もやもやの気持聞いてよみずすまし   大平 睦子

もやもやの気持聞いてよみずすまし   大平 睦子 『この一句』  天衣無縫、心に浮かんだことをそのまま575にしたという感じである。それが絶妙の効果を発揮している。失礼ながら、表現技法を考えぬいた末に、こうした詠み方に落ち着いたものではなかろう。これはやはり自分の「今」をそのまま詠んだ、「つぶやき俳句」とでも言うべきものではなかろうか。この作者はこういった口語の「つぶやき俳句」で時々ホームランをかっ飛ばすのである。  「ミズスマシ」には二種類ある。主に東京周辺で言うミズスマシは黄金虫をうんと小さくしたような甲虫で、一心不乱という感じで水面に輪を描く。「まいまい」という別名を持つ。もう一つはアメンボとも呼ばれ、長い四本の中脚後脚を立て、オールを漕ぐようにすいすいと水面を歩行する。  どっちのミズスマシに語りかけているのだろうか。まいまいに語りかけても聞く耳持たずくるくる回るばかりだろう。とすると、仙人のような風情で水面に浮いているアメンボのミズスマシか。しかしこれとて反応は望み薄。しかし作者はつぶやくのが目的なのだから、聞こうが聞くまいが関係無いのだ。(水)

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モンゴルの草原眩し馬の夏   藤野 十三妹

モンゴルの草原眩し馬の夏   藤野 十三妹 『この一句』  モンゴルへ出かけた人はそう多くはないはずだ。私も行ったことがない。しかしモンゴルは、我々日本人にとってずいぶん身近な感じがする。「満蒙開拓団」は戦後、その悲惨な実態が明らかにされ、戦時中の若者に与えた「大陸雄飛」の夢は虚構と知れたが、とにかく一時的にせよ日本の青少年が胸躍らせるロマンがあった。今日では大相撲はモンゴル力士の大活躍で保っているような塩梅だ。テレビでも大草原がしばしば取り上げられるが、評判がいい。  というわけでモンゴルと置いただけで、読者には何となく分かったような印象を抱いてもらえる。それだけに、絵に描いたようなイメージが染みついた固有名詞を不用意に使うと、安直な感じの句になりやすいという危険がある。  この句も「モンゴルの草原眩し」までは何とも平凡である。しかし「馬の夏」という特異な措辞によって救われた。「夏の馬」ではなく、馬の夏なのだという。これがまさに蒙古馬の群れが嬉々として駆け回るモンゴル大草原を、生き生きと浮かび上がらせた。(水)

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棚田までたらたら登る夏日かな   村田 佳代

棚田までたらたら登る夏日かな   村田 佳代 『この一句』  いかにも暑そうである。吉野にも飛鳥にも、あるいは長野県の姨捨にも、棚田は日本全国至るところにある。減反政策でかなりの棚田が耕作放棄され、ただの雑草の山になってしまったが、近ごろはその特殊な景観が観光地として人気を呼び、復活しているとも言う。  棚田は山裾の方から見上げるのも悪くはないが、山のてっぺんに登って見下ろすと一段と興趣が増す。複雑な形の大小の田んぼが、山襞の微妙な曲線に沿って段々と末広がりに続いている。しかし、その景観を楽しむにはきつい登りを覚悟せねばならない。  この句は田植が終わってしばらくして青田になった頃合いであろうか。ちょうど今頃の、梅雨の晴れ間といった暑い日なのだろう。胸突き八丁というわけではない、昇り始めは別に大した坂ではないと思っていたら豈図らんや、たちまち息がせわしなくなった。「たらたら登る」という表現が効果的だ。しかしこの作者は、「参ったまいった」と言いながら、結構楽しげな様子である。(水)

