市の花と知りて花屋へ日日草   井上 庄一郎

市の花と知りて花屋へ日日草   井上 庄一郎 『この一句』  「日日草というのが市の花なのか。どんな花かな」と散歩がてら花屋をのぞいた。なんのことはない、我が家にも一鉢あったし、散歩の道すがらしばしば見かけるありふれた花だった。オシロイバナにちょっと似た3、4センチの小さな筒状の五弁花で、赤、ピンク、赤紫、白など、たくさん咲く。次から次へと新しい花が咲くので、この名前がついたのだという。  日本の国花は「桜」、それに見習って何時の頃からか都道府県がそれぞれの「花」を定めるようになった。今ではそれが市区町村にまで及んでいる。どの町もやってるからといった軽い動機で決められているようで、住民すら知らない「市の花」「区の花」がいつのまにか生まれている。  作者がお住まいのさいたま市の花をネットで調べたらサクラソウとあった。おやおやと、さらに探ると、日日草は「浦和区の花」と判明した。浦和に根を生やしていらっしゃる作者にしてみれば、いまだに浦和はれっきとした「市」なのかも知れない。それはさておき、このように日常のちょっとしたことをさりげなく詠む日記風の句も、なかなか味の良いものではないか。(水)

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新しき浴衣地裁ちぬざっくりと   岩沢 克恵

新しき浴衣地裁ちぬざっくりと   岩沢 克恵 『合評会から』(番町喜楽会) 水馬 「ざっくりと」というのがいいなあと思ったんです。なんとなくもやもやした感じの季節で、自分もぼんやりしている。そんな時に、ばさっと、という感じです。 斗詩子 大きな裁ち鋏で新しい布地を裁つ時のドキドキ感。爽快感が「ざっくりと」に現れています。 光迷 最近うちで浴衣を縫うことは少なくなっていると思いますが、こういう風に自分で仕立てるというのはいいもんですね。やはりこの句は「ざっくりと」が利いていると思います。           *       *       *  昔の女学生は「運針」を学ぶためにまず雑巾を縫うことから始め、浴衣を縫い上げることで卒業となった。今やお母さん世代が縫い針を満足に扱えないというから、浴衣地を裁つことなど夢にもよらないだろう。この句には、まさに郷愁を誘われる。(水)

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紫陽花や移ろふ藍の今淡し   久保田 操

紫陽花や移ろふ藍の今淡し   久保田 操 『季のことば』  梅雨の花と言えばアジサイ。「あの寺もこの寺もまたあぢさゐ寺 涸魚」というように、今やどこもかしこも紫陽花だらけである。紫陽花は日本固有の植物なのだが、昭和も戦前まではこれほど流行らなかった。「七変化」という別名があるように、色を次々に変えてゆくため、「変節」を軽蔑する日本人の気性に合わなかったからだとの説がある。それがかくも持て囃されるようになったのは、日本人も変化したということか。  咲き始めは黄緑色で、数日で緑が薄れ白になり、そして青またはピンクに発色する。青は濃くなって藍になり、ピンクは赤または紅になる。やがて藍も赤も紫がかって、しまいにそれが色褪せてしおれて来る・・。実際には七回も変わることはなく、藍色の期間が長く、これが紫陽花の盛りの色である。  作者は紫陽花の色の変化を見つめている。自宅の植え込みか、近くの公園か。四六時中紫陽花が目に入るのであろう。藍色も今や淡々としてきたと言う。もう盛りを過ぎたのだという哀歓を表に、そして、いよいよ梅雨明けも近いという期待感を裏に添わせている。(水)

