散る花の風の呼吸に合はせけり     田中 白山

散る花の風の呼吸に合はせけり     田中 白山 『この一句』  私も同じ場に居合せたと思う。熊野神社(横浜市寺家)への石段を上ると小ぶりの社があり、その右手の境内の奥に大きな桜の木が立っていた。花はほとんど散り尽くしていたが、ときどきちらほらと花弁が舞い落ちてきていた。この句を見て「そうだったのか、微風が吹いていたのだな」と気づいた。  風は常に同じ強さ、速さで吹いているわけではない。微風ながら無風の時もあり、無風のようでも梢には風が渡っていることもあるのだ。作者はそんな様子を、じっと見上げ、天然の息遣いを感じたに違いない。風は呼吸をしている、桜はそれに合わせて花弁を散らしていく・・・。この表現は擬人法である。  正岡子規は「月並調」の特徴の一つに「擬人法」を挙げている。もちろん「好ましくないこと」としているのだが、「風が哭(な)く」「梢は唄う」のような、やり過ぎを戒めているのではないか。私は上掲の句に嫌味を全く感じなかった。要は作者が実際に「そう感じたかどうか」なのだろう。(恂)

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