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水はりしばかりの田んぼ夏映す   溝口 知宏

水はりしばかりの田んぼ夏映す   溝口 知宏 『季のことば』  田植の準備がすべて整い、一面に水を張った田んぼ。そこに夏の雲が映っているのだろう。日本の初夏の田園風景を素直に詠んでいて、気持がいい。日経俳句会初登場の作者のデビュー作。  日本列島は南から北へと細長いから田植の時期も場所によってかなりの差がある。最近は品種改良が進んで極早稲とか低温で植え付けても大丈夫な品種も生まれて、各地域とも田植え時期がずいぶん早まっている。というわけで沖縄や九州、四国、中国地方では3月下旬にもう田植えという所もあるようだが、まあ田植えと言えば、関東、関西、北陸、東北など5月半ばから6月中旬ということになる。この句の田んぼは、その田植えが始まる寸前である。「田植まへ日に夜を継ぎて水の音 てる夫」という句もあるように、用水路の堰を開いて田んぼに一斉に水を流し込む。翌朝の田んぼは一面の水鏡で、朝陽に眩しい。  「水はりしばかりの田んぼ夏の雲」あたりの方が落ち着く感じだが、この「夏映す」というちょっとこなれていない措辞がかえって新鮮で、初夏の気分を伝えてくれる。(水)

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ウズベクの人の優しさ桑の花      井上 啓一

ウズベクの人の優しさ桑の花      井上 啓一 『季のことば』  「ウズベク」はウズベキスタンの旧称。作者は最近、この地を旅行してきて、「すばらしかった」と語っている。風光や文化遺産はもちろんだが、何より人々が友好的で優しかったという。アフガニスタンが南隣りで、政情はやや不安定。しかし治安は問題なく、大いに旅を楽しんでこられたようである。  西安からローマへの交易路のちょうど中央にあたり、さまざまな民族の混血が行われた地域でもある。人種の混合が優しい人々を生むのだとすれば、人類の未来に明るい光が見えてくる。そこで「桑の花」・・・。見たことがないのでネットで調べたら「これ、花?」と言いたくなるような地味な風情であった。  歳時記には「淡黄緑色の小花の房」とある。この房がすぐに黒紫の「桑の実」(夏の季語)に変わって行くのだろう。問題は「桑の花」が春の季語であることだ。作者はもちろんそのこと知っていて、六月の句会に出してきた。現実に桑の花が咲いていた、ということもあるが、地味な花こそウズベク人の優しさに似合う、と思ったからではないだろうか。「桑の花は、この句に実に相応しい」というコメントもあった。(恂)

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投了の所作美しき扇子かな       嵐田 双歩

投了の所作美しき扇子かな       嵐田 双歩 『この一句』  この句は囲碁なのか、将棋なのか。「負けました」の意を表す「投了」の語は、双方に用いられるので、どちらなのかと迷う人がいそうである。しかし作者は他の語を敢えて省略し、判断を読者に委ねた。分かってくれればいいし、分からなくても「美しい」と感じてもらえればいい、と考えたのだろう。  これは将棋だ、と私は判断した。囲碁で「負けました」と意思表示するには、アゲハマ(獲得していた相手の石)を盤上に置いたりするが、「美しき」と言えるほどではない。それで「囲碁ではない」という消去法によって、「将棋」と決めたのである。しかし将棋の投了の所作とはどのようなものだろうか。  聞くところによると将棋の場合、「負け」の意を相手に伝える時は居住まいを正し、正座した膝の前に扇子を置き、頭を下げるのだという。和服姿の敗者の端然たる姿が浮かんでくる。「美しい」という語を用いず美しさを表現するのが、俳句の定法だという。しかしこの句は「美しき」を用いてなお美しい。(恂)

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日暮れては蟇のこゑ聞く新任地     廣田 可升

日暮れては蟇のこゑ聞く新任地     廣田 可升 『合評会から』(番町喜楽会) てる夫 転勤直後の感じがよく出ている。単身赴任かな。時間があるから、思うことも多いのでしょう。 百子 期待にそぐわない転勤だったのでしょうか。蟇蛙の声が、侘しさを感じさせます。 双歩 日暮れて間もない頃だろう。雰囲気が蟇蛙に合っていて、何とも言えない寂寥感がある。 冷峰 過疎地への転勤なのかな。宮仕えはきびしいですね。 綾子 ああ、ずいぶん遠くに来たものだ、という主人公の声が聞こえてきそうです。 春陽子 確かに侘しい雰囲気だが、作品としてみると様々なことを考えさせてくれて、楽しい句になっている。 可升(作者) 実は息子のことなんです。宇都宮への勤務が決まって、地図で調べたら、沼がありましてね・・・。 水牛 この時期、蟇蛙はあまり鳴きません。トノサマガエルかアカガエルの声が聞こえたんじゃないかな。             *             *  兼題が「蟇」で、「蟇ないて唐招提寺春いづこ」(水原秋桜子)という有名な句もある。蟇の鳴き声を詠みたくなるが、夏は鳴かないらしい。秋桜子の句には「惜春の情」が込められているという。(恂)