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姥捨の眼下どこまで青棚田        後藤 尚弘

姥捨の眼下どこまで青棚田        後藤 尚弘 『この一句』  姥捨山だと「うばすてやま」だが、地名は「おばすて」と読む。月見の名所であり、「千枚田」と呼ばれる棚田で知られる。仲秋の名月の頃に吟行で出かけた時、見降ろした棚田に目を見張った。家も点在し、道路もあるのだが、千曲川までの二、三キロはすべて黄金の稲田、と言っていいほどだった。  JR篠ノ井線の姥捨駅(長野県千曲市)は標高約五五〇叩1愽婉瓩ら見下ろすと延々と棚田のようだが、どこかで平地になっているはずである。しかしどこから普通の田になるのか。もしかしたら千曲川までずっと棚田なのか。この句は「どこまでも」と「どこまでなのか」という二つのニュアンスが感じられて面白い。  ちょっと気になったのが「青棚田」だ。数冊の歳時記を調べたが、季語「青田」にこの傍題も作例も載っていない。歳時記にないから使えない、と思っている人が多いのではないか。インターネットで調べたら「姥捨へせりあがり来し青棚田 山口誓子」を見つけた。誓子の句にあるのだ。堂々と使ってみよう。(恂)

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老農の小手かざし見る青田かな      深瀬 久敬

老農の小手かざし見る青田かな      深瀬 久敬 『合評会から』(三四郎句会) 正義 農家のお爺さんが、我が家の田んぼの様子はどうかな、と立ち止まって見渡している。仕事を終えて一息ついたときか、田んぼからの帰りがけか。ともかくこれは夕方の風景でしょう。 有弘 青田に相応しい、いちばん素直な田園風景です。 恂之介 小手をかざす、というクラシックなしぐさが、青田には合うんですね。 信 まさにその通りです。私の育った福島の田舎の風景を思い出しました。             *            *  かつて田んぼの中の小高い場所に、よく墓が作られていた。亡くなった後も田んぼを眺めていたいという、農民の気持ちに適うものとされている。法律や農地の大規模化によって、そんな墓地は消えていく一方だが、老農が小手をかざして見るという風景は永遠であるはずだ。「青田」が句会の兼題であった。ドローンを詠んだ当欄前句とこの句。全く対照的な二作のどちらに点が多く入るか興味を持って見ていたが、結果は3対2で「老農」の勝ち。伝統的な題材の強みというものがあるのだろう。(恂)

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ドローンの眼見渡す限り青田かな     竹居 照芳

ドローンの眼見渡す限り青田かな     竹居 照芳 『この一句』  おー、青田にコレが出てきたか、と嬉しくなった。現在のドローンは悪者になりがちだが、人類にとっての利器はとかく危険が付きまとっている。刃物にしろ、銃器にしろ、要は扱い方次第なのだ。自分の田の上にドローンを飛ばし、稲の出来具合を確かめるというのなら、文句を言う人はないだろう。  どのように見えるのだろうか。高ければ見渡す限りのはずだが、ぐんと高度を下げて、苗の伸び具合、稲の花の付きぐあいなども確かめることも出来そうだ。これからは田の畔でコントローラーを操る人を見掛けるようになるのだろう。家の中で操縦し、寝たきりの祖父に見せたりするかも知れない。  作者は新聞記者の職を退かれてから、俳句に手を染めた。取材の対象は以前と大きく変わったはずだが、“昔取った杵柄”を同じように振るっておられる。芭蕉の俳論の基本とも言える「不易流行」に照らせば、この句は「流行」なのだろう。しかし時事ものに目を光らせる姿勢は「不易」(不変)である。(恂)

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父の日や書斎に眠る鉄亜鈴        岡本 崇

父の日や書斎に眠る鉄亜鈴        岡本 崇 『この一句』  「父の日」への想いは、年を重ねるごとに変わって行く。働いて家族(自分たち)を養っている頃、昇進の頃、退職の頃、老いていく頃。そして今、書斎の片隅に置かれたままの鉄亜鈴から、さまざまな状況が浮かび上がってくる。もうトレーニングはやめたのか、寝たきりなのか、亡くなっているのか。  息子から父への感謝の念は、とかくぶっきら棒になりがちだ。いつもは味わえないような高価な洋酒を「はい、これ」の一言で渡されたりする。受け取る方も「おお、サンキュー」くらいだが、毎年、暖かな感慨が胸を満たしていた。そのようにして年を重ね、子が父になり、父は回想の人になっていく。  句の「父」は体力自慢だった。毎日、鉄亜鈴で筋肉を鍛えていたのだろう。しかしやがては父も・・・。子にとって父の書斎は入りにくい場所であった。ホームに入るとか、亡くなった、というような時、ドアを開けたら、鉄亜鈴が埃を被ったまま、置かれていたのだ。父の日の重みを伝える一句である。(恂)

