朽ちゆくもいま柿若葉露地の家   水口 弥生

朽ちゆくもいま柿若葉露地の家   水口 弥生 『合評会より』(日経俳句会) 正 「露地」「朽ちゆく家」「柿若葉」の対比が面白い。お互いに響きあって、世代の交代も感じられる。 智宥 露地奥の四〇坪の敷地で柿の木のある家、今の世相がよく出ている。 てる夫 家は朽ちても柿の木は元気ですという、対比なんですね。句全体の調子もいいし、テンポのいい句だと思いました。 大虫 家は年々右肩下がりでダメになる。柿の木は季節が来れば生き生きとなる、その対比。 反平 うちの近くにも空き家が次々出ている。柿の木を残したままの空き家が何軒かある。作ろうと思ったが出来ず「やられた」。 正市 上五と季語の対象が効果的。柿若葉のズームアップ。           *       *       *  高度成長期からバブル時代、私の住んでいる横浜も奥の奥の方まで宅地開発され、夢のような高級住宅街がいくつも出現した。今やそれらがゴーストタウンになろうとしている。柿若葉の生き生きとした緑が残酷に映る。(水)

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割り箸を割れば木の香のひらく夏     大下 綾子

割り箸を割れば木の香のひらく夏     大下 綾子 『合評会から』(日経俳句会) 反平 「木の香」が、いかにも夏が始まったという、爽やかさを感じさせる。いい句ですね。 庄一郎 割り箸の匂いはわずかだと思うが、デリケートな状態を感じ取り、夏が来たと見事に詠いあげた。 臣弘 これは音の聞こえる句ですね。音と匂いです。両方ともうまい具合に「ひらく」で収めている。 反平 音まで聞こえたというのは、素晴らしい感想だ。 青水 みずみずしい感性がほとばしり出ている。割り箸の香が夏をひらく、という大げさな表現が効いている。 正裕 割り箸をパキンと割った時に夏を感じた。感性の素晴らしさでいただきました。 明男 何でもない割り箸。それをパチンと割れば木の香りがして夏がやってくる、という。写生句は対象をじっと見つめて作れと、よく言われますが、それを地で行ったような句です。 智宥 今どきの東南アジア製の割り箸から木の香がするのかなと疑問を持ちましたが。          *               *  「ひらく夏」がやや疑問、いや素晴らしい、という議論もあった。「割り箸を割れば木の香や夏来る」では平凡か。(恂)

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潮騒を遠く聞く夜の浴衣かな      星川 佳子

潮騒を遠く聞く夜の浴衣かな      星川 佳子 『合評会から』(番町喜楽会) 恂之介 この句は全く抵抗感がなく気持ちの中に入ってきました。正統的で、作り方に真面目さが感じられます。 水馬 そうですね、きちんときれいに作ってあります。旅行先の情景でしょう。恋人と居るのかな、一人かな。 百子 きれいで、どこか気になる句でした。海辺の旅館でしょうか。 光迷 昔懐かしい浴衣姿、という感じがしました。ロマンチックな夏の夜ですね。 双歩 ただ波の音だけが聞こえて来て、静かで、ムードがあって、大人の俳句です。 可升 たいへんきれいな句です。場所はどことも言っていませんが、旅先でしょうね。 佳子(作者) 自分ではすごく平凡な句だ、と思っていました。 水牛 今回の浴衣の句は、ほとんどが旅館の様子を詠んでいる。いかに自宅で着なくなったか、だ。                *           *  浴衣の俳句と言うと、少し斜めに見て、ユーモラスな、おふざけが感じられるような句が目につく。ところがこの句は浴衣の持つ雰囲気を実にまともに捉えている。俳句ってこういうものかな、と思った。(恂)

