしい句。 恂之介 「映し」が普通で、「乗せて」がどうかなとも思うが、水が見えて感じのいい句です。 啓明 白雲が映っているのを「乗せて」と言ったのが、爽やかな初夏の雰囲気。 正裕 やっぱり「乗せて」がいいんじゃないですかね。「映し」だとありきたりだと思いますが。 てる夫 今さかんに田んぼに水を引き入れている。それが田水。「田水の夏初め」というと、どうも季重ねの感じがしてちょっと引っかかった。           *       *       *  確かに「田水の夏初め」には重複感がないでもない。しかし、「田水」はこれから秋口まで潤沢に注がれるわけで、田水そのものは季語ではない(「田水沸く」は盛夏、「田水落とす」が秋の季語)。「田水の夏初め」で爽やかな感じがするし、日本の原風景をそのまま詠んだ大らかな感じがなんとも言えない。(水)

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嬰児の手のふくらみや柿若葉   高石 昌魚

嬰児の手のふくらみや柿若葉      高石 昌魚 『合評会から』(日経俳句会) 悌志郎 嬰児、どう読んだらいいのか戸惑った。「やや」や「えいじ」じゃ字数が合わないし、「みどりご」と読んだら気持ち良かった、それで・・。 恂之介 赤ん坊の手はポンとふくらんでいる。柿若葉の若々しいところと合う。 智宥 まさにそういう感じです。付け加えることはありません。 正裕 「柿若葉わが子の腕の太さかな」という良い句もあり、どっちかなと思いましたが、やはり「嬰児」には勝てませんね。 誰か 「乳飲み子のもろ手開くや柿若葉」というのもありました。これも素晴らしいと思いました。           *       *       *  どんな木であろうが若葉は新鮮で精一杯力を漲らせ、印象が強い。中でも柿若葉のみずみずしさと力強さは抜きん出ている。誰の頭にもそうしたイメージが刻みつけられている。その柿若葉に嬰児の手を取り合わせて詠んだ。「手のふくらみや」と素直に見たままを描写したのが、この句を生き生きさせた所以であろう。(水)

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