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かをりくる扇の風に裏おもて      玉田春陽子

かをりくる扇の風に裏おもて      玉田春陽子 『合評会から』(番町喜楽会) 可升 扇(おうぎ)の風にこちら側とあちら側がある、ということなんですね。香りはどちらでも同じはずですが、面白い句なので選びました。 而雲 扇はこのように(手首を振りながら)ゆっくり動かすと、確かに扇の表の風と裏の風があるはずです。こんなことを、よく思いついたものだ、と感心しました。 冷峰 扇に表と裏があるとすれば、風にも表裏があっておかしくない。                 *          *  この後、何人かが扇子を取り出し、扇ぎ出した。「こうすると風は強く、反対は弱くなります」「いや、逆でしょう。手前に引くように扇ぐと、強くなりますよ」「それはあなたが左利きだから――」という具合に、賑やかなことになった。作者はちょっとニュアンスの違うことを言っていたが、「俳句は出来てしまえば、こちら側のもの」と物ともせず、扇子論が盛り上がった。その昔の扇子は、裏側に骨がむき出しになっていたという。もともと表裏があるのだから、風にも表裏があるのは当然であった。(恂)

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扇子買う写楽北斎見比べて       須藤 光迷

扇子買う写楽北斎見比べて       須藤 光迷 『季のことば』  今どき、自分で扇子を買うのは和式の仕事や趣味を持つ人ではないだろうか。日本舞踊、謡曲、茶道、華道、落語、囲碁、将棋・・・。挙げればきりがないが、実際にやっている人は一割くらいのものか。しかし和服好きなら男女に限らず扇子を持っているはずだし、というようなことを、句会で考えていた。  しかし写楽や北斎の扇とは? 東京・両国の江戸東京博物館とか上野の下町風俗資料館あたりの売店なら売っていそうな気がするが、上記のようなプロや趣味を持つ人たちが、浮世絵の扇を自分で購入し、持ち歩くとは思えない。作者に聞いてみたら「外国人へのプレゼントですよ」とのこと。  種明かしをされ「参りました」と言いたくなった。頭に描いていた昔風の世界が、一瞬にして今どきの世情に変わってしまったのだ。原宿の店で手に入れたそうである。ならば、写楽と北斎のどちらを? 蛇足気味の質問には「両方買いました」の答え。句の調子のよさに、最後まで乗せられていた。(恂)

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花冷えの過ぎれば早も走り梅雨   藤村 詠悟

花冷えの過ぎれば早も走り梅雨   藤村 詠悟 『季のことば』  五月から六月はじめ、梅雨はまだ先だと思っていたのに、二三日ぐずついた天気が続き、時折しとしと降って来る。これが「走り梅雨」で初夏の季語。  八十八夜の茶摘みの話題や薫風のゴールデンウイークと、すかっとしたイメージの初夏にこの天気では「冗談じゃねーぞ、もう梅雨かよ」と愚痴りたくもなる。それと同時に、ついこないだ夜桜見物に出かけたばかりなのに、早くも梅雨が近づいているんだなあと、季節の移り変わりの早さに気づかされる。そういう気分を帯びた季語である。  とりわけ退職して気ままな暮らしをするようになった年齢には、季節の移り変わりの早さが気になる。さしたる事をしているわけではないから、昨日も一昨日も先おとといも、同じような日々がただ繋がっている。そしていつの間にか一週間たち十日たつ。而うしてある日「早も走り梅雨」と気づく。  そういうずんべらぼうの日常に、季語の歌である俳句はアクセントをつけてくれる。(水)

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