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つつじ散り根津はいつもの人通り    澤井 二堂

つつじ散り根津はいつもの人通り    澤井 二堂 『季のことば』  つつじの季節になると私は東京・文京区の根津神社を思う。表参道かから入り、楼門を通って社殿に向かう左側は、まさにつつじの丘である。神社によると広さ二千坪の中に百種、三千株のつつじが咲くという。この時期には三回ほどしか行っていないのだが、その見事さは、なかなか忘れられない。  東京・山手線で通勤していた頃、この時期になると巣鴨駅、駒込駅と二駅連続してホーム脇の見事なつつじを見ることが出来た。咲き出す頃は、根津神社はどうだろう、と思い、花が終わる頃には、今年もまた行かなかった、と思う。そして今年、根津神社どころか、巣鴨、駒込駅のつつじも見ずに終わった。  当欄の前句でも紹介した東京の谷中、根津、千駄木は三十年も前から「散歩地区」として広く知られるようになった。ただ根津神社のあたりは人気の地区から少し外れているので、人が押しかけるのはつつじの季節だけらしい。前句の作者に擬せられたこの句の作者によると、神社付近には静かさが戻ったという。(恂)

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根津谷中千駄木廻り父の夏       横井 定利

根津谷中千駄木廻り父の夏       横井 定利 『合評会から』  これまで通り、本名や俳号による『合評会』にしたかったが、発言者の“名誉”を考え、異例の匿名とした。 H氏 根津、谷中、千駄木(東京・文京区、台東区)とくれば、作者が分かります。彼の亡くなったお父さんへの敬慕の念が読みとれますね。温かい感じがして、いい句だと思います。 R氏 その通りですね。私も同じ作者を想像しました。彼のお父さんは、しょっちゅう谷根千を散歩していたはずです。オヤジさんを思う気持ちがよく出ています。 T氏 作者は想像した通り、という前提で。付け加えることは何もありません。 K氏(司会者) 皆さん、どなたを想像したのでしょう。N氏ですか? 違います。 一同 「エーッ」と驚き、大爆笑。            *           *  作者と見当をつけられたN氏は谷中の住人で、昨年、高齢の父上を見送った。氏の父を思慕する句、と想像出来るが、早とちりであった。「本当の作者」は初夏の一日、谷根千めぐりを思い立ったという。「“父”は私のことですよ。父は今日、独り散歩を満喫しているのだ、という気分で・・・」だそうである。(恂)

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青竹の杖が先導荒神輿       広上 正市

青竹の杖が先導荒神輿       広上 正市 『季のことば』  「祭」は夏の季語である。京都の葵祭、祇園祭、東京の神田祭など、大きな神社の祭礼が夏に行われるからで、農事に関係する地方の秋祭が続いていく。祭に付随する神輿(みこし)、山車(だし)、祭太鼓なども夏の季語であり、これらの季語をそのまま秋に使えないのは不公平な気もする。  ともかくこの句の祭は、夏に行われるのだから格が高い。作者によると毎年五月五日に神奈川・大磯町で開催される「国府祭」で、「こうのまち」と呼ばれるという。相模一宮の地位を巡って寒川神社、二宮川勾(かわわ)神社など六つの神社の神輿が集まる、と聞くだけで賑やかさ、勇壮さが想像されよう。  「青竹の杖が先導」で祭の持つイメージが定まる。羽織袴姿のご老人が、山から伐ってきたばかりの竹杖を突き、威儀を正して神輿の前を歩いて行くのだという。神輿は四つ角など指定の場所に来ると、ここぞとばかり荒れまくるのだろう。先導の持つ一本の青竹が、くっきりと浮かび上がってくる。(恂)

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水面の雲かき分けてあめんぼう   久保田 操

水面の雲かき分けてあめんぼう   久保田 操 『この一句』  「雲が映っている水面をミズスマシがすいすいと渡っている光景、初夏の風景を絵葉書のように感じた。故郷の池を思い出した」(春陽子)。「あめんぼうだから雲をかき分けられるんですね。魚では影が崩れてしまう」(正裕)。      *          *          *  日経俳句会酔吟会の合評会での評がまさに図星をさしている。昆虫には違いないのだが、初夏に現れて夏中至る所の水溜まりにはびこる妙な生き物。水の上に6本の足を踏ん張って、沈まないのだ(前の二本は浮かしていることが多いが)。この句はその情景を絵本を描くように詠んでいる。同じ句会に「あめんぼう三寸進んで考える」(反平)という面白い句も出た。何を考えているのか、果たして水面に映った雲が目に入っているのか、そんなことは一切分からない。  「一体お前は何が面白くて水面を歩いているのか」と人間は賢しらに聞く。そんな偉そうな問いかけをする人間だって、別に大したことをしているわけではない。私たちも何を掻き分けているのかも分からずに、ただ足掻いているのではなかろうか。(水)

