呑み仲間また一人逝く春の宵   高石 昌魚

呑み仲間また一人逝く春の宵   高石 昌魚 『この一句』  年を重ねるにつれ、友人知己、親戚連中が櫛の歯を挽くように亡くなって行く。それは仕方のないことなのだと理屈では分かっているのだが、なんともやるせない気分になってしまう。  長年、嬉しいと言っては呑み、くやしいと言っては酌み交わした仲間に先立たれてしまうのは、ことに落胆の度合いが大きい。親や妻子との別れとは異なる淋しさである。「オレが先か、お前が先か」などと言い合いながら飲んだことも再三の間柄だから、突然訃報に接しても泣いたりはしない。が、なんとも身体中の力が抜けてしまうような感じになる。この作者も訃報を受けて、しばし呆然の体なのであろう。それをそのまま詠んでいる。  しかし、これは何も「春の宵」とは限らないのではないか、「冬の朝」にも「夏の夜」にもあてはまるし、句の内容からすれば「秋の暮」の方がぴったりする──といった評があるかも知れない。  ただ、これは「春の宵」の訃報だったのだろうし、春の宵もまた秋の暮れ同様、しきりに思いをかき立てられる時なのである。(水)

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