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日本橋ふと潮匂ふ梅雨入りかな     大倉悌志郎

日本橋ふと潮匂ふ梅雨入りかな     大倉悌志郎 『合評会から』(日経合同俳句会) 大虫 梅雨入りの頃は匂いに敏感になります。あの川が海に繋がっている、という感じもよく分かります。 守 私も時々、この句と同じような感じを受けます。日常の風景ですが、リアリティがあります。 弥生 日本橋という地名で実感が生まれました。昔、河岸があった、という雰囲気も感じられます。 智宥 あのあたりは、匂い、というより臭いと言いたいが、この句は確かに梅雨入りの雰囲気だ。 恂之介 日本橋と潮匂う。なるほど、これぞ梅雨入り、と思いました。 水牛 日本橋は明治の初めまで埋め立てて、魚河岸を作った。今でも日本橋を渡ると、ああ海なんだなぁ、と思うことがある。梅雨の頃は空気が重々しくなって、ちょうどこの句のような感じですね。 悌志郎(作者) この前、日本橋に行った時、ちょうど上げ潮時でした。           *           *  日本橋に河岸があったことも、海から遠くないことも知っていた。あの辺りを通る時、川の発する匂いを感じたこともあるが、潮の匂いだとは気づかなかった。我が感受性、一歩及ばず、である。(恂)

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大切な黄ばんだレシピ梅仕事      池村実千代

大切な黄ばんだレシピ梅仕事      池村実千代 『合評会から』(日経合同俳句会) てる夫 この「梅仕事」という言葉ですが、梅干とか梅漬けとか、当節の梅に関する仕事と考えていいのかな。 何人か(スマホなどで調べて) 歳時記には見当たらない。作例は有りますよ。辞書に出ていました・・・などなど。 実千代(作者) 私も調べましが、歳時記にはありません。でも私はこの言葉が好きなので、使ってみました。 水牛 私は今年、梅を48舛眥劼韻拭G澳魁▲リカリ漬け、梅酒、梅シロップ・・・。こういう仕事の総称ですね。 綾子 私の友だちは、「梅仕事」って言葉をよく使っています。 佳子 お料理の本には前から載っていますが、季語として使っていいのでしょうか。 何人か 季語にしたいな。感じのいい言葉ですからね。我々の句会だけならOKにしますか。 正裕 それはそれとして、上五の「大切な」は別の言葉に変えた方がよさそうだ。 何人か 「祖母からの」とか。「三代の」はどうですか。いろいろ出てきますな。「みんなの俳句」だからね。         *             *  「合評会」が一段落した後の、雑談的合評会の言葉を集めた。「季のことば」としてもよかった、と思う。(恂)

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明け方の黄色い喇叭花胡瓜   大熊 万歩

明け方の黄色い喇叭花胡瓜   大熊 万歩 『季のことば』  梅雨がひと休みの五月晴の朝は、寝坊がトレードマークの水牛も早起きする。猫の額の菜園を点検するのが楽しみなのだ。ゴールデンウイークに苗を植えた胡瓜と茄子が、今、盛んに咲いている。トマトも実をつけ始めたがまだ青く収穫は1週間くらい待たねばなるまい。落花生の黄色い花がぽつぽつ咲き始めている。青シソの背が急に伸び出した。  野菜類の伸びるよりもずっと早く、雑草が伸びる。三日放っておくと、びっくりするくらい繁っている。それと共にいろんな虫どもが湧き出す。天道虫は可愛らしいが、テントウムシダマシ、カメムシ、アブラムシ(アリマキ)、その他もろもろの甲虫、蛾や蝶、蜂、アブの類。農薬を掛けないから、彼らには天国で、嬉しそうに動き回り飛び回る。葉に止まったところをすかさず捕まえてひねり潰す。中には鼻が曲がりそうな悪臭を放つ奴もいて、敵を取られる。  そんな中で、胡瓜の花は一際可憐で鮮やか。2センチくらいの実の先に小っちゃな喇叭をぱっとつける。早起きを褒めてくれているようだ。この作者も胡瓜を作っているのだろうか。(水)

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