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畦塗りのみな整ひて水走る   高井 百子

畦塗りのみな整ひて水走る     高井 百子 『合評会から』(酔吟会) 水馬 畦塗が終わり、これから田植えに入る喜びが出ている。 春陽子 こうした風景見ると、日本の農業、米作りは大丈夫ではないかと思う。 反平 田舎に行くとまだこうした光景があるんだなあ。「みな整ひて」の言葉がいい。 詠悟 私は経験者だ。出来上がると疲れが取れるような気分になった。後は田植えを待つばかりというわけでホッとするのだ。 正裕 私が住んでいる佐倉では機械で畦作りしている。俳句らしい句で、懐かしく、しかもきれいな句だ。           *       *       *  晩春から立夏あたりの田園風景を活写している。正裕さんが言うように、今日では畦作りも機械で行い、昔のように鍬の背を上手く使ってぺたぺたと畦塗りをするようなことはほとんど無くなっているようだが、それでも出来上がった景色は変わらない。黒々とした畦道が縦横に通じ、その脇の用水路には勢いよく水が走り、田の面は鏡のように雲を映す。万物躍動の夏がやって来る。(水)

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新茶摘むかつて特攻滑走路   谷川 水馬

新茶摘むかつて特攻滑走路   谷川 水馬 『合評会から』(酔吟会) 睦子 有名な知覧茶の産地。かつて特攻隊の飛行場跡だったと七十年前を偲ぶ。 正裕 安倍内閣の危ない政治を思うにつけ、時期に適う句だとつくづく思う。 涸魚 十年前に行った。お茶を売っていた。記念館しかないようだったが、飛行場と滑走路は残しておくべきだと思った。 詠悟 知り合いが特攻隊として散った。それを思い出した。 てる夫 しっかりした平和祈念館がありますね。陸軍の全国の基地から特攻隊員がここに集められて飛び立った。だから遺書、遺品などが集められた、ここにしかない施設です。茶畑は滑走路をつぶして作ったようだ。 恂之介 大久保利通が明治時代にお茶畑を作ったようだ。戦争になって茶畑を滑走路にし、戦後また茶畑にしたのだろう。           *     *     *  作者は「鹿児島県出身の私としては、反戦句のつもりで作りました」と言う。あの悲惨な大東亜戦争など、どこの世界の話かと思う平和そのものの光景だが、孫子の代までこの記憶は伝えねばなるまい。(水)

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老楽や今日も元気だ夏日の出   大石 柏人

老楽や今日も元気だ夏日の出   大石 柏人 『この一句』  端から眺めていて、これほど素晴らしき老後を過ごしている人も珍しい。朝は4時に起き、顔を洗い身支度をして茶を喫し、机に向かって好きな書道をする。古代中国の書聖の書や日本の名筆を臨書したり、気の赴くまま好きな詩文を書いたりする。  その後、近くの公園に行き6時半、近隣の老若男女を集めたラジオ体操を行う。参加者一人一人が差し出すカードに自作の「今日も元気だ」印のスタンプを捺す。家に帰って朝食。そして近くの交差点に行き、旗を持って小学生を誘導する緑のオジイサン。これでもう日課は終わったようなもので、後はメール交信したり、手紙を書いたり、団地の句会があれば出かけるし、なければ昼寝をしたり・・・。夕方になれば一風呂浴びて、奥さん相手に冷や奴などで燗酒を二合。そのうちに眠気を催して9時には寝てしまう。まさに「老楽」とはこのこと也と思わされる。  原句は「老楽や今日も元気だ日が昇る」であった。心境をストレートに詠んだ心地良さが伝わっては来るが、如何せん季語が無い。句意を損なわぬように気をつけて「夏日の出」と付けてみた。(水)

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